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  • 7月2日 月曜の朝ラン

    7月2日 月曜の朝ラン

    日曜日の夜は、「また1週間が始まるのかー」と少し憂鬱になる。
    これは何か重たい仕事があるとか、そんな影響がないことに気づいた。
    だって明日、めっちゃヤバめの仕事があるわけではないので。

    だとすると、いったい何が、そんな気持ちを作り上げているというのだろう。
    私の中では、また1週間が始まるから、普通に仕事をして過ごせば良いだけ、という感覚であるべきなのに。
    もしかすると、「月曜の朝は重たい」という固定観念というか、先入観というか、そんなものが私の中にあって、それが私の心を少しだけ憂鬱にしているのではないだろうか。
    月曜の朝は重たい、と誰が決めたんだろう。
    日曜の夕方、サザエさんを見ると気持ちが暗くなる、サザエさんシンドロームみたいな言葉もかつては騒がれていたけれど。

    ちょっと視点を変えてみよう。
    何度かこのブログにも書いているけれど、朝ランができた日は比較的一日を通して気持ちの良い感覚を持っている。
    これも「朝ランをした日は調子が良い」という先入観のなせる術なのかもしれないけれど、眠い目を擦って月曜日の朝にランニングをする習慣をつけたらどうだろうか。
    私としては、ちょっと未体験だ。
    だけど、きっと、月曜日だけど調子が良い!と自分で感じられるような、そんな予感がしている。

    明日、朝ランをする時間くらいに起きられるだろうか。
    朝ランをするためには、夜、早めに寝る必要があるんだよな。
    となると、現在の時刻、21時07分のあたりから、明日に向けて体調を調整していくのかもしれないね。

  • 7月1日 点と点がつながって、

    7月1日 点と点がつながって、

    点と点がつながって一つの線になる。
    人生にはこういうシチュエーションが多いという。
    それに気づくかどうかはその人次第であるけれど、常にそういうことを考えているような人だとしたら、気づきやすいのかもしれない。

    それは、アンテナの高さだと思う。
    自分で気づくかどうか、そのアンテナの高さ次第で、その周波数を合わせられるかどうかにかかっているのだから。

    一体今の自分は、そのアンテナはどのくらいの高さを張っているのだろうか。
    日々、ぼんやりと過ごしている気がするから、多分大して高くはないように感じるけれど、今の私はそれでも良いのだろうか。
    不安を感じるのは、良いことなのか。
    不安?
    今の自分で満足しているということの裏返しなのではないだろうか。

    一般的には、常に意識を高く持っておくべき、という考え方がある。
    そりゃそうだ。
    何事にも興味を持つような人の方が、自然と経験も増えていくし、冒頭に述べた点が増えていくわけだから、後から考えると線になりやすいということになるだろう。
    だけど、だけどだ、点をたくさん掴むためにはスタミナが必要だ。アンテナを張るのには気力が必要だ。気力だけではない、体力も必要かもしれない。
    自分の、できる範囲で十分なのではないか。

    つまり、自分の器ってものがあるから、その器に乗る程度の点を見つけることこそが、真理なのかもしれない。
    私の器とは。どの程度の大きさなのだろうか。

  • 6月30日 潜在意識を変えていけ

    6月30日 潜在意識を変えていけ

    Kindleで、「あなたはあなたが使っている言葉でできている」という本を読んでいる。
    海外?ではベストセラーとかで、書いてあることは割と松岡修造さんに近しいところがあるように思えた。

    自分の意思は、無意識下にある自分の潜在意識からできているとか。
    今の私が太っているのは、そのあたりにある自分の潜在意識からそうなった訳で、とても耳の痛い話がつらつらっと書いてあった。
    私は、太っていくことを自覚しながら、暴飲暴食を繰り返していたのだな、と。それが私の全てなのだから、まずはそこを肯定せねばなるまい。
    もし私が痩せたいと思うなら、本気でそう思ってるんなら、そのための行動を起こせ、と。
    今の自分は過去の自分が繰り返し行ってきた行動によって作られたのだから、数ヶ月後に理想となる身体を描くのであれば、そこに向かって直向きに走れ、と。

    と、言葉で言うのは簡単なんだよね。
    で、そこで私がいつもだらけてしまうのも、私の培ってきた個性みたいなものだから、それを認めてだらけるようになってしまうのか、ここで一発奮起して痩せるために本気を出すのか、それは自分次第。
    私は自分の理想となる体型を目指すつもりだ、と心に誓うことで、潜在意識までその方向に靡くようになるのだな。
    明日から本気出す、と冗談のように言っているけれど、少なからず痩せたいと思っている私を蔑ろにはできないわけで、その自分と寄り添うには辛くても頑張るという気持ちが大切なんだろう。

