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  • 6月2日 自分で歌を作ってYouTubeにアップしてみたい

    6月2日 自分で歌を作ってYouTubeにアップしてみたい

    かねてより、自分で歌を作ってYouTubeにアップしてみたいと思っている。
    あ、これって「死ぬまでにしたいこと」のひとつな気がする。
    けど、腰が重く、進まない。

    まず、歌詞を作ろうとするところで、テーマが定まらず、立ち止まっている。
    悲哀をテーマにはしたいとは、思っている。
    けど、そこから、なんの?だれの?と思ってしまって、先に進まない。
    いつかどこかで、それっぽい神が降りてくるかなと思って待っているのだけれど、夜道をランニングしても、ベランダでタバコを吸ってみても、星新一さんが困ってた時のように歯磨きをしてみても、手を洗ってみてもなーんにも出てこないのである。
    なにか、歌詞を書き出してみると、自然に出てきたりするんだろうか。
    私が、小説を書く時と同じみたいに。

    私が小説を書こうとする時、よし、書くぞ!みたいな覚悟はなく、さらさらと書き出してみたりする。その時点では、誰かに見せるとか、ここに載せるとかは、まだ決めない。
    場合によって、内容によっては私の胸の中に秘めておくべきとなる場合もあるので、まずはEvernoteに無題、と銘打って、数行書き出してみる。

    そう考えると、この日記も、私が小説を書き出す時と非常によく似ているのではないだろうか。
    何かを書こう!と決めて始めないあたりとか。
    ここに載せる=人に見せるという前提だけは違うけれど、書くマインドセット、気合いのようなものは非常に良く似ている。

    そんなふうに、歌詞をまず考えてみても良いのかもしれない。
    ギターが弾けるので、ギターコードを混ぜながら。

  • 6月1日 ここに書く日記と、ほぼ日手帳に書く日記

    6月1日 ここに書く日記と、ほぼ日手帳に書く日記

    3月21日から始めた、この毎日なにかしらブログを書くということで、「今日なに書こうかなぁ」と考える時間が増えた。
    ネタに困る、とシンプルに言うとそういうことも少なくはなく、だけど、日々気になったものや、新たに始めてみようと思うようなことをここに書き留めることで、自分の考えを俯瞰できるような気がしている。
    過去に書いた日記を振り返ることは、ほとんどしない。
    正直に言うと、昨日書いた日記すら、なにを書いたか覚えていない。
    せっかく書いたんだから、と思う一方で、どうせ死ぬまでの暇つぶしで、1日に数万回くらいの発想を無意識に行なっている中で、それが記憶に残る程度まで強かったものだとしても、それがどうした、と考えてしまう。
    私としては後者の方が思いとしては強く、ほぼ日手帳にも同じように日記を書いている中で、そちらも気が向いた時くらいしか振り返ったりはしない。
    最近投資を新たに始めたので、時系列で追うことで何かが見えてくるかもしれないが、それをやる労力と効果を比較した時に、メリットが感じられないので、まぁいいかと思ったり。

    ここで書く日記と、ほぼ日手帳に書く日記、なにが違うのだろう。
    一番最初に思いつくのは、他人が見るかどうか。ここは誰かしら見る場合があるので、書いてることの支離滅裂さはある程度制限させ、私としてはきちんとした文章を書こうと心がけている。
    一方でほぼ日手帳のほうは、完全に殴り書き。誰も見ないし。たまーに、書いたところを写真で撮影してツイッターとかにアップロードすることもあるけれど、自分の書く字の輪郭など含めてプライベートに踏み込み過ぎていると考えており、あまり載せるようなことはしていない。
    どちらかに寄せても良いのかもしれない、と考えることがある。
    今のところはどっちも共存させていくつもりで、その分2倍の労力がかかるのだけれど、思考を外向けと内向けで使い分けることで、お互いの良い面を生かしながら自分の文章を書く力に役立てていけたら嬉しい。

    いや、これは自分の文章を書く力として役立っているのだろうか。
    このブログだって思いついたことをさらさらと書くだけで、自分のスキルとして身についているのか、甚だ疑問だ。
    自分のスキルを測るのって難しいけどね。続けることで、自然と身についていくものなのかもしれないけども。

