タグ: 生き方

  • 5月24日 最近の私

    5月24日 最近の私

    なんでもかんでも理想の自分、理想の生活を送ることを願ってやまないのだとすると、それが成長のためのモチベーションになっているならともかく、そうではないという状態なのだとすると、ちょっと変に固執しちゃってるんじゃないかな、って思いますよね。

    はい、私のことです。

    いつも何かが気に入らない。

    自分の思い通りにいかないから気分が悪い。

    いや、流石にここまでの感情を抱いているわけではありませんが、その、現実に対する不満を抱きながら生きていくのはとにかくストレスが溜まるんですね。

    更に悪循環なのは、そのストレスによってメンタルやフィジカルの体調を崩し、更に悪い方向へと向かっていくという様。

    分かってる。分かってる。

    私がここで「不満を抱いているんです〜」と言ったところで、解決するわけではない、ということを。

    先日読んだ本

    先日図書館で、「うつヌケ」という本を借りました。

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    うつヌケ うつトンネルを抜けた人たち [ 田中 圭一 ]
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    この本を置いてくれた私の市に感謝です。

    この本はうつを体験した人たち、またはまだ完全に抜けきれていない人たちの体験談を漫画で紹介したもので、結構有名な方の話とか載っていてびっくりしました。大槻ケンヂがうつになっていたとはね。
    さて、その中で、私が「なるほどなー」と思ったのが、

    うつの原因になったものを根本から絶やすのはかなり難しい。それよりかは、そのものと一緒に暮らしていくことを考えていくべき。

    うつヌケに載ってたのをなんとなく自分で解釈したもの

    そうなんですよね。

    私、きっかけってなんだろうって考えたりするんですが、現実に対する自分の無力感だったり、生きてる意味とは、、、?みたいな問いだったり、そういうのに打ち克つのってなかなか難しいですよね。

    前者、現実に対する自分の無力感については、冒頭に書いた内容にも近しいのですが、今の自分が置かれている境遇や現実をきちんと受け入れることがまず大切なんではないかと。成長につながるような思いだったらいくら抱いてもいいと思うんです。

    もっとプログラミングのスキルをつけたいぜ!とか。英語もっと上達したいぜ!とか。

    だけどそっち側に気持ちを向けるのだってなかなか難しいですね。

    めっちゃ力使うし。

    後者、生きる意味とは、、?については、考えてもしゃーない、という書きっぷりでした。確かにそうなんすよね。なので私も、その考えに乗り、考えてもしゃーないことは考え続けないようにしていこうと決めました。

    お酒だって飲みたいし。食べたいものたくさん食べたいし。とは言え体は太りたくないからなんとか理想の体型に近づけたいし。

    最近の私はずっとこればっか。

    幸せな悩みなのかもしれないですが。

  • 5月8日 心療内科では根本治療することができないものごとについて

    5月8日 心療内科では根本治療することができないものごとについて

    久しぶりにブログを書きます。
    ここのところ自分の気持ちを整理したり、処理することをサボっていて、だからブログを書くために文章を考えようという気持ちからもちょっと遠ざかっていたりして。

    近況はこのくらいで。

    「もういなくなってもいいかな」という気持ち

    タイトルに書いた「ものごと」というのは、もう死んじゃってもいいかなぁーという気持ちについてです。
    私、今日心療内科へ通院する日でしたので、病院の待合スペースで待つ間、ぼんやりと最近の気持ちについて考えてみたところ、以下のような気持ちでした。原文ママ。

    • めっちゃ楽しい!という日常ではない
    • まぁ、帰りに事故を起こして死んでしまっても、別にいっかな、くらいの
    • 心配なのは家族。私の代わりに家族を養いまっせ!っていう人がいたら甘えてしまうのでは
    • ってかさ、死んじゃってもいいかなー、っての、考え方を変えないとずーっと心療内科に通うことになるんじゃないの?!