    あと1ヶ月くらいで健康診断がやってくるので、それまでには60kg台になっておきたいと思っている。
    今は74kgなので、あと5kg。あと5kg痩せるために、私は潜在意識にまでそのことを知らしめ、とりあえず健康診断をB判定でクリアし、その先には標準体重の65kgまでもっていきたい所存。
    ここで、「できるかどうかは分からないけどね」と自分にエクスキューズ、逃げ道を与えてしまいたくなる自分がいるけれど、そんな自分にはさよならを告げたい。

  • 6月29日 解釈について

    6月29日 解釈について

    ニーチェは、物事の解釈についていくつか言葉を残している。

    物事はいかようにも解釈できる。
    良い物事、悪い物事が初めからあるのではない。良いとするのも悪いとするのも、役立つとか役立たないとか、素晴らしいとか醜悪だとか、いかようであろうとも、解釈するのは結局は自分なのだ。
    しかし、どう解釈しようとも、そのときからその解釈の中に自分を差し込むことになるのを知っておこう。つまり、解釈にとらわれ、その解釈ができるような視点からのみ物事を見てしまうようになるのだ。
    つまり、解釈や、そこから生まれる価値判断が自分をきつく縛るというわけだ。しかし、解釈せずには物事の始末がつけられない。ここに、人生を読み解いていくことのジレンマがある。

    ニーチェ たわむれ、たばかり、意趣ばらし

    どういうことだろう。
    私は今、44歳になるけれど、44歳の目線でしか解釈ができないということだろうか。
    確かに今からでは20代の気持ちを持ち、彼らの目線で解釈することはできない。
    例えば新宿の歌舞伎町は今治安があまり良くないと言われている。
    私としては、けしからん、彼らの両親はそのことをどう思ってるんだ、と思ってしまうけれど、「歌舞伎町は治安が悪い」というのは私の目線、参考にしているのはテレビのニュースだったりするけれど、その目線でしか物を語ることができない。
    実際に歌舞伎町に行ってみると治安が悪いというほどではないかもしれない。(治安の良し悪しについてもある程度の解釈が含まれるから、歩きタバコをしている人がいる!=治安が悪い!と思う人もいるかもしれない。正直なところ私は歩きタバコくらいは、いいんじゃないの、と思ったりしてしまう)

    ニーチェは、そこにジレンマがあると言う。
    私の解釈は、私の目線からでしか解釈できない。毎日のように歌舞伎町で飲み歩くような人生を送っていたら、違う解釈になるだろう。
    今の私の境遇だと、外野からニュースを見てる程度の知識量で歌舞伎町の治安を語るようなレベルだろうから、その程度の目線でしか解釈ができないということだ。

    喧嘩両成敗、という言葉がある。
    ある人から、例えば仕事の同僚からある人の愚痴を聞かされたとしよう。
    私はそう言う時、その人の話をよく聞いてしまい、その人の肩を持つようになるのだけれど、もしかすると愚痴の対象となっている人からの声を聞いてみないと、きちんと成敗することはできない。
    それも解釈の一つで、その諍いを公平な目で見るならば、両方から聞いてから成敗するのが適当なやり方だと思う。
    両方聞いてみると、最初に愚痴を聞いていた方が悪い、みたいなことだってたくさんあり得るだろうから。

    なるべく公平な目で、物事を見て解釈していきたいと思う。
    地球のどこかで今も起こっている諍いが、それぞれの頭で考えた解釈をベースに行なわれているはずで、蓋を開けてみたら、まぁ、お互いに悪いところあったよね、みたいなことだってあるんじゃないかなぁ。そんな簡単な話でないことはわかっているけれど。

  • 6月28日 過去の検証自体はやってもいいけど、否定するのは違うよな、というのを忘れないようにしたい

    6月28日 過去の検証自体はやってもいいけど、否定するのは違うよな、というのを忘れないようにしたい

    ふと昔の記憶を辿る。
    駅から自宅まで歩いている間とか。
    スマホとか、PCとか、テレビなどから離れてみて、さらに音楽からも離れる時間を作ると、私の場合は過去の出来事を思い返すことが多いように思う。
    その出来事を掘り返し、出来事というのは良い思い出、悪い思い出、両方含めて様々な思いがあるものなどだったりするけれど、掘り返してあの行動は正しかったのか、今この状況でも同じ行動を起こすか、みたいな検証をしたりする。
    検証したところであの日、あの時間に私が返ることはないから、ただの思考実験でしかないのだけれど、その行為自体が好きなんだろうなと思う。

