最期に誰の声を聞きたいだろうか

縁起でもない話だが、人生で最期を迎える時、誰の声が聞きたくなるのだろうか。
その瞬間を真面目に想像したことがないから、全く想像がつかない。
現実的には、病気や重たい怪我等で生死を彷徨う瞬間なのだから、誰かの声が、という意識はないのかもしれない。

だけど、もし、その瞬間だけ、頭の中にあるカオスが全てクリアになり、誰かの声に集中できるとしたら。

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ぱっと思いつくのは、私の場合、やはり妻であり、子供たちである。
一番近くにいるし、世界で一番信頼しているし愛しているし、なにより離れたくない。

結婚していない人は親であったり、恋人であったり、たぶん、今近くにいる人、近くにいるように感じる人だろう。

そういう意味では、好きな芸能人だったりするかもしれない。

誰でもいいのだ。

誰でもいいのだけど、そういう人を持つことが、人生を豊かにしてくれる一つなのだと思う。

最期というと大げさだろう。
だけど、寝る前の「おやすみ」を言ってくれる人は誰だろう、という問いかけに対し、
上述したような人が浮かんでくる人はきっと、人生を豊かに暮らしているような気がする。

いや、違う、違うのだ。
これを読んで、「私にはそんな人いないし、今後もいないかもしれないから」と自暴自棄になる人だっているだろう

今はそうかもしれない。
今を嘆き、だから人生はつまらない、と思うかもしれない。
けれど、生きていればそういう人に巡り合う確率が生まれるのだ。
今、首を吊ってしまったら、その確率がゼロになってしまうのだ。

だからこそ、生への執着を。