    そこで、待てよ、と。
    最後のやつ。考え方を変えようぜ、ってやつ。私なりに考えてみたんですけど

    というか多分、同じ内容を何度かここに書いている気がするんですよね。
    根本を断ち切らないと、いつまで経っても同じところをぐるぐる回っているだけなのかな、と思い至りました。

    悩みの主役を変えろ。いい加減いつもと同じ主人公にばかり付き合ってちゃダメだ。

    読み人知らず

    結局私って、いつまで経っても「死んじゃってもいいかな、って思っているんだけど、これが正しくないことに気づいていて、だから考え方を変えた方が良いと思う(これが根本なんだと思う)一方で、ここに寄りかかってるのってなんか楽なんだよね。いつでもそっち側に行けるっていう保険がかかってるからなのかな」みたいなところから抜け出さずにいるんですよね。
    これって全くもって不健全で、不健全です!って言い切れるところにいるのだから、考え方をがらっと変えてみる必要があるのではないかと思うようになりました。

    では一体、どう変えたらいいのか。
    多分なんですが、ポジティブな方に寄せるのがとりあえずの逃げ道になるのかな、と思い、
    もう死んじゃってもいいや=後悔はないぜ!今まで歩んできた選択肢は全部正解だったぜ!
    ってことなのかなぁ。こっち側に全振りするのは難しくて、なぜなら私がそこまでポジティブ人間じゃないからなんですけど、
    だけど、これを一つの道標として掲げることで、少しだけ、今の自分にサヨナラを言って新しい自分になれるのかな、

    なんてことを考えたゴールデンウィーク明けの平日。

  • 12月26日 役割の話

    12月26日 役割の話

    電車の中で、今日起きたことを思い返す。内省というほど立派なものではないが、事実として起こったことに対して私がどう考えたかを、ゆっくりと思い返すようになったのはいつからだっただろう。

    2023年が終わっていく。すでに多くの人が休みに入っている中、私は誰とも話す予定がないのに出社する。この、出社というものはコロナ禍によって考え方が大きく変わった。自宅で働くことを覚えてしまった人間は、出社することの意味が分からなくなってしまったのだ。私もその「多数」から溢れることなく、出社の頻度を増やすようになってからもその意味を思い出すことができない。

    コロナ以前は、出社することが当たり前だったのだ。その、「当たり前」という感覚を忘れてしまった人はいったいどうやって思い出すことができるんだろう。

    違う例で考えてみる。自転車に乗ること。感覚で覚えてしまったから、手足のバランスとか、どのタイミングで足に力を入れるとか、言葉で説明するのが難しい。だけど、自転車は乗れる。

    出社はそれと同じことなのかもしれない。こうして通勤している時間があれば、自宅で仕事ができるのではないか、と言ったような思いを拭う術を思いつくことができないのだ。

    その根底にはきっと、「出社するなんて無意味だ」という思いがある。一方、私たち「多数」を雇う経営者側には、「出社してコミュニケーションを活性化し、仕事の生産性を上げたい」という思いがあるはずだ。その両者が持つ思いが一体化しない限り、この乖離を埋めることなんてできないだろう。

    いくつかの大きな川を越える。その、それぞれの縁には見知らぬ家がいくつも建っていて、私の知らないところで生活を営んでいる人間がいる。

    その、見知らぬ人間の生活を思いながら、私は自宅へと帰路を進める。

    そこで、ふっと、あることに気づく。

    自宅へ向かう帰路の最中、私の心の中には帰宅して「会社の中の人間」から「自宅で過ごす人間」と役割を変えていく心の準備を行なっているのではないか。

    「会社の中の人間」のまま、「自宅で過ごす人間」の役を演じることは難しい。一人称だって「私」から「俺」、もしくは「お父さん」になるのだから、他者は混乱してしまうだろう。

    その、彼らを混乱させないように私は、心の準備を、通勤という時間の中で行なっているのではないだろうか。

  • 9月24日 自分の機嫌を取るのは、自分自身なんだから

    9月24日 自分の機嫌を取るのは、自分自身なんだから

    今日は休息日。
    家周りの不要になったものをゴミ捨て場まで持ち込んだり、お風呂のバスタブの中を掃除したりした。

    家の掃除をすると、気持ちがスッキリする。
    何もしないでぼーっと、スマホをするよりも生産的!と個人的に感じられるからだと思う。
    何もしない日っていうのももちろん大切だけど、少しでも気力があるなら、何か身体を動かした方が良いなと思った。

