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  • 6月22日 今日は10km

    6月22日 今日は10km

    今日は10kmを走った。
    夕方、ちょっと雨っぽかったので、私の住んでる市でやってるジムへ。

    平日の夕方はだいぶ空いていた。
    トレッドミルは私を含め、2人くらいしか使っていなかった。
    私より3つくらい左側のトレッドミルで走っていた若者。
    まだまだ若者には負けんぞい、と少しだけライバル意識を持ってしまう。
    そういうところで張り合っても何の得にもならないのだけれど、そのおかげで、私は10kmを走ることができた。

    10kmの記録
    1kmごとのスプリット
    心拍

    外で走るのと、トレッドミルに乗って走るの、どっちが好きなんだろう、ということを考えながら走った。
    どっちも一長一短あるけれど、気温があまり高くない日だったら、外で走る方が気持ち良くて好きだな、と思う。
    そうだ、走っていても、木々が風に合わせて揺れ動く姿や、音もなく信号の色が変わる様子が目に入ってくるので、そういう、いわゆる風景を見るのが好きなんだな。
    トレッドミルでは前にテレビがあり、自分の好きなチャネルを観ながら走ることもできるんだけど、幸か不幸か私には好きな番組がないので、一度もつけたことがない。
    それにテレビを観ながら走るなんて、どうも二つのことを欲張ってやろうとしていて、好きじゃないんだよな。音楽は聴いているけれど。
    そうだ音楽。私は音楽を聴きながら走るのが好きだ。
    いわゆるロックが多く、それを聴きながら走っていると気持ちが軽くなったような気分になれる。

    ランニングが好きで良かったなー、と思う。
    ランニングを毎日やっても、痛くならない膝と脚に感謝したい。

  • 6月21日 佐伯チズさんみたいな

    6月21日 佐伯チズさんみたいな

    佐々木俊尚さんの、「読む力」みたいな名前の本を読みながら通勤。
    彼はどっかのいい大学を出て、立派なジャーナリストとして名を馳せているのかと思ったら、大学は留年しまくった、と語られていて、妙な親近感を覚えた。
    さらに、二人目のお父さんが、彼が学をつけることに嫌悪し、本を読んでいるだけで怒られたという、いわば劣悪な環境に置かれていたと書いてあり、さらに、すげー!ってなった。

    人間、逆境の中で生きていくには、貪欲になんでも吸収しようという精神が必要なのかもしれない。
    彼のすごいところは、彼自身が成長しなければいけないと自分で自分の背中を押していたところだと思う。
    と、本の端っこを読んだ程度の私が語るのはアレなので、気になる方は佐々木俊尚でググっていただければ幸いである。

    人と比べる訳ではないけれど、私も、中学の頃から小説を読むのが好きだったなぁ、と思う。ほとんど忘れてしまったけれど、本を読む姿勢だけは今でも消えていないような気がする。Twitterをやるくらいなら本を読みます、という程度のマインドセットではあるけれど。
    本の中には、私の想像もつかないようなことが書いてあることが多く、まるでその人になったかのように、作者の思想を知ることができるのがすごい。
    それは小説だって同じで、登場人物のプロットというべきか、そこにどう個性を充てるかというところだって、作者の趣味みたいなものが見え隠れすることが多いだろう。
    私の一番好きな作家、伊坂幸太郎で言うところの、溌剌とした女性、みたいな。
    私のイメージだと佐伯チズさんなんだけど、彼女みたいな、竹を割ったような性格の女性って伊坂幸太郎、好きだよなー、と思いながら読んでいる。(貶してません。褒めてます

    そうやって、自分の好きなものって滲み出るんだろうなぁ。
    佐々木俊尚さんは今でこそガジェット好きなおじさんみたいなイメージだけれど、彼も彼なりの個性がきっとあるんだろう。

  • 6月20日 開き直り、空元気みたいなもの

    6月20日 開き直り、空元気みたいなもの

    天気は今日も軽やかに快晴。
    梅雨の合間の晴れ間って何回書いただろう。

    自分はこうありたい、と考えてみて、それに近づくための努力をする。
    人間は成長する生き物だから、それは自然なことのように思う。
    だけどその目標みたいなものを見失ってしまうと、もしくは、自分の体調的にそこへ辿り着くための道から少し外れなければいけないと考えた時、人間はどうするのだろう。
    多分、停滞する。
    一休みして、また、その道に戻れば良いだろうと考えるはずなんだけど、その道に戻るためのやり方、方法が分からなくなったとしたら。
    仮定ばかりの話をしているけれど、明日は我が身、もしくは現在の自分が、そんな状態に陥っていることだってあるはずだ。

