タグ: 悩み

  • 3月24日

    なんだか腰が痛い。急にどうした、と不安になる。

    腰痛は単純に運動のやりすぎとかだけではなく、ストレスからも発症すると知り、人体の神秘を大いに感じている。

    ストレスはといえば、

    やはり仕事。

    ずーっと仕掛かりの仕事があるんだけど、他の仕事が優先度高めで降ってくるので、それを対処しているうちに先延ばしになってしまっている。
    ストレスになるのは分かっているから、いっそのことそれらを全部他の人に渡してしまうとか、なんらかの方策を考えなければいけないのだけど、方策を考える時間すら作れていない状況が続く。

    それを楽しむことのできるようなマインドセットが必要なのかもしれない。

    腰が痛むような、よほど大きなストレスを抱えている状況を、楽しむことができるようなマインドセット。

    ストレスを楽しむで検索してみたら、厚切りジェイソンがアツく語っていた。

    https://www.recruit.co.jp/talks/meet_recruit/2015/12/og09-2.html

    多分ストレスって、「理想の人生」を描いていて、そのギャップがあるから発生するのだと思う。
    理想の人生。思い通りにやりきれる仕事。悩みのないプライベート。

    いや違う。ストレスのない人生は、もしかしたら波風が立たなすぎて、刺激がない!つまらない!と思うのかもしれない。と考えると、今日の腰痛も、全然進まない仕事も、波の一つなんだから、それとうまく折り合いをつけていく必要があるのだろうか。

    なんかいっつも同じことを考えているような気がするぞ私。

  • 人生がうまくいかないなんて百も承知でした

    人生がうまくいかないなんて百も承知でした

    主に仕事関係で、うまくいかない感じのものごとが続いていて、心の居所、持って行き所がきちんと定まらない一日でした。

    知ってる。そんな一日があることなんて、生まれた時から知ってた。
    知ってたけど、知ってるんだけど、どうやってもおさまりどころが見つからない今日は、その場をしのぎつつ、とりあえずやっつけました。

    自分の思い通りにいく人生のほうが、もしかしたらつまらないのかもしれません。
    なるべくなら苦労派したくない、できるだけ楽して過ごしていきたい。そう願う人も多いでしょう。
    お金が湯水のように使えるような人生だった。もしかしたら仕事をせず、日々、自分のやりたいことをやって暮らしていく。宝くじがずっと売れ続けているのも、そんな生活を夢見ている人が多いからなのかな、と思います。

    Photo by Pixabay on Pexels.com

    だけど人生は、そんなに甘くない。
    もしかしたら、生まれた家がそんな家で、いやーそうなんです、私、湯水の如くお金を使うことができるんです、という人は、こんなブログを書こうとは思わないでしょうね。
    私はそっちの人の心を読み取れないのと一緒で、そっちの人は私が抱える苦悩を知ることはできません。

    そっち側の人になりたいか、というと、ストレートにYesとは言えないんだよなぁ。
    多分ですけど、こういう苦悩があるからこそ、喜びの価値が見える気がするんだよなぁ。
    仕事は、お金を稼ぐための手段ですが、仕事から得られる喜怒哀楽は、人生にとって少しのスパイスになるかもしれないからです。

  • 機嫌良く過ごすためには、不安を取り除くよりも共存することが必要なのかな

    機嫌良く過ごすためには、不安を取り除くよりも共存することが必要なのかな

    常々、機嫌良く過ごすにはどうしたら良いかを考えている。最近のヒットは妄想に反応しないこと、それによって平常心が生まれ、心のバイオリズムが激しく波打つような事象から避けることができる、ということ。

    それを突き詰めて考えていくと、つまるところ妄想の根本は自分が抱く不安にあり、それならば不安を除去すれば良いのでは、と考えるようになった。

    次から次へと湧いてくる不安

    なかなかなくなってくれないものである。心配性なのかもしれないが、至るところに不安を抱えている。平穏に過ごすことはこんなに難しいのか。おかげでこのブログ投稿も捗ってしまう。

    Photo by Rodolfo Clix on Pexels.com

    多分考えすぎなんだと思う。いつまで経っても消えないのだきっと。最終的には、不安がないことが不安、という境地に至るような気が、しているというか、確信に近い思いを抱いている。

