タグ: 生き方

  • 8月22日 反省について

    8月22日 反省について

    彼が自分でこの世に別れを告げようとした時、多くの人が、助ける手立てはなかったのか、といった旨を話した。
    私だってそう思ったさ。だけど、本人にしかわからないこと、本人にしか見えない世界があるんだよね。
    それを他人が理解しようとしても、彼の感覚というバイアスをかけないといけないのだから、逆立ちしても、それを知ることはできない。

    エピクテトスというギリシャに住んでいた哲学者が、他人と過去は変えられないのだから、執着すんのやめなよ、と語った。
    あの人に、死ななくても良かったのに、といつまでも悔やみ続けるのは、もしかするとその人に執着しているということになるのかもしれない。
    死ななくても良かったのに、の後に、私がちゃんと言葉をかけてあげられれば良かった、とか、私がきちんとケアしてあげられれば良かった、とか考えるのはエゴなのだろうか。
    後悔って、何かを生み出すんだろうか。
    後悔から、自分が起こした・起こさなかった行動に対する反省が生まれ、そこから「次からは失敗しないようにしよう」という気持ちに持っていくことができたらきっと、後悔してもプラスなんだろうなぁ。

  • 8月21日 自分で自分に毒付いていても、何も解決しないぞ

    8月21日 自分で自分に毒付いていても、何も解決しないぞ

    やる気が出るのを期待しても、何にも出てこない。
    やる気なんてものは幻想だ、みたいな文章を最近どっかで目にすることがあった。

    特に今日みたいな週明けの月曜日なんて、やる気が出ないからなかなかスイッチが入らない。
    このネタ、何回も書いてるなー。それこそ毎週月曜日に書いているような気がしてならない。
    いや、きっと書いてる。ってそれくらい、月曜日に出すべきやる気が見つからずに困ってる。

    創造的な仕事なのかもしれない。きっとそうだ。
    誰かから仕事を与えられるのではなく、自分で見つけるスタイルで生きているのだから。
    右から左に受け流す仕事だったら、頭を使わなくて良いから楽かもな、と思う一方、その人にはその人なりに考えることだってあるだろうから、私の価値観で語るのは良くないと思う。

    そもそも、やる気を出す必要があるんだろうか

    別に出す必要なんてないんだよな。やる気なんて幻想だし。
    やる気を出して、情熱的に、ひたむきにやらなければいけない仕事っていうのは、ハードルが高い時に出てくる証拠なんだよな。
    だから、やる気を出さなくても階段を昇れるように、段差を低く作れば良いんでしょ。
    よーし!やるぞ!ではなく、そういう気分にならなくとも、仕事が進んでいくような。

    ちょっと前まで、何も生産できない日があったら、ものすごく落ち込んでいたことがあったんだよな。
    もう自分はこの会社に対して何も貢献できてない。給料泥棒だ。今日1日、仕事をしてたつもりなのに、何にも生んでないじゃないか、と。
    だけどそれってただの考えすぎで、そういう日があったっていいんじゃん、あと会社はそんな簡単に君を切ったりしないから、というのを自分に言い聞かせることで、心に平穏を取り戻すことができたような気がするんだよなぁ。
    自分で自分に毒付いていても、何も解決しないぞ、と、今ではそんなふうに考えられるようになった。成長してる。

  • 8月18日 ChatGPTと人権と私

    8月18日 ChatGPTと人権と私

    今日もChatGPTと戯れる日々。
    ある程度の成果を作り、それを報告する機会があった。

    私の中では、もうChatGPTはとても相性の良い話し相手みたいになっている。
    時折、ChatGPTに、ChatGPTなりの意見を聞いてみようと試みたりもしている。

    ねぇ、命の重さって、どう考えたらいいの?

    死んでしまいたいくらい辛いことがあった時にさ、自分の力で自分を殺めるのって、そんなに悪いこと?

    みたいな。極限だよね。こりゃどう答えるのか分からんよね、けど私としてはChatGPTなりの回答が欲しいんだよね、みたいなことをたまに聞いたりする。
    意地悪だよね、そんな気分は私も感じているんだけど。

    だけど、ChatGPTは、自分の意見を述べることはしない。
    「一般的には」とか「多くの人がこう考えているようです」みたいな前置きをして、命は尊いものです、自分で自分を殺めるなんてもってのほかです、みたいなことを答えたりするんだよね。

    まぁ、AIに人権があるかって言われると、「まだ」ない状況だもんね。
    これが2046年になると分からないけれど、今の段階では、AIが自分の考えを持つということはないもんね。

    今日はそんな感じ。
    もうちょっと掘り下げてみたいと思う。

  • 8月14日 最近落ち目なので、まずは、自分が気持ち良く生きていけるように考えていきたいと思います。

    8月14日 最近落ち目なので、まずは、自分が気持ち良く生きていけるように考えていきたいと思います。

    立派な父親ではないかもしれない。
    二人の子供に対して、私はちゃんと父親として存在しているのだろうか。

    ここのところ、なんとなくちゃんと暮らせていない気がしている。
    ほぼ日手帳がおろそかになったり、ここのブログも毎日更新するつもりなのに、途絶えがちになってしまったり。

