パクチーを我慢してまで食べるべきなのか

今自分が見えている世界が、全世界の1000万分の1程度のサイズだとして、残りの1000万分の999万9999を味わうことなく最期を迎えたとして、誰が自分を責められるだろうか。

私は、その1が私の手元に残れば、それで十分なのだから。

もしかしたら私は、もっと楽しいことを知らないのかもしれない。
パクチーが好きじゃない人に、「人生の半分を損してる」と言う人がいる。
冗談なのはもちろん分かっている、が、パクチーの美味しさを知らなくても、残りの美味しさを知っていれば、十分なのではないだろうか。

いや、そもそも、私が知らないはずの「もっと楽しいこと」は、あなたが楽しいと感じているだけで、私が同様に楽しいと感じるかどうかは分からないのだ。必ずしも、あなたと同じ感情の振れ幅で生きていないのだから。
シンプルに言うと、放っておいてくれ、と言うこと。

では一方で、私は、残りの999万9999を知るべきなのであろうか。
多分それは私の好奇心に応じて広げていくべきであり、好奇心と共にそれを享受していくために必要な気力や体力が十分にあれば良いはずだ。もしかしたらめちゃくちゃ楽しくて、その後、私のライフワークになり得るようなことが得られるかもしれない。