    だからこそ一緒に暮らす

    人によるのだと思う。

    不安は、いつまで経ってもなくならない。当たり前だ。順風満帆すぎて退屈になり、なにか不幸を起こしたくなるような衝動に駆られたとしよう、それだって「安住することに対する不安」が根本にあるのだろう。

    であれば、考え方を変えてみる。不安は、不安に違いないのだけど、それを不安と捉えても、それはそれ、として受け流すことだって必要だ。命がなくなるような不安、なにかトラブルに対する予兆なのであれば流石に見て見ぬふりをするのは難しいけれど、重要性の低い不安、それがトラブルとなり現実になった時のインパクトが低いと考えられるのならば、あえて無視する、というか一緒に暮らすことが必要なのではないだろうか。

    Photo by Quang Anh Ha Nguyen on Pexels.com

    そうやって不安と共存することを覚えていけば、だんだん、自分の中での不安に対する基準が生まれ、ある程度許容することができるのではないだろうか。これをあえてブログにするということは、そう、私はできていないのだ。だからいつまで経っても心が小さい男のままなのである。

  • 良き相談相手は、相談したいタイミングと内容をちゃんと考えから選びたい

    良き相談相手は、相談したいタイミングと内容をちゃんと考えから選びたい

    人は悩む。
    何に対して悩むのか。
    自分の思い通りにならないことに対して、悩む。

    Kellie Churchman at Pexels

    相談するタイミング

    以前、「悩む」と「考える」は違う、と言った主旨のブログを書いたことがある。
    私の考えをざっくり書くと以下のような感じ。

    • 悩む : その場で立ち止まる。自分の気持ちを確認する。前に進む前の、充電する機会
    • 考える : 前に進もうとする。今考えている課題を解決するための方法が分かっていて、それを実行しようとする。

    人が他人に相談したいと思うのは、前者の機会が多いように思う。
    後者はすでに自分が何をなすべきか分かっていて、それを実行する時には、他社の声を必要としないからだ。

    冒頭に書いた通り、悩む内容の根本は、「自分の思い通りにならないこと」が多い。
    生き方、対人関係など、自分の考えることに対して現実は、だいたいにおいて大きく外れる。それに対して「自分の思い通りではない!」と憤慨するばかりでは、世の中が生きづらくてしょうがない。
    だから、そこで、自分の考えを改め、現実に対して折り合いをつけていく。そこで、自分の考えを改めるタイミングで、誰かに相談するという機会が生まれる。

    良き相談相手ってどんな人だろう

    最良の相談相手とは、自分のことを100%理解してくれる人である。
    しかし、残念ながら、自分を100%理解してくれている他人というのは存在しない。
    親や兄弟など、自分の個性を十分に理解してくれる人たちですら、自分の望むような相談相手になってくれない。
    相手には相手の都合や、考え方があるからだ。
    彼らが自分に寄り添ってくれる保証なんて無いのだ。

    カウンセラーという選択肢もあるかもしれない。
    だけどカウンセラーに会いに行くにはそういう施設を探し、予約をし、お金を用意する必要があるのだ。これはなかなかハードルが高い。
    かかりつけのようなカウンセラーがいるのであれば良いけれど、そもそも、悩みを持つ人がそんな人を持っているとは言い難い。

    ここで、哲学の本などを読むと、「自分自身」と書いてあることがある。相談相手が自分。
    言いたいことは分かる気がする。
    自分は上述した、自分のことを100%理解してくれる人間だから、きっと最良なのだ。だけど私は、これは難しい気がしている。
    なぜなら、自分の考えという枠を超えることができないから。
    自分の考えに固執してしまうから。
    他の人に相談すると、他の人の考えを聞くことができるから、自分という枠を超えた考えを手に入れられる可能性が高いのだ。

    Photo by August de Richelieu on Pexels.com

    話を聞いてもらいたいのか?選択肢を増やして欲しいのか?

