4月12日

老後の世話をしてもらうのはイヤだ、恥ずかしいから
みたいなことを考えていたけど、明日には死んでしまうかもしれないと言うことに気づき、もうちょいちゃんと今を大事にして生きなきゃな、と思うようになりました。

これだけで、ポジティブに生きられているような気がしています。
こんな、小さな気づきだけで。

発端はセネカの、人生の短さについて、で、
私はそこからエッセンスだけを抜き出した本をちょっと読む機会があり、
そこから上記のような気づきを得たのですが、

すごいよね、2000年前の人が書いた本で、いまだに、心を動かされようとしてるんだもんな。

そう言うのを考えると、いつの時代も考えることに差異はそんなになく、つまり人生をいかに大切に生きるか、今を意識して生きるか、そこに尽きるのかなと思ったりします。

今を意識して生きる。

これが、もしかしたら本当の「意識高い系」なのかもしれない。
揶揄されるそれとは一線を画した、本来のやつ。

この言葉と、「自分探し」は割と、勘違いして揶揄されがちだよなぁと思ったりします。
自分探しについては、これはいろんな価値観と出会うことで、客観的に自分を見つめ直す機会があるのかなと思っていて、

私の場合、直近で考えると、ものすごいお金持ちの家で育った人と一緒に仕事をすることがあった時に、彼女の感覚と、私の感覚ってだいぶ違うよな、というのに気づき、私は、お金について割ときちんと地味に使うのが好きなんだなと思うことがありました。

自分探しっていうのは、そう考えると自分1人で見つけるのはもしかすると難しいのかもしれない。例えば荒野で、1人でとぼとぼと数十Kmの道のりを歩くとします。
当然喉は乾く。けど近くに水の出るような場所はない。困る。
こういうケースなのであれば、もしかしたら自分の価値観というのが見えてくるのかもしれないけど、こう言うケースにぶち込まれることは割と稀で、このご時世、他人の一挙手一投足に自分がどう反応するかで、あぁ自分ってこんなだったんだ、と思うことがあるんだよなぁ、と。

43歳になってもまだ、自分がどういうものか、はっきりわかってない。
83歳になったとしても、もしかしたら分かっていないのかもしれない。
こういうのって変わっていくだろうしね。