    もちろん、生活の中でうまくいかない日だってある。
    そういう時は無理に身体を動かすことなく、好きなものを食べたり、何か好きなものを鑑賞したりすることで、少しだけ気持ちが暖かくなるような気がする。
    会社の人から聞いた話だけど、歳をとってくると自然と後ろ向き、下向きになってしまうことが多いから、そう感じたときは勤めて明るいものを観たり聞いたりすると良いそうだ。
    それを聞いた時は、感受性を広く持っておきたいと思ったからネガティブなものもあえて取り入れることで自分の幅が広がるよなと思ったけれど、44歳になり心療内科で抗うつ剤を飲むようになってからは気持ちが変わった。
    暗い話を聞いて気持ちが明るくなるなんてことはない。
    そもそも自分自身の中から「明るい気持ちを生み出す」ことなんてどんどん少なくなってくるんだから、そういうときは外から取り入れるに限るのだ。

    人生は長い。
    自分の機嫌を取るのは、自分自身なんだから、勤めて明るい気持ちでいようと思う。

  • 9月15日 過去と現在と未来と私

    9月15日 過去と現在と未来と私

    うまくいったこと

    • 上長へのプレゼン。自分のやりたいことを心理的安全の中で話し、それに賛同してもらえるのって気持ち良い。単純に嬉しい。
    • お酒を飲まずに夜を迎えてる。昨日飲みすぎたってのもあるんだけど、金曜日から享受される開放感の中で、誘惑に負けずに飲まない時間を過ごしている。

    うまくいかなかったこと

    • 特になし。今日はだいたいうまくできた。花丸。

    改善できる点

    • お酒は毎日飲むものというマインドセットを切り替える。せめて1日おきとかにしないと。

    所感

    • 伊坂幸太郎のAXを読了した。読むのは3回目くらいだろうか。ちょっとネタバレになっちゃうのでアレなんだけど、過去と現在、そして未来を結ぶ話。そこからちょっと考えたんだけど、現在って今、この瞬間に過去というものになってしまう。数日前くらいの日記で、過去、自分が失敗してしまったと思う過去に対し、同じ過ちを繰り返さないようにしようと人間は考える。これは成長と言っても良いんだろう。未来のことは誰にも分からないけれど、現在を楽しむことで、また失敗しないように生きることで、それが「良いと思う過去」に結びつくんだと思う。失敗しないように生きるのって難しい。私は小心者で、多分慎重な人だと思うんだけれど、そんな私でもたくさんの失敗を経験してきた。いつまで経ってもそれは改善されることなく、同じような失敗を繰り返してしまうんだけど、それでも、現在を楽しく過ごそうという気持ちを持つことは、良い過去を作り出すために必要なことなんだと思う。明るく生きるとか、そういうのも同類なんだろうな。
  • 9月9日 もがき

    9月9日 もがき

    うまくいったこと

    • 1日を期限良く過ごすことができた。機嫌を良くしつつ生きることは、壮年世代の目標なのかもしれない。機嫌の悪いおっさんってただひたすらめんどくさいだけだもんね。

    うまくいかなかったこと

    • 特になし。ちゃんと生きられた時点で今日は花丸。

    改善できる点

    • 特になし。今日と同じような心持ちで生きていければ、死ぬ時に後悔しないんじゃないかと思う。

    所感

    • 機嫌を良くするのも悪くするのも、簡単なことのように思う。けれど機嫌って意識的に変えられるものでもなくて、たまたまイヤなことが重なった(信号が3つ連続で赤だったとか)時に、無意識のうちにイライラし、そして機嫌を損ねてしまうことがあるのだ。そうなると機嫌を取り戻すのは難しくて、よほどの良いことがないと、前を向くことができないような気がする。人生を長く生きている壮年世代にとっては、その培った経験の中で、自分が何をすれば機嫌を良くすることができるのか、分かったりするだろう。その、解決の糸口を慎重に掴み、手繰り寄せることによって、いつの間にか前を向いていたということになったりもする。私の場合はランニングとか、身体を動かすと自然と前を向けるような気がする。多分それって科学的にも証明されているようなことで、身体を動かすと良い感じのホルモンが分泌されて、その結果前を向く、みたいな理論があるだろう。つまりそういうことだ。
    • 一方思春期とか、その辺の世代には、自分が何をすれば機嫌を回復できるのか分からなかったりする。そういう時、いったいどうしたらいいのだろう。多分だけど、そこでもがくことが必要なのではないかと思う。一見無駄に見えるようなことでも、それを実直に続けることによって達成感が生まれ、その副産物として良い機嫌を手に入れることができるのではないだろうか。つっても、44歳になった今でももがくけどね。もがくことで何かが見えてくると確実にわかるのであれば、ガンガンもがくんだけどな。そういう場合だけではないことも知っているから、人生に正攻法ってないんだろうなぁ。
  • 9月4日 酔ってる