    自分が今、どんな状態なのかすら分からなくなってくると、いよいよ大変。
    周りは日々成長しようとして努力しているのが見えるし、自分はなぜ、と焦ってしまうだろう。
    焦ることでまたエンジンをかけることができれば良いのだ。
    けれど、人間の気力って、不思議なんだけどそういう時に鍵ってエンジンをかけるための鍵が見つからなかったりする。
    自分だけ成長できていないのではないか、と日々自問自答し続け、やがて、焦りから体力までも消耗し、再び立ち上がるまでに長い時間を要することだってある。

    そうなりたくないな、と思っても、勝手にそうなってしまうことだってあるのだ。
    そんな人生。ハードモードすぎるわ。

    もしかすると、そういう時には開き直り、空元気みたいなものが必要なのかもしれない。
    自分を鼓舞する、と書くと言い過ぎかもしれないが、まずは自分を愛することから始め、自分の今置かれている状況をなるべく俯瞰して見えるようにし、また、体力と気力が戻ってきてエンジンをかけられるようになるまで、温存するべきだろう。
    その期間だって無駄じゃないはず。その時にしか見えない景色があるはずだから。鳥の囀り。季節の移り変わり。周りには味方ばかりだ。

  • 6月19日 私の哲学が

    6月19日 私の哲学が

    このブログでは、普段私が書いている日記と、時折投稿する仕事のことがあり、だいぶごちゃ混ぜ感が出てきてしまっていると感じている。

    私が働いているソフトウェア品質というカテゴリーと、私が好きで良く投稿する哲学というジャンルは、それぞれ似つかないけれど、どこかで融合できる時が来たりするのではないかと、少し楽しみだったりもする。

    もうちょっと深掘りして考えてみると、仕事への姿勢は哲学に結びつくところがあるかもしれない。
    目の前に降りてきた仕事は、責任を持って臨みたい。
    私の仕事によって、誰かが喜んでくれたら嬉しい。
    そんなことを考えながら、仕事をしているつもりである。
    これらは、私の仕事に対する哲学と呼んでも良いのではないだろうか。

    普段、どんなことに気を付けて仕事していますか?
    みたいな雑談のような質問をされた場合、自分の持ち場をきちんと仕事して、次の人に渡すようにしています、みたいなざっくりとした回答を示したとしよう。
    だいぶざっくりしているけれど、そういうところに、私の哲学が眠っているような気がする。

  • 6月18日 暑かったからとか、敵が強すぎたとか、

    6月18日 暑かったからとか、敵が強すぎたとか、

    梅雨の合間。
    30度を超える暑さ。我が家ではとうとうエアコンの電源をオンにした。

    今日の柏レイソルは、ホームでルヴァン杯を。
    相手は福岡。
    私はスタジアムに行くモチベーションがなにも見つからず、今日は試合速報を追いかけるのもやめた。
    というか、その時間帯、外にランニングへ出かけた。

    試合は0−1で負け。
    あまりTwitterを見ていないので、どんな展開だったか良くは分からないけれど、まぁ、決めるべきところで決められず、相手に翻弄されたまま90分を終えたのかな、と想像する。
    私を含めサポーターの皆さんは、これは娯楽の1つだから、と自分に言い聞かせるけれども、それでも勝利というものが欲しい。
    それは選手だって同じことだろう、と信じる。
    どうやっても勝てないことだってあるだろう。
    最後は気持ちで、という、いわば根性論みたいなもので片付けることだってできるだろうけれど、それにしても観ている側としても、悔しがる選手の姿よりも、勝って喜んでいる姿の方が観たいに決まっている。
    リーグ戦は半分を折り返し、レイソルは最下位の位置にいる。
    ここから巻き返しを図るのか、それとも降格に向けてなす術なく沈んでいくのか、ちょっと分からない。
    勝って欲しいけどね。勝って、気持ちよく週明けを迎えたいんだけどね。

    今日のランニングは5km。調子が良ければ10kmまでいきたかったけれど、暑さのせい、ということで幕を閉じた。
    昨日書いたブログみたいではないか。
    他の、何かのせいにして、自分でやり遂げたかった10kmができなかったことから逃げようとしている。
    レイソルの選手たちは違うと信じてる。
    勝利こそが人生のタスクだと捉えるならば、暑かったからとか、敵が強すぎたとか、風が強かったからとか、そういう他の理由を持ち出して、負けた現実から逃げないはずだと信じてやまない。

  • 6月17日 人生の嘘

    6月17日 人生の嘘

    特に書くことがないので、嫌われる勇気を手に取ってみる。

    さまざまな口実を設けて人生のタスクを回避しようとする事態を指して、「人生の嘘」と呼んだ

    嫌われる勇気

    ここで取り上げられる「さまざまな口実」ってどんなことだろう。
    今はそんな気分じゃないから、と言って、人生のタスクを回避する。
    家族との時間を優先したいから、自分のやりたいことを諦める。
    うーん、違う。

    そもそも「人生のタスク」とは、どんなものを指すんだろうか。
    パッと思いつくところで言うと、人生のターニングポイント、誕生から学校での社会生活、就職、結婚、やがて老いていく一連の流れ。
    うーん、なんか違う。もうちょっと本から引用してみよう。

    では、私は人生のタスクを回避するため、もっと言えば対人関係を回避するため、ただそれだけのために他者の欠点をでっち上げているのだと?そして他者を「敵」と思うことで逃げているのだと?

