ぼんやりと、死ぬことを考える時期に入っている。
年に数回、そっち側のことを考える。
寒くなるからなのかな、ときっかけを考えることが良くあるけど、きっときっかけなんてその時々で違うはずで、いくつかの思考が重なり、そっち側のゾーンに入ってしまうのだと思っている。
季節の移ろいに思いを馳せるのと同じような感覚で、死ぬことについても思いを馳せるだけ。
たぶん、ただの暇つぶし。
つーかだいたい全部そうだろ。
結局人間は孤独。
死ぬまで、ただ生きているだけ。
その、数十年間に意味を持たせるために、自分を納得させるために活動する。
活動自体に意味はない。
自分や誰かを好きになろうが、嫌いになろうが、なにか功績や罪過を残そうが、死ぬまで生きているだけ。
なにか意味を持たせようとしてしまうけど、それは本来は必要のないこと。
意味なんてない。
生まれてきたことすら、意味なんてないのだから。
爆発しろ、この思い。
考えることすら無意味。
人間は、迷惑をかけないで生きていくべきなのか。
死ぬことすら誰かに迷惑をかける人間という生き物は、もはや死ぬことすら自由ではなくなった。
勝手に死んで、朽ちていくだけで良いのに。
それを願い、樹海に入っていく人たち。
彼らのことを考え、静かに、泣く。
それが共感というのだろうか。
多分、樹海に入っていく瞬間に抱く思いの、0.1%すらも理解できていない。
多分、生きることにめんどくさくなったんだろうな、くらいしか思いつかない。
そっち側のことを考えるのは、悪いことではない。
生と同じレイヤーにあるべき、死という存在。
生き物はみんなそのイベントを迎える運命にある。
ただ、心臓が止まるだけ。
生き物が、生き物という存在ではなくなるだけ。
死ぬことを考えないように、という考えは違う。