3月22日

書くネタが思いつかないので、大好きなスナフキンの名言を引用して、ちょっと考えてみたいと思う。

自由が幸せだとは限らない

スナフキン

少し制約があった方が、幸せになれるということだろうか。

まず、「自由」と「幸せ」についてそれぞれ、どういうことなのかをちょっと考えてみたい。

自由ってなんだ

自由って素晴らしい。ポジティブなイメージがある。自分が「こうしたい」と思ったことを、いつでも、どこでも、思いのままに実行できる。
寝たい。ご飯をお腹いっぱい食べたい。ランニングしたい。キャンプしたい。音楽を聴きたい。ギターを弾きたい。絵を描きたい。新しいiPhoneを手に入れたい。異性と関わりたい。喋りたい。一緒に笑いたい。一人になりたい。泣きたい。死んでしまいたい。

簡単に思いつくのはこのくらい。この側面で考えると、自由はそのままイコールで幸せに繋がるような気がするんだよなぁ。多分、私は、上記はある一面でしか自由を考えていないんだろうなぁ。

幸せってなんだ

自分の欲求が満たされる時、幸せと感じるのではないだろうか。
例えば、でつい人間の基本的な三大欲求をベースに考えてしまうのだけど、美味しいご飯をたくさん食べることができた。ぐっすり眠れた。異性と関われた。好きなものを買った。

自由が幸せだとは限らない #とは

冒頭にも書いたけど、自由じゃない時にも幸せを感じることがあるよね。境遇に応じた幸せが。
結婚せず独身で暮らしている中で、好きな時にキャンプに行き、自分の食べたいものを食べる時の幸せと、一方、家族がいる人は家族とキャンプに行き、子供たちの大好きなカレーをみんなで作り、それを食べる時の幸せ。
別にどっちが良いという話ではないから、甲乙つける話ではないんだけど、

うーん、スナフキンはどういうシチュエーションでその言葉を放ったんだろうか。
彼は孤独に生きる人だった。自分の家を持たず、いつでも気ままに旅をしたりして暮らしていたはず。
もしそれがムーミンとか他のキャラから「君はいつも自由で、幸せだねぇ」って言われた時の反応だとしたら。スナフキンは「君からはそう見えるかもしれなけど、荷物を運ばないといけないし、冬は寒いし、食べ物だって十分に食べられない。そんな僕の一面を見て言ってる?」という言葉を心に秘めて、「自由は幸せだとは限らない」と言ったのかもしれない。物語を読んでないから勝手な想像だけど。
そういう制約を背負いながらも、スナフキンは自分の足が赴くままに進み、時折立ち止まって風の音に耳を傾ける。これこそが彼の追い求める自由でもあり、家を持つとか、そういう他の何にも替え難いのかなぁ。