タグ: 2023年

  • 6月12日 「自分は我慢している」というマインド

    6月12日 「自分は我慢している」というマインド

    昨日お酒を飲んでないおかげか、身体が軽い感覚。
    お昼を少ししか食べなかったので、夕方になりお腹が空いてきた。
    血糖値が下がっているんだろうなぁ。
    お腹に溜まった脂肪を分解して栄養に使ってくれたら良いと思っているのだけれど、なんともはや、脂肪を分解するのにも糖質が必要らしい。
    *参考になるのはこの辺り

    今日はジムで5kmランニング。その前に肩周りを筋トレした。
    市でやってるジムなので、300円で使えるの、すごくありがたい。
    それくらいの金額だったら、多少時間が短くても割り切れるから(1時間しか使えない)。

    今日の飲酒量は、ビール1本と、ウイスキーをロックで1杯。
    ビールはご飯を食べながら、ウイスキーは食後にいただいた。

    今はまだ楽しんで節制できているけれど、これがもうちょい経ってみると物足りないんだろうなぁと思う。
    そこで、「自分は我慢している」というマインドでやるとダメになっちゃいそう。
    けど、改めて自分のお腹を見てみて、このお腹を凹ませるというモチベーションを手に入れつつ、もうしばらく頑張ってみようと思う。

    レイソルはとうとう最下位に。
    ここがちょうど折り返しというところ。
    日本代表戦があるということで、すこーしだけおやすみ期間に入るので、ここからまた昇ってってもらいたいと思う。

  • 6月11日 楽しい思い出だけ抱えて、生きていけたら

    6月11日 楽しい思い出だけ抱えて、生きていけたら

    今日は夜ラン。聖地、日立台のスタジアムを折り返し地点とした11km。
    すこーしだけ霧雨が降っていて、それが逆に心地よかった。

    今日は何か考えごとをしながら走ったかな、と思っても、特に思い当たるものはなし。
    深く考えずに、自分の走るペースと、心肺機能が限界を迎えないようにすることをずーっと考えていたような気がする。
    耳には2020年の私のプレイリスト。当時は長男がある日本のバンドにハマっていて、その曲がたくさん流れるようなプレイリストに仕上がっていた。
    あれから3年。そうか、2020年といえばやはりコロナウイルス最盛期だった頃じゃないか。
    私はずっと在宅勤務になり、生活がガラッと変わった。
    私なりに考えてみて、大きな変化は、通勤がなくなったことで本を読む時間がガクンと減った。当時はよく、朝と夕方にモラトリアムみたいな時間を設け、その時間にウォーキングをしたり、読書したりすると良いみたいな記事がたくさん目についた。
    私はそんなふうに時間を使うことはなく、仕事を長めにしたり、早く仕事が終わった時にはお酒を飲む時間にしたり、あまり特定の物事に決めることなく時間を使っていたように思う。
    いや、というか、2020年は私史上、一番やばいプロジェクトのQAをやっていたんだった。当時は21時からミーティングがあったり、朝も8時くらいから仕事したりなど、通勤時間がなくてよかった、なぜなら仕事ができるからみたいなマインドで生きていたのを思い出した。
    レイソルはどんな年だったっけか。J1に戻ってきた年だったよな。ミカがいたり、江坂がいたり、クリスがいたりした年だったか。何度かスタジアムに足を運んだような気がするけれど、ごめん、あんま覚えていないな。

    2020年なんて、つい最近のことなように思う。
    けれどそれから3年、きちんと地に足をつけて、生きてきたんだよなぁ。
    あの頃は楽しかった?と自問しても、あんま覚えてないんすよね、くらいしか返す言葉が見つからないんだけどね。
    過去、楽しかったかというと、その都度つらかったようなことがあったんだと思う、だけどそういうのって昇華してしまう気がするんだよな。
    楽しい思い出だけ抱えて、生きていけたら良いのかもしれないけどね。

