罪を憎んで人を憎まず、、、
最近、罪を犯す人間が育ってきた環境について考えたことがあり、彼らは望んで罪人になるような人間ではなかったのではないか、と。そもそもの話。
だからといって加害者を擁護するつもりは毛頭ないのですけれど。池袋のプリウスの話についても、早いとこ罪人認定して欲しいな、と思う程度の。
で、罪を犯し、刑務所に入り、入って直ぐか、何年経ってからかはその人次第ですが、「自分はこんな人生を歩んでいくはずではなかった」と思うことがあるのではないかと。
例えば、親という、自分の人格を作る上で大きな影響を与える人間のこと。彼らが、自分のことをもうちょい善い人間に育ててくれたらな、と、考えることがあるかもしれません。
もしくは友人。彼らがきっかけとなり、悪に手を染めるような人間になってしまった。あの時自分を誘ってくれなったらな、と。
例に挙げた2つの事例。親だったり、友人がきっかけとして、罪人になるような人間を作り上げてしまったとすると。
その場合は、その人たちも悪い。
その人も悪い。
けど、それもそうだけど、その人たちの方にしか身体を向けなかった自分も悪い、かなと。人生を選択した責任だってあるだろ。
というのも、おそらく悪友と同じように、善友とでも言いますか、自分を善い道に導いてくれる人間だっていたはずなんですよね。この世の中って悪い人間ばかりじゃないので。
なので、そっちの方、善友の方に耳を傾ける、身体をそっち側に向けることが、自分を正しく律するために必要だったのではないかと。
罪を憎んで人を憎まず、、、
はわかるのですが、自分にだって責任があるだろ、というお話。