    だけど、それって後悔を生むことがある。
    あの行動は正しくなかった、もっとこうすれば良かった、と思う時は危険で、今思えば正しくない行動だったんだけど、あの時はああするしかなかった、あれ以外に思いつかなかった、みたいに考えてしまう。
    それって過去の自分を否定することにつながるだろう。
    過去と他人は変えられないといろんなところで目にするけれど、この件はまさにそれで、変えられない過去に対してウジウジと悩んでしまう、そしてそのまま落ちる、みたいな典型的思考パターンだったりする。
    私は日々変わっている。昔の価値観と、今の価値観は違う。
    だからこそ、過去の検証自体はやってもいいけど、否定するのは違うよな、というのを忘れないようにしたい。
    そうだよ、日々、私が成長している証として、過去の振り返りをする、というのは良いと思うんだよな。
    自分は昨日までの自分よりも成長している、比較すべき対象として頭の中に存在しているのだから。

  • 6月27日 私にとってのゴールってなんだろう

    6月27日 私にとってのゴールってなんだろう

    出社。適度に人と話し、お互いを認識する活動を経て、私は生きていると感じられた。大事なのは目を合わせることで、そうすることで言葉だけでは伝えられない空気感を共有することができるよなぁと実感した。私の拙い英語でも、ちゃんと理解しようとしてくれる人がいるのはありがたい。相手はインドの人。お互いに第一言語が英語ではないところも効いてるのかもしれない。

    英語を話せると、13億人と話せるようになる、と子供の頃に聞いたことがあった。だけど今はインドだけでその人口になっているのだから、今はもっと多くの人と話せるようになるのだろう。インドの情熱はすごい。インドに頭の良い人が多いみたいな触れ込みがあるけれど、実際のところ、全人口に対する割合は日本のそれと近いのではないだろうか。頭の良い人が多い、なんて十把一絡げにしてしまうところにミスリードが生まれているような気がする。

    人間は一様ではないから、それぞれに得手不得手があるだろう。私にとっては交渉事が苦手、人にものを頼むのが苦手だったりする。たぶん、そういうところをみんなで補いあって社会が成り立っているんだろうなぁ。全能な人なんて幻想だ。そういうスーパーマンには憧れるけど、スーパーマンにだって不得手なところはあるだろう。だから、人をある決まった側面だけで見るのは良くないよ、という話。

    だけど、人間はみんな成長したがっている。昨日の自分を超えるために、日々、努力しながら生きている。人生のゴールってなんだろう。私にとってのゴールってなんだろう。答えなんてすぐには見つからず、というかそれを探しながら生き続けるのかもしれない。もしかするとゴールなんてただの幻想で、ただ生き、自分の寿命を全うするのがゴールなのかも。そういうことだろ。

  • 6月26日 自分が期待すること=自分が不幸であること

    6月26日 自分が期待すること=自分が不幸であること

    今日は仕事終わりに10kmラン。
    昨日も書いた、自分の親友になってみるというコンセプトを考えながら走った。
    暑くて、途中何度か歩きかけたけど、目標としてた10kmを走ることができてよかった。

    自分をポジティブマインドでいっぱいにすると、自分に優しくなれる気がする。
    全部を肯定する。私が生きていることは、恵まれていることなんだって思えるようになってくる。
    今まで、自分は生きててもつまらない、みたいな路線で考えることが多かったけれど、それはつまらない理由をわざわざ見つけて、不幸に染まる人生を楽しんでいたのかもしれない。
    自分が期待すること=自分が不幸であること、というのは生きていく上で不要だったのだろう。
    だけど、一方で、そういうネガティブな気持ちを否定するのもちょっと抵抗がある。
    私が産んだ感情は、全てを受け入れるべきというならば、そういうネガティブな感情も全て受け入れるべきだから、と考える。
    別に不幸になりたいわけじゃないんだけどね。それを卑屈と呼ぶならば、私はその卑屈とも友達になるべきなんじゃないかって思う。

    たぶん、まだ、ポジティブマインドで染めるには発展途上なんだろう。
    そうやってネガティブマインドにも優しくすべきと思っている時点で、私は幸せになる資格なんてないのかもしれない。という感じで、迷っている。

