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  • 5月13日 今日の柏レイソル戦、の感想

    5月13日 今日の柏レイソル戦、の感想

    期待してる方が悪いと言われたら、そりゃそうかもしれませんけどね。
    今日は久しぶりに柏熱の1Fで、全力で声を出したんですよね。
    選手たちを鼓舞する!とか一人で勝手に盛り上がって。
    柏熱の1F、しかも3列目ともなると選手の顔から流れる汗すらも見えるわけですよ。
    前半はサヴィオ選手のコーナーキックや、後半は片山選手、立田選手の懸命なクリアなど、臨場感溢れる席で、ここぞとばかりに声を張り上げたんですけどね。

    まぁ、最下位に負けるわけないだろ、って油断してたってのもありますよね。
    あ、選手ではなく、私が。4−0くらいで勝ってくれたら気持ち良いなぁとか、ね、考えながらスタジアムに向かってましたからね。
    あの時はまだ、清々しい気分でした。
    後半、片山選手が相手のクロスにハンドしてしまって、PKで、さらっと決められて、そのまま終了、と。
    相手が互角、拮抗してたらまぁ、悔しさとかもあるんですけどね。
    今日は、スタッツを見る限りこちら側はシュートを30本近く打ってたみたいなんですよね。
    なのに、0点。1度もゴールネットを揺らすことすらできず、無情にも90分が経ってしまいました。

    まぁ、悔しいのは選手も一緒、もしかするとサポーターよりも悔しさは勝っているかもしれません。我々は所詮娯楽、彼らは生活がかかってますからね。
    とは言え。
    退屈な日常をほーらー、綺麗さっぱり忘れられるんだ、みたいな、勝ちが見たいです。
    勝ちが。私、現地、いつ以来か覚えていないほど、勝っていません。
    今日はお酒を飲む気すら起こらない、ような。
    そんな週末。

  • 5月12日 過去も未来も、列車が走るレールの上で

    5月12日 過去も未来も、列車が走るレールの上で

    チー、と高い周波数の音が聞こえる。
    私の耳鳴りだろうか、いや、今私の目の前にあるディスプレイの音だろうか。

    人生って正解がわからないことが多い。
    正解なんてものは、所詮その人が受け取る解釈のなかで生まれるものだから、私が思った正解が、そういうことになるんだと思う。

    ランニングが私の趣味です、と言い放った過去。
    実際にそういう時期があったのだろうけど、その時の自分と、今のそれでは到底思いもよらないほどに別人のように感じている。
    ランニングへのモチベーションが思いつかないからだ。
    なぜあんなに、走ることが好きだったのだろうか。
    おそらく、走っている時の、自分の身体から感じる筋肉の動き、痛み、苦しさ、そういうところから「私は生きている」というのを感じていたからなように思う。
    今、私は生きているのだろうか。
    その、ランニング中に感じるそれらの物事から遠ざかった今、私が生きているという実感があまり感じられないのである。
    いや、うーん、こうやってブログを書いているときに、私が考えているという感覚は、実は私が生きている証拠なのかもしれない。
    中村一義が、彼の放った歌の中で「そうだ、過去未来を乗せて、列車は走るよ」と綴っていた。
    過去も未来も、列車が走るレールの上で奏でられるもので、全ては地続きということになるのだろう。
    もしかすると、今の私は、途中下車をしている状態なのかもしれない。
    今、生きているという感覚がないのだから。

    だからと言って、決して、生き急ぐ必要はないのだろう。
    この世の中と別れるようなきっかけがないのだから。
    もしその、きっかけが私の目の前にあったとしたら。

  • 5月11日 心療内科の先生に相談する内容とは

    5月11日 心療内科の先生に相談する内容とは

    心療内科って書こうとしたら、間違えて新緑、となってしまい、そうじゃん、新緑の綺麗な季節になってきたな、と思い返した。
    昨日と今日、家から一歩も出ていない。緑が遠い。
    ベランダで飼っている観葉植物を眺めながら、彼らが自らの腕のように延ばし始めた枝、そこから生えた葉が多くなってきたなぁと感じる。
    そんなふうに、ぼんやりしていたらどんどん暑くなって、知らず知らずのうちに夏を迎えるのだろうか。
    すでに43回分の夏を経験している身としては、44回目を迎えたとしても、今までと大差ない夏がきたな、と感じるんだろうなぁ。

