やりたいことを全部やったら何が残るのか

人生でやり遂げたいことをいくつか考えてみると、それには気力や体力やお金みたいな資本が必要にはなるけれど、それでもそれらの資本を投入してやり遂げた時、人間には何が残るんだろう。
究極の状態のように思います。
そこまでやり遂げてしまったら、もう人間は後は死ぬだけなのではないかと。
と、ここまで書いて、私が数年前に抱いた「全部、死ぬまでの暇つぶし」という感覚は、それの一端を担っているような。
当時の私は、だいたいやりたいことはやり遂げてしまって、後はもう死ぬのを待つくらいしかないな、くらいの、今考えると青臭く、お前の目は節穴か?その年でやり遂げたぜ!なんてはえーだろまだ、やることあるだろうよ、と思うのですが、人間ってそこまでやり切ると、人生に未練を残らないということになるのでしょうか。
ちょっと考えてみても、死ぬまでにやり切ることができないだろうと思うようなことはいくつか思い浮かびます。

例えば読書。
読書は、この世で発行されている本を全部読もうと思っても、おそらく死ぬまでに読み切ることはできないでしょう。私は40代中盤なので、気力が残り35年続くとして、いったい何冊の本を読むことができるんだろう。
1週間に2冊* 52週* 35年=3,520冊!
結構なボリュームですね。私は日本文学が好きなので、3500冊も読めたらもう死んでも良いわ、ってくらいに感じるかもしれません。
仮に、死ぬまでに3500冊の本を読むぞ!と決めても、読み切るのは難しいだろうな。
ちょっと調べてみると1年間に出版されている本は、なんと7万冊だとか。
私の目に触れない本がたくさんあるんだろうな。7万冊ってすごいですよね。10年で70万冊ですよ。

閑話休題。

ふと、3500冊を読み切る目的ってなんだろうと思いました。
3500冊を読んで、あぁ面白かった!と感想を抱くことが目的なんだろうか。
最近よく、いろんなところで「アウトプット」という言葉を目にします。

小説を読んだらなるべく読書感想文を書くようにしていますが、そうすることが大切なんだとか。
読んだらそれで終わり、というのも良いですが、読んだ後に感想を書くと、不思議と、その物語のことをいつまでも覚えているように感じます。
特に自分の中で刺さった小説は、強い気持ちで書いたりしますので、その時に、物語を思い出し、反芻して自分の中でも考えてみて、その中で覚えるということになっていくんだろうなぁ。