  • 6月10日 Stay hungry, Stay foolish

    6月10日 Stay hungry, Stay foolish

    久しぶりに朝ランした。暑くて5kmしか走れなかったけど。
    自宅近くに流れる川沿いの、遊歩道をゆっくりと走った。
    いや、ゆっくりではないか。自分の中ではいつものペース、キロ5分40秒くらいの速さで、5km。
    こんな季節になってくると、だんだん虫が増えてくる。
    夜走っていたりすると、たまに、口や目の中に入ったりして難儀。
    彼らも生きてるんだよなぁ、一生懸命生きているのに、こんなよくわからない動物の口や目に入って、一生を終えるってどうなんだろうなぁ、とたまに思う。

    今日は走りながら、スティーブ・ジョブズが遺した言葉、「Stay hungry, Stay foolish」ってどっちが先だっけ、と考える機会があった。
    並びはどっちでも良くて、彼は、hungryとfoolishという二つの姿勢を述べたかったんだよなぁ、と考えた。
    hungry、つまり空腹な人、飢えた人を想像してみる。
    私がそういう状況になったら、どんな行動をとるであろうか。
    お腹が空いているんだから、その欲求を満たすために行動を起こす。
    その時に、めんどくさいなぁ、とか、きっと考えないだろう。
    お腹が空いているんだから、その行動を制限してしまうような「めんどくさいなぁと思う気持ち」は、その先には死を意味するからだ。
    貪欲であれ。
    私はITの世界で働いていて、それはもう日進月歩で技術が進化していく。
    私が今持っている知識は、すでに遠い昔の時に得たものばかりで、だんだん、取り残されていくのかもなぁ、と思ったりする。
    取り残されていくということは、上述した「めんどくさいなぁと思う気持ち」に近いのかもしれない。
    技術を身につけないと、いつかどこかでお前はクビだ、と言われてしまうかもしれない。
    それはジョブズが伝えたかった2つ目の、foolishにも通じるものがあるだろう。
    自分は何も知らない人間と当てはめてみることで、新たな知識を欲するという欲求が生まれるから。
    ジョブズもまた、ITの世界で生きる人だった。彼とウォズで作り上げた数台のMacで名を馳せ、その後も輝かしい製品を世に送り出した超人。
    そう、超人。もしかすると人間というレベルを脱していたのかもしれない。
    超人という言葉はまた、ニーチェが遺したものでもあったね。
    私はまだ、ニーチェがどんな背景をもたせたのか、よく知らない。
    これもまたfoolishという精神に基づき、近いうちにその意味を調べたいな、と思う。

  • 6月9日 お酒と私と低血糖

    6月9日 お酒と私と低血糖

    健康には常に気を配っておきたい。
    最近気づいたのだけれど、お酒をちょっと多めに飲んでしまった翌日、耳周りや指先が痺れるような感覚。あと急激な眩暈など。
    あまりにも頻繁に起きるよな、と気づいて、調べてみると、どうやら機能性低血糖というものらしい。
    らしい、だけでまだ病院とかに行ってないからなんとも言えないのだけれど。

    それが仕事中に起きたりすると、仕事に集中することなんてできないし、しばらくすると耐え難い空腹と発汗などの症状が出てきて、居ても立っても居られなくなってしまう。
    で、ゆっくりと私の過去を辿っていくと、どうやらお酒を飲みすぎた翌日に起きるような。
    そのまま知らないフリして過ごしていくと、たぶん、この先に糖尿病が待っているような気がしている。
    十分に運動しているのに?!とか思ったりもするんだけど、それよりもまずこのイヤな状態を脱するには、お酒を控えることが頭に浮かんだ。
    お酒を控えると言っても。うちにはたくさんのお酒があるんだよ。
    ついこの間買った知多なんて、まだ1杯しか飲んでないんだぜ。
    こりゃ困った、とは言いつつも、私には守るべき家族がいるのだから、そこは心を鬼にして、気持ちを切り替えようと思う。
    ちょうど良かったよ、痩せたいなと思ってたから、とかね、ポジティブに考えると、悪いことばかりではないと思うんだ。むしろ、お酒を飲んだせいでたくさんの時間を失ってきたんだから、お酒を飲まないことで得られるいつも通りの思考、それは飲んでるときと比較するといくらか正常な思考だと思うんだけど、それをうまく利用して読書したり、なにか書いたりすればいいと思うんだ。

