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  • 4月14日 自分探しの旅2023

    4月14日 自分探しの旅2023

    自由が幸せとは限らない

    スナフキンの名言

    多少の制約があったほうが、人生にハリが出てくるのだろうか。
    制約があるからこそ、その中での自由を噛み締めることができるような。

    昔、奴隷だった哲学者が、主人よりも奴隷の方が自由だ、みたいなことを言ったそうだ。
    理由は、依存度の違い。
    主人は奴隷に依存してて、奴隷がいなければその生活がままならない。

    現代では奴隷と思えるようなものは見当たらないけど、
    社長に対しての社員とか、見方によっては奴隷と考えられるかもしれない。
    奴隷というより、使用人みたいなイメージかな。

    そして一般社員で働く私の立場でちょっと考えてみる。
    すると、お金の奴隷になっているようなことを思いつく。
    お金のために働く。
    お金を、使うために働く。
    お金は、いくらあっても満足することはない。
    お金に、依存している、という考え方。

    お金に縛られない生き方。
    どっかの誰かが、年収130万円で豊かに暮らす、みたいなブログを書いているのを目にしたことがある。
    年収130万円というと、月10万円ちょっと。
    ほとんどは食費に消えてしまうかなー、とちょっと考えたりする。
    たまに、美味しいご飯を食べたくなっちゃったとしても、それを外食で済ませるのはちょっと難しいから、自分でなんとかしようとしたりする。
    いつ、どんな時でも外食ができる人が羨ましいか。
    それとも、自分の力でなんとかしようとして、スーパーで食材を買ってきて自分なりに作ってみて、それを食べる方が羨ましいか。

    私はここで、後者の方が良いだろうと推測しながら文章を書いてきたけど、いや、それは価値観に依存するから、どちらが正しい、どちらが幸せだとかは言えないよなぁ。
    楽に、お金を払って誰かが作ったものを食べ、舌鼓を打つ。
    もしくは、自分なりに料理して、苦心したものを食べ、舌鼓を打つ。
    結果を重んじるか、プロセスを重んじるか。
    私は、後者の方が私の価値観に合っているような気がする。

    こうやって、自分探しの旅をし続けていくんだと思う、人間は。
    経験を元に、自分の価値観を見つけ出すような旅を。

  • 2023年のほぼ日手帳、カズンという選択肢

    私は2011年からほぼ日手帳のオリジナルサイズを使っており(2021年、2022年はday free)、つまりカズンとはまだきちんと付き合ったことがないと言う状態。

    オリジナルはA6、カズンはその倍となるA5サイズである。

    今イマ、私がどんな風に使っているかというとその日の予定、ないしその日に抱いた思い、気になったものをイラストで描くといった程度である。つまり落書き。
    そう、落書き帳なんです私の場合。

    正直見せるような
    レベルではないです…

    これでA5にすると、落書きの量が増えると言うことになるのであろう。
    今イマはお仕事をおやすみしている状態なので、こうして手帳に向き合う時間、もっと言うときちんと色鉛筆を使って色を塗るようなことはできたのだけど、来月から仕事に復帰するのでそうなった時にA5サイズを落書きで埋め尽くすことができるかどうか、甚だ疑問。

    てか無理だろ、普通に考えて。

    つっても1日で10分とか15分くらいなんですけどね。それくらいの時間を捻出することすら難しいとすると、それは逆にそれすらも作れないと言うとそれはむしろ私の時間をどうやって使っているのかが気になりますね。

    そういう観点で見てみると、これは逆にカズン、つまりA5の、day free ではなくてちゃんと日付が載ったものを買うことで、「自分に向き合う時間を作る」という新たなタスクを生み出すことにも繋がるのではないかな。自問自答。
    真っ白いページがあっても、それはそれで良いのですが、その日を生きた証になると言う点で、今の私にはむしろカズンくらいのボリュームがあっても良いのかもしれない、と思い至りました。

    うーん。

    スペースが空いたらマステをペタペタ貼っちゃっても良いしな笑

  • 4月12日

    老後の世話をしてもらうのはイヤだ、恥ずかしいから
    みたいなことを考えていたけど、明日には死んでしまうかもしれないと言うことに気づき、もうちょいちゃんと今を大事にして生きなきゃな、と思うようになりました。

    これだけで、ポジティブに生きられているような気がしています。
    こんな、小さな気づきだけで。

    発端はセネカの、人生の短さについて、で、
    私はそこからエッセンスだけを抜き出した本をちょっと読む機会があり、
    そこから上記のような気づきを得たのですが、

    すごいよね、2000年前の人が書いた本で、いまだに、心を動かされようとしてるんだもんな。

    そう言うのを考えると、いつの時代も考えることに差異はそんなになく、つまり人生をいかに大切に生きるか、今を意識して生きるか、そこに尽きるのかなと思ったりします。

    今を意識して生きる。

    これが、もしかしたら本当の「意識高い系」なのかもしれない。
    揶揄されるそれとは一線を画した、本来のやつ。

    この言葉と、「自分探し」は割と、勘違いして揶揄されがちだよなぁと思ったりします。
    自分探しについては、これはいろんな価値観と出会うことで、客観的に自分を見つめ直す機会があるのかなと思っていて、

    私の場合、直近で考えると、ものすごいお金持ちの家で育った人と一緒に仕事をすることがあった時に、彼女の感覚と、私の感覚ってだいぶ違うよな、というのに気づき、私は、お金について割ときちんと地味に使うのが好きなんだなと思うことがありました。

    自分探しっていうのは、そう考えると自分1人で見つけるのはもしかすると難しいのかもしれない。例えば荒野で、1人でとぼとぼと数十Kmの道のりを歩くとします。
    当然喉は乾く。けど近くに水の出るような場所はない。困る。
    こういうケースなのであれば、もしかしたら自分の価値観というのが見えてくるのかもしれないけど、こう言うケースにぶち込まれることは割と稀で、このご時世、他人の一挙手一投足に自分がどう反応するかで、あぁ自分ってこんなだったんだ、と思うことがあるんだよなぁ、と。

    43歳になってもまだ、自分がどういうものか、はっきりわかってない。
    83歳になったとしても、もしかしたら分かっていないのかもしれない。
    こういうのって変わっていくだろうしね。