孤独を愛せよ

最近、齋藤孝さんが書いている、「孤独を生きる」という本を読んでいます。
齋藤孝さん、結構本書いてますよね。
今まで何冊読んだかなぁ、5冊くらいは読んだかもしれません。
今回手にしたのは、孤独を味方につけよう、みたいなコンセプトの本。
孤独と聞くと、まるでそれが悪いことのように思えますが、それを肯定的に受け止めようという趣旨。
はー。って感じです。
確かに孤独って、周りから拒絶されて、社会生活がうまく行かず、誰とも喋らずに一日が終わってしまうという状況。
いいことなんて何一つなくて、まぁ、人と話さずでも一日を乗り越えることは実質可能だとは思うんですが、それでも、なんとなく前向きにならない、なれないような状況のように感じます。

孤独と、孤独感は違う

・ 孤独は、ひとりきりの状態
・ 孤独感は、一人の時の気分
孤独だー!と思っていたけれど、気分の問題だから、そう深刻になることはない。
孤独感をキャッチするためにいろいろ事情を探ったり、相手の真意を確かめたりするのは面倒

相手の真意を確かめようとするあまり、無理にコミュニケーションを取ろうとしたり、深く探ってしまったりして、ギクシャクした関係になってしまっては元も子もありません。
面倒なことになってしまうより、いったんそこから離れてみるというのも大切だそうです。

ひとりでいる時間が人を育てる

齋藤さんが、孤独をポジティブなものとして捉えるというのは上述しましたが、過去の著名人でも孤独を愛する人が、いい言葉を残しているということで、いくつか、本で引用されていました。

のがれよ、私の友よ、君の孤独の中へ。
強壮な風の吹くところへ。蝿叩きになることは君の運命ではない。
ニーチェ 市場の蝿

齋藤さんはこの本の中でニーチェを取り上げていて、私もニーチェは好きな哲学者の一人なので、この言葉に感銘を受けました。
現在だと、東京キー局の問題が、まさに大きな旋風を巻き起こしています。
SNSなどで多くの人が、糾弾する対象を見つけては声高らかに、お前が悪い!と言っているのを目にします。
私はその波に乗らず、傍観している立場(実際は傍観すらもしておらず、興味がないのですが)をとっていますが、ある一面では私も孤独の中に逃れているのかもしれません。
大勢の人たちに紛れて、誰かを糾弾することも、ある一面では、良いことなのかもしれません。自分のストレスが発散できる、とか。
だけど、私の優先順位は、そこじゃないんだよなぁ、というのを感じます。
それよりかは、一人になって、孤独を楽しむ方が良いかな、と思います。