    とは言っても、どうしても飲みたいときってあると思う。
    今日はその日だった。ということで、いきなり話の腰を折ってしまうのだけれど、缶ビールを1本だけ飲んだ。350mlの。
    いつもの私だったらここからワインとか、ウイスキーをロックで、といくところなんだけど、今日はなんとか踏ん張ってる。私にとって缶ビール1本ってのはほろ酔いにもならないレベルなので、飲んだうちには入らない!と自分で自分に言い聞かせている。
    健康第一だよね。なにはなくとも、健康第一。

  • 6月8日 手動テストのシナリオを自動化するのではなく、自動テストのシナリオを自動化すれば効率性、正確性の点でメリットがあるんじゃないか説

    6月8日 手動テストのシナリオを自動化するのではなく、自動テストのシナリオを自動化すれば効率性、正確性の点でメリットがあるんじゃないか説

    仕事で、自動化されたCucumberのシナリオを確認する仕事をしている。
    数百あるシナリオを、地道に1行ずつ見ていると、そのスクリプトを作成するチームのリードから、
    「数百のシナリオをある程度マージしたい。そうすることで効率的になると思うから」
    と言われた。

    ここで私は、ちょっと立ち止まって考えてみた。そのことを今日の日記に書きたいと思う。

    考えたというのは、手動テストを自動化していくよりも、最初から自動化することに主眼を置いたテストシナリオを用意する方が良いのではないか、ということ。

    まだ私の中で、自動化スクリプト(Selenium + Cucumber)の良し悪しを隅々まで理解していないので、なかなか上手いことは言えないのが心苦しいのだけれど、以下のような違いがあると考えた。

    • 手動テスト:表示された画面やデータベースに保存された内容を見て、開発されたものが正しいかどうかを確認する。人の目で確認する。
    • 自動テスト:画面表示テストだったら、画面を構成するものが正しいPATHとかで置かれているか、またデータベースの中にあるものだったら、適切なタイミングでストアされているかを確認する。機械で確認する。

    やろうとしていることは同じように思えるのだけれど、人の目と、機械で確認するという違いは割と大きいように思う。
    人の目だと、見逃す、勘違いする可能性がある。
    一方、機械(コンピュータ)で確認すると、見逃しや勘違いすることはないだろう。ただ、きちんと期待結果を入力しておかないと、どれが正しいのか分からなくなってしまう。ここさえきちんとすれば、自動化の方が(きちんとメンテナンスされていれば)いつでもできるという点、間違いがないという点で、こっちをちゃんとやっておきましょう、というふうに考えることができるのではないか。

    で、そうなると、手動テスト(人の目)をベースとして作ったテストシナリオよりも、自動テスト(機械の目)をベースとして作ったテストシナリオの方が、作りやすいなどあったりするのではないだろうか、と。

    いや、テストシナリオの中にあるテストケースの、テストで確認したいポイントは同じでも良いのかもしれない。順を追って進んでいくテストステップのところで、わざわざ画面に表示されている「ボタンを押す」という行為を機械に押させるようなことはしなくても良いのではないか。
    「ボタンを押した状態」を意図的に作り出せれば、その方がSelenium+Cucumberとしてやりやすいのであれば、メリットが多かったりしないだろうか。

    私に自動化スクリプト作りのスキルがないから、これは仮説でしかなく、ここにスキルが加われば、仮説を検証することができるのになぁ。
    Still Day 1、ここが始まりで、コツコツ勉強していけばいいんだろうけども。やろっかな。

  • 6月7日 地方創生 ソフトウェア 品質

    6月7日 地方創生 ソフトウェア 品質

    夜中に何度か目が覚め、その後にうつらうつらとしているところで何度か夢を見た。
    私はその夢をEvernoteとかTwitterにメモっておくのが好きで、そこから新たな着想を得られるからなのだけれど、今朝見たメモがなかなかのナイスアイデアだった。