  • 5月31日 気に病んでしまうかもしれないリスト

    5月31日 気に病んでしまうかもしれないリスト

    あっという間に5月も終わり!
    12分の5が終わった。早いなー2023年。早いなー人生。

    先日同僚と、人生でやり残したことがあるか、みたいな話をした。
    私の中で、これもう何度も書いてることだけど、やり残したことってあんまないんだよなーという気分でいる。良くも悪くも。
    ポジティブに捉えるならば、自分のやりたいことが全部できているということになるから、それは自分の人生を謳歌してますよ、って話なんだろうな。

    そこに至るには、家族がいたり、お金がそこそこあったり、家があったりと細かな条件が積み重なっているんだと思う。
    人生って揺れ動くものだから、それらが全部私の手元からなくなってしまうことだって、もしかしたらあるのかもしれない。
    それはそれとして、「それも人生だから」で片付けるほど器の大きな人だったら良いのかもしれないけれど、実際のところ、私は気に病んでしまうかもしれない。
    気に病んでしまうかもしれないリストがあると良いのだろう。
    それらは、自分の手から無くならないように、それぞれの重要度や優先度を決めて暮らしていくべきなのかなぁ。
    だけどそういう水準すら、ずーっと固定なのではなく、揺れ動くものなはず。そう考えると、自分の中の価値観を俯瞰して見れるような考え方になっておくと良いのかもしれないなぁ。

    私の中では、家族、お金、家、という順番なのだろうかね。
    上述した時に、パッと思いつく順番で書いてはみたものの、それぞれの順番とかはきちんと吟味する必要があるのだろう。

  • 5月30日 仕事の話

    5月30日 仕事の話

    やっと火曜日が終わる。
    この頃になってくると、ようやく1週間が始まった感覚を持つ。
    月曜日はどうしても力が入らず、惰性で、実際には月曜から金曜まで惰性で暮らすのかもしれないが、なんとなくそんな感覚。
    今週は何をしよう、と思う。仕事のこと。
    私の仕事は長い目で見るものなので、1週間の中で物事が完結するということは少ない。
    だからこそ、今週金曜で終わらせようみたいなものは持っていないのかもしれない。

    今は、会社としての品質計画書をどのように捉えるかということに注力している。
    品質って難しい。
    そればかり優先すると納期が遅れ、コストは嵩み、結果として品質は良かったけれど失敗したプロジェクトになってしまう。
    予算が強いのかもしれないなぁ、と思い無駄なコストを削減しようとすると、それは実際は無駄ではなくて、市場に出しても良いと思われる品質まで高めようとチャレンジしたものであり、そうなると、本当は必要だったコストということになってしまう。

    また、品質って難しくて、市場に出てから、つまり一般ユーザーの手に渡ってから何も障害がないとしよう。
    すると、このプロジェクトでやってきた品質目標は過剰だったのではないか、という人が出てくる。
    だけどどの程度まで品質を高めれば良いのかって誰もわからなくて、神様ですらも分からないから、予算の許す限り品質向上活動に時間を割く人たちの要員を割いて、頑張って最良の品質を作り出そうとする。
    最良の品質っていうのもなかなか難しくて、市場で不具合が出てないから良い、だけど不具合が出ないギリギリのラインで品質を止めようとしても、その目安がわからないのだ。
    そう考えると、もしかすると、市場には多少の不具合が出ても良いのかもしれない。
    不具合は出るけれど、お客さんにとって致命的な不具合、命を脅かすだとか、お金が理不尽な形で減ってしまうだとか、そういうところにまで至らなければ良いのではないだろうか。
    暴論だと思う。
    けれど、会社のオプショナルな対応で完結できるのであれば、自社以外は誰にも迷惑がかかっていないのだから、良いのではないか、と。
    暴論だよね、わかってる。けどこれを論破できるロジックは、今の私には思いつかないのであったりする。

  • 5月29日 一個一個の思い出が薄まってしまうような

    5月29日 一個一個の思い出が薄まってしまうような

    案外生きてるな、と思う。
    会社にてカレンダーを見た時に、もう5月も終わりか!と思って、同じことを4月や3月でも感じていて、常にあっという間にすぎてしまうんだよな、そんな日々を過ごすことが、一歩一歩進むということが、人生なんだよな、と。

