5月30日 仕事の話

やっと火曜日が終わる。
この頃になってくると、ようやく1週間が始まった感覚を持つ。
月曜日はどうしても力が入らず、惰性で、実際には月曜から金曜まで惰性で暮らすのかもしれないが、なんとなくそんな感覚。
今週は何をしよう、と思う。仕事のこと。
私の仕事は長い目で見るものなので、1週間の中で物事が完結するということは少ない。
だからこそ、今週金曜で終わらせようみたいなものは持っていないのかもしれない。

今は、会社としての品質計画書をどのように捉えるかということに注力している。
品質って難しい。
そればかり優先すると納期が遅れ、コストは嵩み、結果として品質は良かったけれど失敗したプロジェクトになってしまう。
予算が強いのかもしれないなぁ、と思い無駄なコストを削減しようとすると、それは実際は無駄ではなくて、市場に出しても良いと思われる品質まで高めようとチャレンジしたものであり、そうなると、本当は必要だったコストということになってしまう。

また、品質って難しくて、市場に出てから、つまり一般ユーザーの手に渡ってから何も障害がないとしよう。
すると、このプロジェクトでやってきた品質目標は過剰だったのではないか、という人が出てくる。
だけどどの程度まで品質を高めれば良いのかって誰もわからなくて、神様ですらも分からないから、予算の許す限り品質向上活動に時間を割く人たちの要員を割いて、頑張って最良の品質を作り出そうとする。
最良の品質っていうのもなかなか難しくて、市場で不具合が出てないから良い、だけど不具合が出ないギリギリのラインで品質を止めようとしても、その目安がわからないのだ。
そう考えると、もしかすると、市場には多少の不具合が出ても良いのかもしれない。
不具合は出るけれど、お客さんにとって致命的な不具合、命を脅かすだとか、お金が理不尽な形で減ってしまうだとか、そういうところにまで至らなければ良いのではないだろうか。
暴論だと思う。
けれど、会社のオプショナルな対応で完結できるのであれば、自社以外は誰にも迷惑がかかっていないのだから、良いのではないか、と。
暴論だよね、わかってる。けどこれを論破できるロジックは、今の私には思いつかないのであったりする。