    嫌われる勇気 120ページ

    今自分が置かれている状況、その責任を誰かに転嫁する。他者のせいにしたり、環境のせいにしたりすることで、人生のタスクから逃げている。

    同上

    ここでは、自分がやり遂げなければいけないことを、本当はやらなきゃいけないことをわかっているのにも関わらず、そこから目を背け、他者のせいにしている、それこそが「人生の嘘」ということになる。

    果たして、それは良いことなのだろうか、悪いことなのだろうか。

    まぁ人間って弱い生き物だから、すぐ何かのせいにしたがる。
    本当はやらなきゃいけないと分かっているのに、ぐずぐずして先に進まない(進めない)ように自分を慰めている。
    わかるよ、人間って弱いから、そうやって自分を守ることだって時には必要だと思うんだよね。
    だから、自分や周りに(悪い意味で)適当な口実を作り、だからやれないんだよねー、ということにしているの。
    自分を守る、自分を肯定するという意味では良いのかもしれないけれど、全部そればっかりだと、何に対しても逃げる姿勢を持ってしまうのではないだろうか。
    アドラー心理学では、人生の悩みはすべて人間関係に起因しているみたいなことを読んだけれど、仮に上記のような、何に対しても逃げる姿勢を持ってしまうことは、いつまでたってもその悩みが解決されることなく、先延ばし、時間が解決してくれると信じてやまないのではないだろうか。

    私は、たまにはそういうこともあるよね、と思う一方で、自分の人生に対して正直に生きるべきだよね、とも思う。
    果たしてどっちが正解かは、何年後かにわかるんだろう。もしかしたら一生かけてもわからないかもしれない。
    だけど、生きていくには、時にはそういうことだって必要なんじゃないだろうか。

  • 6月16日 嫌だったけれど、得たものはあった

    6月16日 嫌だったけれど、得たものはあった

    今日は暑かった。
    数日ぶりの出社だったけれど、会社までの道が暑かった。
    梅雨の中休みとでもいうべきか。

    今日は、自分で動かせるものの限界について考えていた。
    自分で動かせるものって案外少なくて、世の中のほとんどのことは自分では動かせないものということになる。
    それだけではない。
    自分の過去も、それがあった事実というものは動かせないのだ。
    だけど、解釈は違う。
    自分が過ごしてきた過去は、そのこと自体は動かせないけれど、それに起因する自分の解釈は、言い換えると考え方みたいなものは、変えることができる。
    いやだった過去の出来事は、もしかするとこの先、どっかで、嫌だったけれど、得たものはあった、と考えることだってできるのではないだろうか。

    それを日々、暮らしていく中で、鍛錬しているのかもしれない。
    過去と現在、未来は一本の線で結ばれているのかもしれないけれど、そこから生まれる自分の解釈は、改めることができるかもしれないのだ。
    だけどそれもいいことばかりではなくて、過去、良かった思い出が、悪かった思い出に変わることだってあるのだろう。
    だけど、それが自分の糧になるのであれば、ながーい目で見ると、良いことになるのかもしれない。それも解釈。

  • 6月15日 それが欲しい、という

    6月15日 それが欲しい、という

    久しぶりにJavaの勉強に手を出している。
    久しぶり、というのは数日ぶりくらいの間隔、感覚で、私みたいにおじさんになってからは記憶することの劣化が激しいから、こういうのはこまめにやっていかないとすぐに忘れてしまう。

    何かを作りたいと思っているわけではないのだから、そういう点でモチベーションになりづらい。
    強いて言えば、仕事で使うことがありそう、という点だけで、果たしてそれが強いモチベーションになるかというと、そこまでではない。現状、できていなくても仕事は回せているのだから。

    だけど、私の心のどっかにエンジニア志向のようなものがあり、プログラムをかける人ってカッコ良い、みたいなところがあるのは確かだ。
    今、机の隣にある本棚にはJava入門と、Python入門が鎮座している。

