タグ: 不安

  • 消え去りたくなる病気

    油断するとすぐに、過去、俺がやってしまった失敗を思い出してしまう。そいつらは束になって俺の首を絞めようとする。そしてそれがいつか本当のことになってしまうのではないかという、そこはかとない不安

  • なんでも否定する

    なんでも否定する

    たまにはハメを外そう、から夜更かし、深酒、深夜のラーメンを過ごした翌日、案の定二日酔いで頭痛のする中仕事して、あんなことするんじゃなかったと後悔してる。
    そして翌日は飲酒せず、早めに寝ようとしてる。

    自分のやりたいことをやるということが、私が機嫌良く生きるための秘訣だと信じてやまないが、そうやって過去の自分を否定し続ける自分がいる限り、幸せな気分は訪れない。

    そもそも「たまにはハメを外そう」についても、自分が節度ある生活をしているように感じていて、そんなだから人生が詰まらないのだ、だからたまにはパーっとお酒でも飲んでさ、というところが発端になっている。
    おそらく、節度ある生活の前には胃が痛くなるような出来事があったりして、結局はそれを繰り返しているだけなのだ。

    過去は変えられないから、昨夜のことはもう忘れよう。大切なのは今だ。
    私がお酒を飲みたいのだったら、飲めば良いだろ。

    機嫌良く生きるって本当に難しい。
    自分を肯定することをベースにして、変えられないもの、過去や他人には干渉せず、静かに受け入れる。
    たったこれだけのことなのに、あの人は自分の期待するように動いてくれないと他人のことばかり気にして、そしてそうやって他人を気にする自分を俯瞰した自分からは嫌悪される日々。
    こんな考え方では、どうしたって幸せにはなれない。

    いったいどうしたら良いのだ。
    幸せになる術は知っているように感じる。
    幸せになりたい、と思うのならば、上の段落に書いたことを信条とし、地道に生きていくだけなのではないだろうか。
    なんだよ簡単なことじゃん、と思えない自分がいて、そしてまた自分が嫌いになっていく。

    深呼吸を。そして早く寝よう。
    今のお前に対し、お酒は解決してくれない。

  • 機嫌良く過ごすためには、不安を取り除くよりも共存することが必要なのかな

    機嫌良く過ごすためには、不安を取り除くよりも共存することが必要なのかな

    常々、機嫌良く過ごすにはどうしたら良いかを考えている。最近のヒットは妄想に反応しないこと、それによって平常心が生まれ、心のバイオリズムが激しく波打つような事象から避けることができる、ということ。

    それを突き詰めて考えていくと、つまるところ妄想の根本は自分が抱く不安にあり、それならば不安を除去すれば良いのでは、と考えるようになった。

    次から次へと湧いてくる不安

    なかなかなくなってくれないものである。心配性なのかもしれないが、至るところに不安を抱えている。平穏に過ごすことはこんなに難しいのか。おかげでこのブログ投稿も捗ってしまう。

    Photo by Rodolfo Clix on Pexels.com

    多分考えすぎなんだと思う。いつまで経っても消えないのだきっと。最終的には、不安がないことが不安、という境地に至るような気が、しているというか、確信に近い思いを抱いている。

    だからこそ一緒に暮らす

    人によるのだと思う。

    不安は、いつまで経ってもなくならない。当たり前だ。順風満帆すぎて退屈になり、なにか不幸を起こしたくなるような衝動に駆られたとしよう、それだって「安住することに対する不安」が根本にあるのだろう。

    であれば、考え方を変えてみる。不安は、不安に違いないのだけど、それを不安と捉えても、それはそれ、として受け流すことだって必要だ。命がなくなるような不安、なにかトラブルに対する予兆なのであれば流石に見て見ぬふりをするのは難しいけれど、重要性の低い不安、それがトラブルとなり現実になった時のインパクトが低いと考えられるのならば、あえて無視する、というか一緒に暮らすことが必要なのではないだろうか。

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    そうやって不安と共存することを覚えていけば、だんだん、自分の中での不安に対する基準が生まれ、ある程度許容することができるのではないだろうか。これをあえてブログにするということは、そう、私はできていないのだ。だからいつまで経っても心が小さい男のままなのである。