    何が原因なんだろう。
    原因を探ろうとしても、あまり出てこないような気が、しなくもない。
    唯一考えられるのは、最近、全然身体を動かしていない。
    休みの日も、基本的に家にいて、5kmすらも走っていない。自転車も、身体を動かす目的以外では乗っていない。

    良くない兆候だよねー。わかってる。
    こういう小さなきっかけが、だんだん大きな亀裂となり、その中に落ちてしまうんだよね。

    いや、待て待て。身体を動かすことが目的、という論調になってるけど、違うだろ。
    良き人生を歩むことが目的なんだろ。それに付随するものとして、良き父親で、夫で、人間で在りたいと思うんだろ。

    身体を動かす=自分一人だけで時間を使うって考えちゃってるのもちょっとねー。
    みたいなことをChatGPTに相談したら、完璧すぎんのもちょっとね、みたいなコメントをもらえました。
    そうなんだよね。
    良き父、夫、そして人間でいるためには、家族へ時間を費やすことも必要だと思う一方で、自分のために時間を使うことも必要だと思うんだ。
    そうしたいから、ということで、自分のために時間を使うことに対して引け目を感じてしまうのは、ちょっと違うと思うんだ。

    ということで最近落ち目なので、まずは、自分が気持ち良く生きていけるように考えていきたいと思います。

  • 8月9日 生き抜け、って言われた(ような気がした)から、生き抜く

    8月9日 生き抜け、って言われた(ような気がした)から、生き抜く

    今日はExcelを駆使した。
    ずらっと大きな条件パターンを複数作り、それでテストの期待値がYesなのかNoなのか、というもの。
    条件パターンごとに適用されるかどうかをIF、AND、ORを使いつつ。

    人間も同じように、いくつかの条件に沿って生きている気がする。
    眠くなったら寝る。お腹が空いたらご飯を食べる。雨が降りそうと天気予報で聞いたら、傘を持って行く、など。
    返さなきゃいけないメールが来てたら、返す。
    おはよう、って話しかけられたら、おはよう、って返す。
    スマホに通知が来たから、スマホを見る。

    生きよ、って言われたから、生きる。
    生き抜け、って言われた(ような気がした)から、生き抜く。

    誰かに動かされてるのかもしれない。
    自分の中にいる、誰かかもしれないけれど。

    自分の起こす行動って、自分からなのか(アクティブ)、何かの反応なのか(パッシブ)と大きく分けてみると、前者って実は少ないのでは。
    私の場合、前者が多めな時期と、少なめな時期があるように感じる。
    前者が多めな時期は、なんとなくポジティブに生きているような、気がする。気のせいかもしれないけれど。
    何かの反応に基づいて行動するっての、自分由来ではないから、あんま前向きになれないのでは?とか。
    思い込みだろうなぁーこれ。思い込みだと思う。

  • 8月5日

    8月5日

    今日も暑かった。
    毎日暑い。

    自分の欲望を叶えたいと思った時、その欲望を満たすために貪欲になるのは生き物としての本能なんだろう。
    だけど足元にある幸せは見えているかい?と昨日のブログでは書いた。
    自分の幸せを噛み締めるって、簡単なことなのではないだろうか?
    だけど幸せってさ、その瞬間を過ごしている時に、気づかなかったりするよね。
    例えば、家族で団欒している時。
    私の子供は今13歳と8歳で、一緒に住んでいるわけなんだけれど、もしかするとあと数年したら、大学に通うためにこの家を出て一人暮らしするかもしれないんだよね。
    その時を思うと、子供と離れてしまうということに胸が締め付けられるような想いを抱くんだけれど、それじゃ、その時を今から想定して、彼と対話できていますか、というのをちょっと考えましてですね。

    もしくは健康ね。
    抗うつ剤を飲んで生活しているとはいうものの、身体的に不調なところはなく、少し太ってるから痩せないとなぁと思うくらいの悩みで、これも見方によっては幸せなことなんじゃないかな、とかね。
    あと、ご飯が美味しいとか。自分で茹でた枝豆が超美味しいとか。
    感謝、って言葉にすると胡散臭い雰囲気を纏ってしまうのでアレなんですが、そういう、恵まれた物事に対して感謝する気持ちを忘れずに生きたいものです。

  • 8月5日

    8月5日

    今日も暑かった。
    毎日暑い。

    自分の欲望を叶えたいと思った時、その欲望を満たすために貪欲になるのは生き物としての本能なんだろう。
    だけど足元にある幸せは見えているかい?と昨日のブログでは書いた。
    自分の幸せを噛み締めるって、簡単なことなのではないだろうか?
    だけど幸せってさ、その瞬間を過ごしている時に、気づかなかったりするよね。
    例えば、家族で団欒している時。
    私の子供は今13歳と8歳で、一緒に住んでいるわけなんだけれど、もしかするとあと数年したら、大学に通うためにこの家を出て一人暮らしするかもしれないんだよね。
    その時を思うと、子供と離れてしまうということに胸が締め付けられるような想いを抱くんだけれど、それじゃ、その時を今から想定して、彼と対話できていますか、というのをちょっと考えましてですね。