    視点を変え、相談する内容について考えてみたい。

    他人に相談する時は、上述の通り、悩んでいる時だ。
    その悩みの深さ、広さ、進捗に応じて、人に相談する内容が変わる。

    冒頭の頃は、悩みがモヤモヤとしている。
    だから、その悩みの本質は何か、整理をする必要がある。
    そのため、最初は「話を聞いてくれる人」が必要だ。
    その人に話を聞いてもらううちに、自然と自分の中で課題が整理されてくる。他人に話をする場合、順序立てて話をしていく必要がある。
    だから、自分の中である程度の整理が必要なのだ。

    そしてその悩みが後半になるにつれ、だんだん自分の考えが浮き彫りになってくる。
    そのタイミングで人に相談する場合は、自分の考えに同意して欲しいのか、違う選択肢を提示して欲しい場合が多い。
    ある程度自分の考えが他人から見ても真っ当な場合は、背中を押して欲しい場合が多いだろう。
    自分の考えが真っ当かどうか、一般的に見て適切かどうか、他人に相談することで見える場合がある。

    そこで選択肢がある程度はっきりすれば、悩むフェーズは終わりで、次は考えるフェーズに入る。

    私はこの世界を勉強した人間ではないので、これは民間療法みたいな枠を超えることはないだろう。
    だけど私が多く悩んできた中で、このようなやり方があるような気がしている

    私はこれからもたくさん悩むだろう。
    本当は、上述したように「自分自身」を相談相手として築き上げることが大切なような気がしている。
    相談する手間を省けるし、自分を知る良い機会に違いないからだ。
    だけどそれには自分の考えを柔軟に持っておかないといけない。
    広い考えを、きちんと身に着けることができるよう、日々鍛錬が必要と思う。

  • 妄想は快感

    妄想は快感

    目の前にある事実に目を向けず、自分の頭の中で描いていることに尾ビレをつけて妄想していることがあります。
    あります。って言ってますけど、もしかしたら人生で過ごす時間の半分以上、妄想に耽る時間なのかもしれません。

    君は何について悩んでいるのだね

    人の悩みは多種多様です。人生って難しい。
    過去の栄光を引きずる。対人関係。
    アドラー心理学について描かれていた著書「嫌われる勇気」では、人の悩みは対人関係、と言い切っていましたが、それも言い過ぎではないのかなと思ったりします。

    そうなんですよね、例えば、「あの人は私のことを嫌いなのかもしれない」という妄想。私も今まで生きてきて何度もこの悩みに苛まれてきました。その度に悩み、時にはその人から離れ、なんとかここまで生きてきたのかなと思います。

    多分、同じような悩みを抱えている人、多いのではないかなぁ。
    「あの人に良く思われたい」というのは、根底には承認欲求があって、承認欲を満たすというのは人間の本能に近いところにある欲求(と私は思っている)だから、それ自体は避けることのできないものなのだとは思うのですけど。
    承認欲求から引き起こされる行動、言動というのは、それ自体が自分にとって心地良いものなのであれば否定されるものではないと思うんですけどね。
    ただそれによって、「自分は嫌われているのでは」という不快な思いを抱くのであれば、それは使い方が違うだろ、と。ついそっち方面で考えてしまいがちなのは理解します。人間だもの。

    だけどそれは、ただの妄想にすぎないんだよな。妄想。あの人は、私のことを嫌いなのかもしれないけど、もしかしたらそれは過去のことで、今は私のことを嫌いではないのかもしれない。
    だって、過去のあの人と、今のあの人では、違う人間になっている可能性があるから。

    もっと他に考えることがある

    だけど大事なのは今で、自分の未来は自分の意思で変えることができますが、他人がどう思っているかはその人に乗り移ってみないとわからないし、そんなこと、むしろ気にするのは時間の無駄なのではないかな。

    と、ここでわざわざ書いている時点で、「私は他人の目を気にしています」と宣言しているような気もするけどね。

    多分、この、「妄想をやめる」と、「他人の目を気にしない」っていうのは、私の思考プロセスを変えるということだから、すぐにできることでは無い気がします。
    だけど、いつも意識することで考え方って変わっていくと思うし、気づいた時にやらないといつまで経っても変わらないね、ってなっちゃうから、柔軟に変えていきたいです。