時間が自動的に過ぎていく

時間は老若男女、お金持ちだろうが貧乏な人という観点にも全く関係なく平等に与えられている、といろいろなところで目にする。

時間は財産だということは、時間が有り余っていてどうやったら有効に使えるか分からない人には分からないのだ。
有り余っているから、それが大切なものとは気づかないから。
同様に、お金をたくさん持っている人も、有り余っているせいで、大切なものという感覚が薄れてしまう。

不惑の年に入り、実際は惑ってばかりで17歳くらいから全く成長していないよなと感じつつも、身体は衰えていくし、子供は成長していく辺りから、自分が歳をとっていくということが分かる。
つまり相対的なんだな、自分が歳をとったという感覚を見つけるのは。

一生が24時間表記で、80歳で終わるという前提で考えると、私は正午を過ぎたところということになるだろう。この前提は一般的なものだから、もっと早まったり、遅くなったりすると思うけど。私は早まるような気がするなぁ。

先日少し考えたのが、今、体力はある程度持っていて、これからどんどん衰えていくんだろうなということ。気力はどちらかというと沈むことが多いけど、何かしら明確なイベントを予定しておけば、それに向けて気力を高めていくことはできることがわかっている。

そこで、死ぬ時に、やり残したことのないように、全部やりきりたいなと思った。

こうしてつらつらと文章を綴ることが私のライフワークなように思えるけど、上記のような考えに至ったのも、私のぼんやりとした思考を言語化できたから。

そして、私は「山に登りたい」という欲求を叶えたいと願っている。

そのために、残された時間を有効に使わなければいけないということを感じている。