機嫌良く過ごすためには、不安を取り除くよりも共存することが必要なのかな

常々、機嫌良く過ごすにはどうしたら良いかを考えている。最近のヒットは妄想に反応しないこと、それによって平常心が生まれ、心のバイオリズムが激しく波打つような事象から避けることができる、ということ。

それを突き詰めて考えていくと、つまるところ妄想の根本は自分が抱く不安にあり、それならば不安を除去すれば良いのでは、と考えるようになった。

次から次へと湧いてくる不安

なかなかなくなってくれないものである。心配性なのかもしれないが、至るところに不安を抱えている。平穏に過ごすことはこんなに難しいのか。おかげでこのブログ投稿も捗ってしまう。

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多分考えすぎなんだと思う。いつまで経っても消えないのだきっと。最終的には、不安がないことが不安、という境地に至るような気が、しているというか、確信に近い思いを抱いている。

だからこそ一緒に暮らす

人によるのだと思う。

不安は、いつまで経ってもなくならない。当たり前だ。順風満帆すぎて退屈になり、なにか不幸を起こしたくなるような衝動に駆られたとしよう、それだって「安住することに対する不安」が根本にあるのだろう。

であれば、考え方を変えてみる。不安は、不安に違いないのだけど、それを不安と捉えても、それはそれ、として受け流すことだって必要だ。命がなくなるような不安、なにかトラブルに対する予兆なのであれば流石に見て見ぬふりをするのは難しいけれど、重要性の低い不安、それがトラブルとなり現実になった時のインパクトが低いと考えられるのならば、あえて無視する、というか一緒に暮らすことが必要なのではないだろうか。

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そうやって不安と共存することを覚えていけば、だんだん、自分の中での不安に対する基準が生まれ、ある程度許容することができるのではないだろうか。これをあえてブログにするということは、そう、私はできていないのだ。だからいつまで経っても心が小さい男のままなのである。