    • 地方創生
    • ソフトウェア開発
    • テスト、品質
    • コンサル

    改めて見てみると、そのものズバリという感覚ではあるものの、地方のソフトウェアベンダーに対して、私の持つソフトウェア品質のあたりをベースにしてコンサルティングし、且つ必要となる人材を派遣して品質の向上を目指すみたいなビジネスモデルって、割とブルーオーシャンなのではないだろうか、と気づいた。

    多分私が夢の中で、地方に行きそこで頑張っているソフトウェア開発会社の人に品質向上をテーマとしたコンサルティング業務を請け負うみたいなものを描いたのだと思う。
    そこから得た着想を、忘れないうちにEvernoteにメモっていた、という顛末。
    地方で頑張っているソフトウェア開発会社は何社くらいあって、彼らが品質に対してお金を払いたいと思っているか。
    まずスタートラインはそこの調査から、ということになるかもしれない。
    とは言え、そんな簡単に事実を得られるとは思えないので、まずはココナラみたいなところで、私の持つナレッジを共有、気軽な相談会を作るところから開始しても良いのかもしれない。
    幸いなことにこちらはZoomで対応することが可能だから、気軽に話しましょう、みたいな敷居の高さを生かしつつ、やっていけるのかも。

    新しい事業を始めるのには勇気がいるだろう。
    私のこんな思いつきから、新たなビジネスが生まれるとか、というか「ビジネス」って呼んでいいのかわからない程度にしかならないかもしれないけれど、もしかしたら私の未来に、新たな可能性として道が生まれてくるかもしれない。
    怖いけどね。

  • 6月6日 自分の歩む先を、自分の理想とする方向へと

    6月6日 自分の歩む先を、自分の理想とする方向へと

    あの頃の自分に戻れたら、と自分のふっくらしたお腹を見て思う。
    あの頃、今から10kgぐらい痩せていた頃の体型が、とても大好きだった。

    過去の、自分がかつて歩んできた道の頃を考えてみることは、自分を前進させているのだろうか。
    もしかすると、今の自分という存在を否定しているのではないか、と。

    違うのだ。
    今の私は未来に向かんで少しずつ歩んでいるのであって、過去の自分に戻りたいわけではない。
    たまたま、私の歩んできた道のなかで、「あの頃は良かったな」と思える瞬間を思い浮かべているだけなのだから。

    もしかするとそれは、恵まれていることなのかもしれない。
    自分の思い描く理想を、自分が歩んできた道の瞬間に出会っていたのだから。
    だとすると、今の自分をまず肯定してあげて、あの頃生きていた自分を思い描き、それに向かって進むだけなんだろうな。

    未来って難しい。難しいけれど、未来は359°の可能性に満ちているから、自分の歩む先を、自分の理想とする方向へと足を向けるだけなんだよな。
    もしかすると、私の選択は、未来の方向性を340°狭めてしまうかもしれない。だけど、残り19°あるんだから、そこからまた自分の思い描く方向へと、足を向ければ良いのだろう。

  • 6月5日 大数の法則とマッチングアプリ

    6月5日 大数の法則とマッチングアプリ

    ちょっとした投資を始めてみると、今まで考えていなかったようなことに出会う。
    大数の法則とか、なんかどっかで聞いたことのある名前だったが、投資を続ける上でかなり重要な法則だということに気づいた。

    簡単にいうと、サイコロの目。
    何度か振ってみると、ある数値に偏った結果が出るかもしれないが、その回数を繰り返していくと、限りなく1/6に近づくというようなもの。
    つまり投資も同様で、何度も繰り返していくうちに、勝率が50%になっていくのだろう、ということ。
    私はまだほんとに始めたばかりで、実をいうとすでに10%くらい負けてしまっているのだけれど、もっと少額で繰り返すことで、徐々に勝率を上げていくことができるのではないだろうか。

