「この中から選べ」以外

今、自分の前に見えている選択肢だけが、答えではないという。

誰かの手のひらで転がされている時には特に、選択肢が狭められて提示されることがある。
相手にとって都合の良い選択肢しか、壇上に並ばない。
いずれかを選んでも、結局は相手の手中から逃れることができない。
だから、いつも、出された選択肢以外のものはないか、見極める必要がある。

なんて書くとさぞ意識の高い人間が書いた文章のように思えるが、選択肢以外を考える必要のある機会など、そうそう現れない。
私が出会う選択の機会など、今夜はワインにするか、ウイスキーにするか、くらいなものである。
その程度の選択肢しか、目の前にしか現れない。
今後も、よほど大きなイベント、例えば車を買うとか、転職をするとか、引っ越すなどのことが訪れなければ、選択肢以外のものを探る必要がないように思う。

だからと言って、その訓練を怠っても良いのだろうか。
確かに、私の生活では、日々訪れる選択の機会など、人生において重要ではないかもしれない。
100歩譲って「今日は走ろうか」「もしくはだらだらとお酒を飲んでしまおうか」に関して、前者のほうが自身の健康にとってプラスなのだから、人生において重要なことなのかもしれない。
だが、現時点の私からすると、どちらも同程度の魅力があり、その瞬間に私の身体や精神がどちらを欲しているかによって、あっけなく決まるような気がしている。
その、ほぼ無意識に決めることが、大きな選択をする際に、選択する時の思考を鈍らせてしまうのではないかと思う。
どちらにしても自分の人生に大きな影響がないようなことでも、それを短期的な視野で考えるのではなく、少なくとも中期的、できれば長期的な展望に立って考えることで、日々の一歩がやがて大きな成長につながるのではないか。