    今日は心療内科へ通院する日。
    何を喋ろう、と思うと、少しだけ緊張する。
    緊張する心療内科ってどうなんだろう。良いのか、悪いのか。
    私の通う心療内科は、「誰でも気軽に来てくださいね」みたいな雰囲気で迎えてくれるのだが、私を診てくれる先生はやや口が重く、私からいつも喋り出すことになっている。
    他を知らないので、それが普通と考えてしまっている。もしかするともっと違う、私に合うような先生がいるかもしれないけれど。

    けれど、今になって病院を替えるというのは、サンクコスト的な考えもあり、腰がだいぶ思い。
    自分に合う/合わないってのがあるから、いろいろ見た方が良いよ、というアドバイスは今まで何人かからいただいたのだけれど、結局実行には移せていない。
    移せていない、というか、違う、今の自分としてはそこで満足している、のかもしれないから、新たなところを開拓する気がない、というのが正しい、

    ような気がしている、けれど、

    いつまでこの薬を飲み続けるんだろう、という思いがある。
    その前に、私がどういう状態になったら、この薬をやめられるのだろうか。
    元気になったら?と考えてはみるけれど、それじゃ今の私は元気じゃないのか、という問いが自然に浮かぶ。
    元気な時は元気だけれど、そうじゃない時だってあるさ、だけどそれって人間だもの、抗うつ剤を飲んでないような人だって同じようなことあるでしょ。
    分からない。
    極論を言うと、先生に決めてもらいたいと思ったりしている。
    私自身じゃ、分からないから。
    どの状態になったら薬をやめる、通院をやめることができるのか、分からないから。
    試しに、薬を飲まないで生活してみる?みたいなことも考えた。
    けれど、それで失敗して不幸のどん底みたいなマインドになってしまったら嫌なので、まだ実行に移したことはない。
    こういうことを、先生に相談してみても良いのだろうか。
    他の患者さんは、どんなことを先生に相談しているのだろうか。ちょっと気になる。

  • 5月9日 後悔は、私が忘れたくないと願った先にあるもの

    5月9日 後悔は、私が忘れたくないと願った先にあるもの

    たびたび、後悔を強く思い出させるような悪夢に苛まれて目が覚めることがある。
    そんな日は一日、調子が上がらない。
    そんなことで?と、自分ででも思ってしまう。
    早く忘れたいのに。
    アドラー流にいうと、私がそんな出来事を、後悔の一つと考えていたいから、その結果忘れようとしても忘れられていない、つまり私が望んだ結果なのだ、ということになるだろう。

    人生の98%はどうでも良いこと、と私の同僚が言っていたことがあった。
    どっちでもいいんだよ、と。
    確かにそうかもしれない。

  • 5月8日 自分の時間を使うこと

    5月8日 自分の時間を使うこと

    Javaをつかったテスト駆動開発やら、TOEICのスコアアップに向けた学習などに取り組んでいるけれど、そもそも空いた時間にトライしようとしている時点で、先が不透明なのではないかと考えるようになった。

    もしかするとそれは、伸び悩む自分に対して怯えているからかもしれないけれど。
    どちらも、自分が成長したいという意思に基づいて始めたはずなのに、それが自分の首をやんわりと締めているような感覚を持ち始めていたりもする。

    学習=つらい、という感覚を取り払うべきなのではないだろうか。
    前者の、Javaについてはむしろ遊びといえる要素が詰まっているから、Javaを覚えるという側面では学習と捉えられるのだけれど、その先にあるクリエイティブな部分については、学習?とはてなマークをつけたくなってしまう要素だ。
    JavaもTOEICも自分を成長させるための貴重なツールだし、それらを身につけた後のことを考えれば、それが自然とモチベーションになったりするだろう。

    あとは、取り組むための時間をきちんと割くことか。考えるべきは。
    いずれも業務時間中にやれるようなものではない(前者は、大枠としては可能かもしれないけれど)。
    となると、仕事を終えた後に取り組むことが多くなる。
    となると、家族と過ごす時間を割く必要が出てくる。
    別に、家族としては私が仕事をしてるのか、それらの勉強をしてるのかは分からない(と思う)から、仕事をしてます、って体で時間を使えば良いんだろうけど。
    なにをウダウダ悩んでいるのだろうか。
    こうやって、ウダウダ悩むのがホントに好きだなー、自分は、と私の後ろにいる私が考えている。