    同様のことを考える。
    数打ちゃ当たる、なノリ。
    例えば、ある女性のことを好きな男性がいるとする。
    この男性は奥手で、女性と話そうとすると目を合わせることすら難しく、喋ろうとすると敬語になったり、声が上擦ったりしてしまう。
    こんなことではいつまで経っても付き合えないと考えた彼は、ある日、大数の法則を知る。
    男性はすぐさま、自分の女性遍歴について考えを巡らせる。
    もしかすると、数打ちゃ当たる方式で、僕にもいつの日か彼女ができるかもしれない。
    そう考えた男性は、マッチングアプリに登録する。
    いいな、と思った異性には積極的に声をかけ、会うようになる。
    最初は相変わらず声が上擦ってしまったけれど、確かに、場数を踏んでいくと声はそのまま出せるし、やがて目を合わせることもできた。
    男性はさらに雑談力を磨いていく。相槌の打ち方、目の合わせ方。
    ご飯の次にはデザートを食べるという、王道の順番。
    そしてようやく、男性には意中の人のハートを射抜く。

    なんて、典型的なサクセスストーリーだけど、これって大数の法則に則って何度も繰り返したというところが報われたワケだし、

    ていうか、

    割とこういう話ってあるような気がしてきた。
    大数の法則に則ったストーリーを考えれば、意外に売れたりするかもしれない。

  • 6月4日 何のために走るのか

    6月4日 何のために走るのか

    今日は久しぶりに10kmを走った。
    途中何度か歩いてしまったけど、なんとか走り切ることができた。

    私がは知りたい理由ってなんだろう。
    走ることで得られる達成感のためだろうか。
    こんな良い季節で、いくらでも走れるような身体を持ち、息の続く限り、そう、メロスのように走ることが、私にとっては最高の糧になるような気がするから。

    いや、多分それは思い込みで、人間って本来は走るために作られたからだではないんだろうなと思う。
    お腹の辺りに脂肪がつくし、そもそも長い距離を走るのであれば馬のように、足は細くあるべきだから。

    だけど走る。走った後に飲むビールは美味しい。
    そのために走ってるのかな、もしかすると体にとってはよくないことなのかもしれないけれど、私の充実感を獲得するためには、必要なのかもしれないから。

  • 6月3日 私のやめることリスト

    6月3日 私のやめることリスト

    6月にしては珍しい台風が去り、空気が綺麗になっているような感覚。
    まだきっぱり晴れておらず、空気自体はひんやりしている。
    そうだ、風はまだ6月のものだったんだ。台風なんてものが来ていたから、私はまだ季節自体が夏前ですよ、ということを忘れていたんだね。

    さっき図書館へ行ってきた。
    少し古い造りのそれは、本棚が低く設定してあり、とても見やすいのだけれど、逆に一番下の棚はものすごく見づらいんだよね。
    実際、一番下の棚にある本って借りられる率が低いんじゃないかと思うわ。

    今日はなんとなく図書館へ行ったので、偶然の出会いに期待してたんだよな。
    最近ちょっと気になってる投資のほんと、あと、やめることリストみたいな本を借りてきた。
    後者は、私がかねてより気になっている承認欲求のこととか、自分が苦しめば良いという考えをやめてみる、みたいなことが書いてあったので、こういうのって必要だよな、という気持ちと共に、借りてきた。
    ぱらぱらっとめくってみると「嫌われるの誤解をやめてみる」とか。
    ふむふむ、そうだよな、私なんてまさにこの「嫌われないように暮らす」ことを考えてしまっているから、これで自分の首を絞めちゃってるのかもしれないよなぁ。
    嫌われる勇気も読んだんだけど(こっちは買って読んだ)、結局のところ自分が嫌われないように意識してるんだよなぁ。

    人間関係のトラブルって、誰の身にも起こりうる「厄災」のようなもの。…「嫌われるんじゃないか」のほとんどは誤解。

    なんか勝手に人生がよくなる やめることリスト

    なるほどなぁ。過去、私が、嫌われた!と思ったことって、実は私の誤解だったかもしれない。本当は嫌われたのではなく、相手がたまたま機嫌が悪くて、私に八つ当たりしただけなのかもしれない。
    もしかすると今はもう、私のことを嫌ってなんかはいなくて、私がずっと「あの人から嫌われている」と考えに執着しているだけなのでは、と。

    考え方次第だよなぁ。過去との付き合い方っていう話なのかもしれない。