    9月4日 酔ってる

    他者から嫌われても良いから、自分の思うように、自由に生きよう。
    かねてよりいろんなところで叫ばれているこの言葉は、私は、嫌われる勇気から学んだ。
    それを実践するほどの強い心を持っていないから、結局は読む前と変わらず、他人に気を遣って生きている。

    別にそれが悪いことだとは思わない。
    これも嫌われる勇気から得た言葉だけれども他者への奉仕というマインドセットが、私の行動を引き起こしているような気がしてならない。
    別に自分の気分が良ければ、それで十分だと思うんだけどね。

    先日、過去に私がとった行動がたまに思い返され、私は、あぁするんじゃなかった!もっとこうしていれば!とジタバタしたくなってしまう、みたいなことを書いた。
    その頃の私に寄り添うのであれば、私は、当時私が取りえる選択肢の中で最良のものを選んできたはずだから、それが間違っているとは言えないよね。数年後の未来に、それを思い返したとしてもきっと、当時の私の背中を優しくさすることができるような私になっていたらいいな、と思う自分がいる。

    行動って自分の意思だったり、無意識に取ってしまったりするけれど、結局のところ私が悲しまない、悔しがらなければ良いのであって、必ずしも失敗だった!と思えるようなことって案外少ないんじゃないのかな。

    酔ってる。
    意見のポイントが右往左往しているのがわかる。

  • 9月3日 4人で一緒に過ごす日々が、

    9月3日 4人で一緒に過ごす日々が、

    人生の大半は、記憶にも残らないイベントばかりだ。
    私の人生で記憶に残ったことなんて、両手で数えられるくらいじゃないだろうか。
    一瞬一瞬をきちんと記憶に残しておきたいと思うけれど、そんなのは不可能で、昨日食べた晩御飯すらも覚えていないような感覚。

    記憶に残るのと、残らないのってどんな基準なんだろうなぁって常々考えていて、
    それはもしかすると「定期的に思い出すこと」が必要なのではないかと思ったりしている。
    定期的に思い出すってなかなか難しくて、定期的に思い出そう、ということすら忘れてしまう現状では全部の記憶を拾うことなんて至難の業だよなと思う。

    別に、忘れても良いんだよね。
    記憶の貧乏性とでも言おうか、写真と同じで、なるべく多くの物事を覚えておきたいと思っちゃうんだよね。ずっと前からそう。
    これは性分みたいなものだから、もしかすると考え方を変えるのって難しいかもしれないなぁ。

    今日はどんな1日だっただろうか。
    片手で収まる程度のボリュームでまとめられるとすると、その記憶みたいなボールの中には、どんな出来事が残ってるんだろうか。
    朝、起きてから、子供たちにご飯を作ったり、あつ森をやったり、家族とどっか出かけたりしたんだよな。
    その一個一個が、この、4人家族と一緒に過ごす日々が、あとで掛け替えのないものになるんだよなぁきっと。そう信じてる。

  • 8月27日 腹黒い私

    8月27日 腹黒い私

    私はそこまで歴史に詳しい人間ではなく、学校の勉強で習った程度、それプラス、旅行した時にはそのあたりを治めていた領主のことをWikipediaで調べる程度なのですが、ちょっと思い立ってNHK大河ドラマの「どうする家康」を毎回欠かさずに観るようにしています。

    どうする家康、っていう言い方がまた、彼の優柔不断さを体現しているように感じるのですが、その家康も回を重ねるごとに逞しく、頼れる人に成長していく様が描かれていて、そこがとても良いです。