    人は、何かに強く興味を持つと、「ただそれを深く知りたい」というのがシンプルにモチベーションとなり、それこそ寝る間を惜しんで学習したりする。
    時には寝食を忘れるほどで、それが良いことなのか悪いことなのか私には分からないけれど、少なくとも「昨日の自分より成長している」という点では、良いことのように思う。健康を損なわない程度であれば。
    私にはそんな機会、しばらく訪れていないのではないだろうか。
    別にそれが欲しい、というわけではないが、それほどの情熱を注げるような物事にここ数年、出会っていないかもしれない。
    それにはなにか理由があるように感じる。
    学習であれば、自分の時間を優先するという点で、家族と過ごす時間が減るというデメリットがある。まずそこが頭に浮かんだ。
    家族と過ごす時間はもちろん優先されるべき事項だ。それは私の価値観になっているから。
    つまりそれに勝るような物事に、出会っていないというべきか。
    いや、待て、去年までハマって行ってたソロキャンはそれに該当するだろう。家族と過ごす時間を割いてまでも、行ってたのだから。抗うつ剤を飲むようになってから、なぜかそちらに気持ちが向かなくなってしまい、行っていないのだけれど。
    または、ランニングとか。これも自分一人で過ごす時間である。

    こうして考えてみると、家族との時間を割いてまでやりたいようなことがあまりないんだなー、と思う。良いことなのか、悪いことなのかは分からないけれど。
    そこまで情熱を注げることのできるような、Javaを使ったプログラムがあると良いのだけれど。

    あとは小説とかね。最近書いてないなぁ。ここで日記を書いているせいか、アウトプットするカロリーがここで使い果たされている気がするんだよなぁ。

  • 6月14日 人生なんて晴れたり曇ったりなんだから、

    6月14日 人生なんて晴れたり曇ったりなんだから、

    雨が、降ったりやんだりを繰り返している。
    近くの道路を走る車の音。果たして今日は、どんな思いを抱くだろうか。

    今日は偉い人とのミーティングで、私が主役になり説明する機会があった。
    こういう時になるといつも緊張してしまう。

    緊張とは。

    何度かこのブログでも書いているけれど、緊張は「いつもとは違う自分、ちゃんとしてるところを見せたいという思い」から生まれるのだそう。
    私にはそういう思いが強いということなのだろうか。
    もうちょっと考えてみると、私は、他人からの承認欲が強いということなのかもしれない。
    承認欲求を他人に求めるというのは、終わりのないスパイラルで、たとえばSNSでいいことを言おうみたいなのもその一つ。
    いいねをもらうために努力するのは、自分を磨くという点では良いのかもしれないけれど、そのために自分の気持ちを蔑ろにしてしまったり、無理をしちゃったりするので、いったん深呼吸をしてみて自分の気持ちに寄り添ってみたりすると良いのだろう。

    それは仕事だけではなく、日常生活のすべてにおいて言えること。

    どちらかと言えば悪く言われることの多い他人からの承認欲、考えるべきは自分からの承認欲を強くもつこと。
    昨日の自分よりも成長することで、自分で自分を承認してあげること。
    泡沫の夢のように、キラキラした自分を見せることも良いことではあるのだけれど、それよりも自分で自分の味方になってあげて、応援する姿勢を持つことが良いだろう。

    って、言うのは簡単なんだけどね。
    他人と触れ合う前提で成り立っているこの社会で、私はどっちを向いて生きていけば良いのだろうか。
    少し立ち止まって、そんなことを考える。人生なんて晴れたり曇ったりなんだから、曇った時にこそ自分で自分の味方になってあげるべきだ。

  • 6月13日 自分の好きな時に、好きなものを、好きなだけ楽しみたい、っていうのから、少しずつ遠ざかっていく

    6月13日 自分の好きな時に、好きなものを、好きなだけ楽しみたい、っていうのから、少しずつ遠ざかっていく

    私の低血糖による症状の話。

    もしかすると前日の飲酒ではなく、当日の昼食が関係しているのかもしれない、と気づいたのは、今日の症状から。
    今日も17時くらいから、耳周辺がこわばるというか、痺れるという感覚が。
    そこから、昨夜、お酒はちょっと飲んだけど、酩酊するほどではないよなぁ、と思い至り(ビール、350mlを1本とウイスキーをロックで1杯)、となると、昼食、今日は出社して近くの中華料理店でレバニラ炒めを食べたんだよな。中華料理ってご飯は多めだよな。そこでたくさん白飯を食べたんだよなぁ、と。
    となると、昼食時に炭水化物をなるべく摂らないほうが良いのでは?とか。
    そもそも血糖値が低くなるのが悪くて、その前に血糖値が高くなるのが悪いんだから、というか血糖値をなるべく上昇させないようなご飯が良いのではないかと思っていて。

    はぁ。

    こういうところに頭を悩ませる世代に入ってきたんだなぁ、とぼんやり考える40代中年男。

    食の楽しみとは。
    自分の好きな時に、好きなものを、好きなだけ楽しみたい、っていうのから、少しずつ遠ざかっていく。
    まぁ、ここで気持ちを切り替えて、健康的な食事を追求するっていう考え方になっていけたら良いのかもしれないけれど。
    まだ、もうちょいこのアンニュイな気分に浸っていたい。