  • 6月25日 自分の親友になってみる

    6月25日 自分の親友になってみる

    今日は、良い一日だった。
    今日も、良い一日だった。

    朝起きたらすでに10時近くなっており、朝ランはできなかった。
    なんとなく私の中で、朝に走ることができたら、その日は良い日と考えている節があり、その基準で考えると今日は、あまりイケてない日ということになる。
    そうやって自分のルーティンを固定したまま暮らすと、今日は一日中陰鬱な気持ちで過ごすことになるんだけれど、最近読んだ本で、自分をポジティブに持っていくためにこういう負のルーティンを壊すことが肝要、みたいなことが書いてあった。

    鋼の自己肯定感 最先端の研究結果×シリコンバレーの習慣から開発された”二度と下がらない”方法 [ 宮崎 直子 ]

    この本では繰り返して「アファメーション」という言葉を使っていて、これをちょっと調べてみると、要は自分の心をポジティブにするような言葉を繰り返し言い続けることで、気持ちが自然と明るく、前向きになれる、みたいなことなんだけど、そんな感じでイケてない日も「今日は良い日だった」と唱えることで、気持ちを明るくさせていけたら良いな、と思っている。

    また、悪いことばかり探していると、そればかりが目につくようになってしまい、良くないことだとか。
    今、ここに在るもので十分じゃん、とか、私は理想の体型から程遠いけど、それに向かって頑張っているんだ、とか言うことで、今の自分を応援することができる、と。
    自分の親友になろう、みたいなことも書いてあった。

    私の場合、自分が不幸になっても良いから周りをサポートしたい、みたいな献身性が心のどこかにあったのだけれど、それって自分にとっては害悪でしかないんだね。
    私が幸せになるために生きてて、それを蔑ろにしてしまっては良くないことだと。まぁ、自分が誰かの役に立った=自分が幸せになった、ということであれば、良いのかもしれないけれど。

    ここ数年、少なくとも10年くらいは、自分が幸せになる方法のようなものを考えてこなかったように思う。
    奇しくも、子供が生まれた頃からそうだったのかもしれない。
    家族のために仕事、自分のやりたいことは二の次、と考えているうちに、あれ、自分のやりたいことってなんだっけ、と、いつの間にか現れた戸惑い。
    それが起点となり、その先に、自分、この先生きていても楽しいことなんてないだろ、と考えるようになってしまったように思う。
    その時々で、自分のやりたいことを見つけ、時間と費やしてきたけれど、それらは全て付け焼き刃で、結局のところ、なーんにも残らなかったような。
    そんなことないか。
    だけどここから、まずは自分の親友になってあげて、自己肯定感を高めていくようにしていきたい。

  • 6月24日 前を向いて生きよ

    6月24日 前を向いて生きよ

    前を向いて生きよ。
    前を向いて生きていれば、生きてさえいれば、いつか暖かな陽射しに包まれるはずだから。
    誰かが死ぬ前に語ったというその言葉は、私がうまくいかなくて落ち込んでいる時に必ず、励ましの言葉として頭の中に浮かび上がってくるのだった。

    光。
    私には眩しすぎる光でも、その光自体を見るのではなく、光が照らしてくれる足元を見ることで、ゆっくりでも前に進むことができているのだ。

    少し、後ろが気になったりもする。
    だけどそれは私の思い過ごしで、私のすぐ後ろを誰かが着けているような気がするだけなのだ。
    だいいち、私のことなんて、誰も気にかけてはいないはずだから。
    そこまで、私は目立ってはいないのだから。

    高校生活が少しずつ終わっていく。
    みんな、同じクラスという箱に詰められた私たちは、それぞれの未来を信じて、前を向いて生きていく。
    私は高校生活でいったい、何を学んだのだろう。
    何かを学ぶことなんて、気にしなくても良いんだ、どうせ。
    どうせ、数日経ってから忘れていくようなことばかりだから。
    だけど、と思う。
    だけど、私は、どこからか照らしてくれる光を信じて、足元を見ながら、生きていく。

  • 6月23日

    6月23日

    体調が微妙。
    身体がぼーっとする感覚。風邪をひいたのかなーと思う。
    こういう時は無理せず、こういう時こそ無理せず、ちょうど仕事の切れ目だったので14時で早退。本当は出社する予定だったんだけどそれもとりやめ。
    こんな金曜日でもまぁ、悪くはないと思う。

    ふと、今朝方に見た夢を思い出す。
    情景がありありと思い浮かぶのは、目覚め直前に見ていたからだろうと推測する。
    雑踏。
    背の高く、細いマンション。
    ヘッドフォン。
    マンションの踊り場。
    取り止めのない夢なはずだけれど、果たしてそれが何かしらの意味を作って要るのやもしれぬ、と考えるのはきっと人間だから。
    人間って、取り止めのない出来事が立て続けに起こると、それを結びつけたくなってしまうから。