    毎日ブログを更新しているけれど、書くことがないから上記のような内容になっただけじゃん。
    戯言を書いて終わった。

  • 5月7日 今の自分は意外と悪くないのかも、と自分に言い聞かせる日

    5月7日 今の自分は意外と悪くないのかも、と自分に言い聞かせる日

    雨。猛烈な雨。
    昨日の真夏日から一転、肌寒い一日。

    今日は柏レイソルの試合があった。
    アウェーで、アルビレックス新潟と。
    大雨のなか、選手たちはピッチ内を駆け巡っていた。
    結果は0-0のスコアレスドロー。
    勝てなくて悔しいような。けど負けなかったから勝ち点1が入り、それで満足かといえば首を縦に振るような状況。
    なんてったって勝ち点1だって欲しいような状況だもんね。

    昨日から、司馬遼太郎の竜馬が行くを読み始めた。
    最初に読んだのは5年くらい前だろうか。
    彼は、興味を引くものには目がなく、当時は船が大好きだったと書かれており、ペリーが乗ってきた黒船見たさに自分の領地から脱走みたいに抜け出し、見に行ったとのこと。
    そこまでの情熱が、今の自分にはあるだろうか。

    また、先ほどBSでフォーミュラEのレースを放映していた。
    ベルリンの、空港跡地で行われていたそれは、40周を数十台のフォーミュラカーが駆け巡っていた。
    そういえば私は中学の頃に友達から借りたF1の録画ビデオを観て、当時は取り憑かれたように、食い入るように見ていた時期があったなぁーと思い出す。
    あの頃は、黒船見たさに藩を脱走した竜馬のような情熱があったのかもしれない。
    高校の頃は、自動車関連の仕事に就きたいと考え、それ系の大学に入ったけれど、そこから紆余曲折ありそれ関連の仕事には就かずに現在へと至っている。
    未練はある?と聞かれても、首を縦に振るようなことはないだろうなぁ。
    時折運転するくらいで十分だね、と返答するような気がする。

    今日でゴールデンウィークが終わり。少し気分は沈んでいる。
    満喫したさ、と思い込むようにしている。
    本当に満喫したと胸を張って言えるようになるためには、何が必要なんだろう。
    どこに行ったって混んでいるだろうから、結果疲れ果てて帰宅するのは目に見えているのに。
    だから、あまり出歩かず、ベランダにいる植物やメダカを愛でたり、こうして自分を振り返る日記を書いたりして気力を復活させようとした方向性について賛同すべきで、こんなはずじゃなかったと後悔しているようでは、せっかく戻りつつあった気力がまた減ってしまうじゃないか。
    自分を肯定するのは、自分を勇気づけてあげることということだ。
    誰かと比較し、私は何も経験をしていないと卑下しているようでは、いつまで経っても大人になれないぞ。どうしても何かと比べたいのなら、過去の自分を比較対象にすべき。意外と、今の自分、悪くないかもよ。

  • 5月6日

    5月6日

    今年のゴールデンウィークも、あっという間に残り1.5日となった。
    別に期待してなかったんだけどね。未練がましく「もっと休みたい」などと考えていても、残酷ながら時間は待ってくれないのだよ。

    休みは、多い方が良いのだろうか。

    きっと人間はないものねだりだから、休みばっかだと、勤労をして誰かのために、社会の役に立つようなことをしなければ、生きた心地がしないのではないか。
    とは言え、決して大きな仕事を成し遂げる必要はなく、ボランティアだって立派な仕事なのだから、社会に奉仕するっていう精神を持ち合わせていた方が、生きるということにハリが出てくるような気がしている。

    いや。

    去年、2ヶ月ばかり会社を休んだのだけれど、あの時は、暇すぎて生きた心地がしないなんてことはなく、それはもしかすると一緒に住む家族のために料理をしたり、車で塾の送迎をしたりしたからかもしれないけれど、

    と思ったけどあの時は自分の気力が100%ではなかったから、社会に奉仕したいぜ、みたいな気持ちが浮かんでこなかったのではないだろうか。

    社会に奉仕するってのも、なかなか気力の要ることだからね。

    一番身近なところで言うと、ベランダに出て深呼吸をし、緑のために二酸化炭素を吐き出すというのが挙げられるような気がする。社会の定義にもよるけれど。

  • 5月5日 モフモフ効果

    5月5日 モフモフ効果

    実家に帰っていたから、という口実で日記を書く時間がなかった。書く時間をきちんと取れば良かった。5月6日に書いている。しかもスマホから。

    実家には、新しく迎えられた子犬がいた。芝犬。まだ産まれて3週間とか。たくさん触り、癒されてきた。オキシトシンという成分が分泌され、脳の中で癒し効果が得られるのだとか。ソースはこちら