    徳川家康について、私はあまり好印象を持っていませんでした。
    というのも私は司馬遼太郎の関ヶ原をKindleで買って何度か読んでおり、あれは石田三成が主人公として描かれているから、どうしても徳川家康を悪役として考えてしまうところがあり。
    小説の中では調略家として描かれているように思います。実際はどうだったのかは分かりませんが。

    その、小説の中の家康をイメージしているところなので、どうする家康では主人公として描かれているから、どうしたってギャップが生まれてしまうのです。
    そこは私の中の解釈として、どちらも正解であり、正解ではないという感覚で捉えているのですが、

    人は見かけによらないよなぁということを常々考えています。どうする家康を観ながら。

    裏表がない人、って言われると良いイメージとして伝わってきます。
    裏表がない人というのは誰に対しても同じ態度、情熱で接するイメージがあり、分け隔てなく接する人=いい人、みたいなイメージが先行するのかな。
    逆に言うと腹黒い、とかそういう意味になると思うんですが、こちらは悪いイメージになりますね。

    では、腹黒いと言うことは、本当に悪いイメージなんでしょうか。
    腹黒いと言うのは、ベースに「自分に優しい」と言うことがあるように思います。
    なぜなら、自分が都合良くなるように物事を進めようとするわけで、それは自分が気持ちよくなりたいから、ということになるのかなと。
    だから、自分にとってはいい人であるということになりますね。
    自分にとって、良い人であるべきと言うのは、この世を滑らかに生きる人としては必要なことだと思います。
    私だって常々、自分を肯定するのは自分しかいないと考えているので、つまり私も、腹黒い人と言えなくもないのかな、と。
    表裏一体です。

  • 飽きっぽい性格が教えてくれた、達成感と向き合う勇気

    飽きっぽい性格が教えてくれた、達成感と向き合う勇気

    飽きっぽい性格を持つ人々は、一つのことに集中して取り組むことが難しいと感じることが多いかもしれません。しかし、その特性がもたらすチャレンジは、同時に成長と達成感を求める旅でもあります。そこから得られる貴重な教訓と達成感について考えてみましょう。

    1. 新たな挑戦を求める好奇心

    飽きっぽい性格の人は、新しいことへの好奇心が強い傾向があります。これは、異なる分野やスキルを探求することを通じて、自身の幅広い知識や経験を豊かにする機会となります。一つのことに飽きたら、新たな分野に飛び込むことで、常に成長し続けることができます。

    2. 持続と忍耐の大切さ

    飽きっぽい性格の人が一つのことに取り組む際、最初のワクワク感が薄れると、興味を失いやすいかもしれません。しかし、ここで大切なのは持続と忍耐です。新しいことに取り組む過程で、最初の難関やモチベーションの低下を乗り越えることで、本当の達成感や満足感を手に入れることができるのです。

    3. 小さな成功の積み重ね

    飽きっぽい性格の人が一つのことに取り組む際、大きな目標を達成するまでの道のりは長く感じるかもしれません。しかし、小さな成功を積み重ねることで、進歩を実感しやすくなります。毎日少しずつ進歩を見守ることで、モチベーションを保ちながら目標に向かうことができます。

    4. 自己理解と自己受容

    飽きっぽい性格の人が向き合うべき課題の一つは、自己理解と自己受容です。自分の性格や傾向を知り、それを受け入れることで、自分に合った取り組み方や戦略を見つけやすくなります。自分を責めるのではなく、自分の強みと弱みを理解し、それを活かす方法を模索しましょう。

    5. 成果を共有する喜び

    一つのことに取り組む過程で飽きっぽい性格の人が得られる最大の達成感は、その成果を周囲と共有することです。成し遂げたことを人々と分かち合うことで、その達成感が倍増し、自信を深めることができます。また、他人の反応や感想を通じて、自身の努力がどれだけ価値のあるものだったかを再確認できるでしょう。

    飽きっぽい性格がもたらす難しさや挑戦は確かに存在しますが、その中には豊かな達成感と成長の機会が隠れています。新しいことへの好奇心を大切にし、持続と忍耐を養いながら、小さな成功を積み重ねていくことで、自分自身に素晴らしい挑戦と経験を提供することができるでしょう。