    もしくは健康ね。
    抗うつ剤を飲んで生活しているとはいうものの、身体的に不調なところはなく、少し太ってるから痩せないとなぁと思うくらいの悩みで、これも見方によっては幸せなことなんじゃないかな、とかね。
    あと、ご飯が美味しいとか。自分で茹でた枝豆が超美味しいとか。
    感謝、って言葉にすると胡散臭い雰囲気を纏ってしまうのでアレなんですが、そういう、恵まれた物事に対して感謝する気持ちを忘れずに生きたいものです。

  • 8月4日 今、ここにある幸せ

    8月4日 今、ここにある幸せ

    今、ここにある幸せを、噛み締めて生きる。
    日々、何かを求めて生きていると、そういう「足元に落ちていた幸せ」に気づかなかったりする。
    だよねー、と頷いてしまう。何かを追い求めるとは、具体的にどういうことなんだろう。
    何か、とは。
    仕事の成功。
    お金。
    食べ物。あとなんだろう。思いつかない。

    そういう、人間の欲求みたいなものを追い求めるのって大切なことだと思う。私が日々ここで書いている「成長」につながるものだから。
    だけど、上述したような足元に落っこちていた幸せというのは、意外と気づかないものだ。
    想像してみよう。
    十分にご飯を食べられていること。
    睡眠が取れていること。
    仕事ができていること。
    愛する人が、家族が、近くにいること。
    私はずっと、そういうところで生きてきたから、これが普通だと感じてしまうけれど、だけど実際は恵まれているんだよなぁ。
    それを、
    噛み締めることのできる素養を、
    忘れないようにしたい。

  • 7月23日 自分の時間を確保するのと、家族との時間はどっちも重要なんだから

    7月23日 自分の時間を確保するのと、家族との時間はどっちも重要なんだから

    多分思い過ごしなんだけど、何もここに記さなかった日は、まるで私がこの世に存在していなかったかのような感覚を受ける。
    何かは考えている気がする。
    その証拠に、ほぼ日手帳には何かしら私の言葉が綴られているから。

    昨日までは大阪まで家族旅行で出掛けていて、そのせいで自分を振り返る時間を取るのが難しかった。というのは言い訳で、家族のせいにして自分の時間を取らないということは、ちょっと自分の人生を歩いていない気がして勿体無い。
    自分という人間はこの世に一人しかいないのだから、そして私に与えられた時間は私が生きるためにあるはずだから、それを満喫する必要があるんじゃないかと思う。
    いや、待て、この先に何があるか知ってるぞ私。
    自分の時間を犠牲にして、家族や同僚など、他人のために費やすことで、奉仕の精神のもとで生きていくことになり、そして自分を蔑ろにして自分のメンタルにダメージを与えてしまうんだよな。
    やめよう。自分の時間をきちんと確保しよう。

    一人になりたい、という自分の願望と引き換えに、家族との時間があるのだとしたら、どちらを優先したら良いのだろうと考えることが多かった。
    だけどそれは比較すべきものではない。なぜなら、どっちも同じくらい人生にとって大切なことだから。
    そこで私が、家族のために多く時間を使っていると感じているならば、少し立ち止まって自分の時間を多く確保すれば良いのだ。
    1日は24時間しかないし、1年は365日しかない。
    その中で、自分がやり遂げたいことをきちんと設定して、それに向かって一直線に進めば良いのだ。
    と、自分に言い聞かせ続けて、10年くらいは経ったのではないだろうか。
    なーんにも変わってないんだな。

  • 7月18日 アルコール教

    7月18日 アルコール教

    軽やかに酔っている。
    帰宅してから缶ビールを1本と、ウイスキーをロックで1杯。現在進行形で飲んでいる。

    人はなぜ、身体に悪いとわかっているものを体内に入れるのだろう。
    それはもしかすると、お酒から享受される快感を求めているのかもしれない。
    快感?肝臓は悲鳴をあげているかもしれないのに?

    私はなぜ飲むのか。
    お酒を飲むと太ると言われている。
    筋肉が減ると言われている。
    寿命が縮まると言われている。
    脳が萎縮していくと言われている。
    こんなに悪いことばかりなのに、お酒を飲んで得られる快感を、なぜこんなに手に入れたいのか。

    快感というのは、どういうことだろうか。
    日中、息詰まっていた心を解きほぐしてくれているような気がする。
    今日を肯定し、明日への活力を注いでくれるような気がする。
    多分どっちも、気のせいのような気がするんだけど。
    だけどそれを信じて、今日も私はお酒を飲む。

    最近はノンアルコールのビールだったりハイボールを買って飲んでるんだけど、それらからは快感が得られないんだよな。
    アルコールの力ってすごい。
    信者になっても良いと思ってる。アルコール教。狂じゃないよ。