    すごいね。犬を触るだけで脳の中で特別な物質が分泌されるなんて。もしかすると古代の昔から、犬や猫はそんな形で人間の癒しに寄与してきたのではないのかと。

    これで実家に帰る楽しみができた。

  • 5月4日 TOEIC、今の現在地点

    5月4日 TOEIC、今の現在地点

    先日買ったTOEICの本を少し勉強する。
    試しにトライしてみたリスニングの箇所、80%くらいできていた。
    思ったよりも調子が良くてビビる。
    普段はインド英語しか聞いていないから、いわゆる普通のイントネーションには自信がなかったから。
    まーこれに過信せず、取りこぼしたところの原因をはっきりさせて、さらなるスコアアップを目指したいと思う所存。

    リスニングに限らず、TOEICって長丁場だから、集中力が切れてしまうのが問題だと思ってる。
    リスニングの方はずーっと気合を入れて聴くためのスタンバイをしておかなければいけないし、ライティングの方になると問題数が超多いから、うだうだ休憩してるわけにはいかないし。
    いや、きっとこれは訓練すれば、なんとか持ち堪えるようにはなるような気がするんだけども。
    ということで、ひたすら解く、からの答え合わせを繰り返すことで、その雰囲気に慣れるのではないかと思う。

    コツコツやるためには、自分の中でミッション感覚を忘れないようにすることも大切な気がする。
    絶対飽きちゃうし。人生にとって必要不可欠なものではないし。
    勉強する=自分の時間を使う、という点では、家族との時間を割いてまでこっちに注力するわけだから、家族に対してもそういうアテンションを払っておく必要がある、とか。多分これは考えすぎな気がするけど。

    自分の中での思い込み、先入観っていうのは、時として悪魔になるよね。
    よく、「自分、英語苦手だからー」って一言目に発する人がいるじゃんか。
    そうやって英語から遠ざかった人生を歩んでいるんだろうから、別にいいとは思うんだけど、それも思い込みだと思うんだよね。
    英語が苦手な人なんていないでしょ。ちゃんとやれば、ちゃんと結果がついてくるような気がするんだよな。
    私も英語が苦手だわ〜、って思う時期があった。けど仕事で、英語しかコミュニケーションできない人が同じチームに入り、毎日の朝礼で話す機会があったから、そのおかげで自然にできるようになった。
    TOEICも、プログラミングもそうだけど、毎日コツコツってのが大切なんだろうなぁ。それだけじゃないよな。

  • 5月3日 スナフキンのような生き方を

    5月3日 スナフキンのような生き方を

    今日は快晴。
    ここのところずっと晴れてるような気がする、けどそれは多分雨だった時間の記憶が薄いからだ。
    この時期は実家に帰省して田植えを手伝っていたのだけれど、両親が田んぼをやめてしまったので、今年からこのタイミングでの帰省はなくなった。

    ゴールデンウィークだから、どっか行かないと!みたいな焦りが、もっと心地良いものだったら良いのに。
    子供がいるせいか、どこかに連れてってあげないと、なんか悪いことをしているような気分になる。多分、ただの思い込み。
    その点、昨年までのように私の実家に帰省して、一泊旅行みたいな形で時間を過ごすことができていたのは、その焦りを紛らわせてくれるための方策だったのかもしれない。

    今日は断捨離をした。
    色々なものを捨て、子供たちがもう読まなくなった本を売り、家がほんの少しだけ身軽になった。
    こういうことをすると、いつもスナフキンのことを思い出す。
    彼は身軽で、いつもリュック1つで世界を旅するような生活をしている。
    もしかすると、彼のように、必要なものって両手で数えられるくらいのものなのかもしれない。
    今の私で考えてみると、

    • スマートフォンと充電器
    • ランニングシューズ
    • 手帳
    • Kindle
    • 洋服

    これくらいかもしれない。あとは花粉症の薬とか、Apple Watchとかを思い浮かべたけれど、それらはなくても暮らせるようなものだ。
    スマホが1番最初に浮かんできたけれど、それってどうなの、と思ってしまう。
    スマホって言ってもやることといえば家族とのコミュニケーションや、Twitterくらいのものだろう。
    家族とやりとりするツールが他にあれば、スマホもいらないかなぁとか思ったりするけれど、やりとり自体も、もしかしたら削れるものなのかもしれない。