    あっという間に感じるのは、日々の思い出をあまり植え付けずに暮らしているからなのかな、と思って、とはいえここで毎日日記を書いてアップロードしているけれど、確かに、記憶に残らない日ってあるんだよな。
    そういう、細切れの人生があるからこそ、思い出が同封された、厚い日がやってくるわけで。相対的なもので、細切れの人生がなかったら、毎日思い出ばかりだったとしたら、多分、一個一個の思い出が薄まってしまうような気がする。
    そりゃあ、毎日が厚い日常に覆われていることの方が、良いのかもしれない。けどそれだけじゃないでしょ、なーんにもない日だって、立派な日常なはずだから。

    そんなこんなで、明日も生きていくことをここに誓う。
    思い出に染まらない日があったって、別に良いという想いを胸に秘めながら。

  • 5月28日 このわがままボディめ

    5月28日 このわがままボディめ

    今日は風が強く、洗濯物がすぐに乾くような天候。
    さっきちょっと走ってきた。近所をぐるっと5km。
    暑くて、途中何度か歩いてしまった。
    なぜ、この苦行を続けるのか、と、自問自答するランニングだった。

    暑いって分かってるのに、なんで走ろうとするんだろう。
    その後に訪れる、爽快感が欲しいとでもいうのだろうか。
    苦しい物事から逃げたくなるのは、生き物の本能だとすると、なぜ、ランニングをする人がこうも多いのだろう。
    みんな、その本能に逆らおうとでもいうのだろうか。

    私は、少しでも健康で、欲を言えばもっとスリムな身体になれたらいいな、と思いながら走っている。
    下半身をたくさん動かすことで得られる基礎代謝の恩恵に預かり、体内で眠っている脂肪が消費されたら嬉しいな、と思いながら走っている。

    だけども全然痩せてくれないんだよね。
    苦行に耐えてこその恩恵があるだろうに、私の身体からは、その脂肪たちが消えてってくれないんだよね。

    いや、わかってる。食生活を見直さなければいけないことくらい、わかっている。
    もっと栄養バランスの良い食事にしないといけないんでしょ。
    お酒も我慢しないといけないんでしょ。
    わかってるんだけどさー。このわがままボディめ。

  • 5月27日 友達と呼べる仲間について

    5月27日 友達と呼べる仲間について

    先日、ちょっと思うところがあり大学時代の友人たちで作っているグループLINEにメッセージを投げた。
    そこは6人くらいの小さなグループで、大学時代に私の友達となってくれたメンバーの集まりである。
    かるーくメッセージを投げても、当時の思い出や、いろんな経験が蘇ってくるのがありありと伝わってくる。
    カラオケ後のラーメンで、ひとしきり盛り上がったのも、当時を知っているメンバーだからこそ、なのだなと感じる。

    友達100人できるかな、っていう歌があって、小学校に入る前に覚えたような記憶があるけれど、私の人生で、友達だ!と胸を張っていえるような人って、大体15人くらいだな、と思ったりする。
    友達100人なんて超難しくて、だいたい100人もいたら、名前を覚えるのだって大変なことだろう。

    友達って、人数ではなく、それぞれの人間関係に生まれる、質の方が重要だと思う。
    無理やり100人の友達を作ったとしても、それぞれが薄っぺらい関係だとしたら、それが友達と呼べるだろうか。
    友達の定義によるから、一概に私が決めつけるべきものではないと分かっているけれど、薄っぺらい関係性だとしたら、私の中では、それは友達とは呼べないのではないだろうか、と思ってしまう。

    そんな感じで、これは一つの価値観に基づく話だから、私がここで断定できるものではないのだけれど、友達って多けりゃいいってものでもないよなぁ。

  • 5月26日 流行について

    5月26日 流行について

    久しぶりに出社した。徐々に、出社する機会が増えてきている。
    今まではコロナ感染者がいれば社内で通知されるようになっていたが、最近ではその話を聞かなくなった。
    時代の流れというのもあるけれど、一言で言えばみんなコロナに飽きたんだと思う。
    よく3年も付き合ってきたよね。
    マスク生活。
    今ではもうマスクを外すことに照れてしまうような時代になりつつあり、なんのこっちゃ、と思っていたけれど、電車で通勤している時にはもう半分くらいの人がマスクをしていないように感じる。みんな飽きたんだろうな、こんなもの付けたくなかったよね。

    流行りというのは怖いもので、いつから流行ったかははっきりと分からないものが多い。流行の担い手としては、テレビが挙げられるだろうか。テレビで流すことで、ほんとは流行ってなんかいないのに、まるで大人気かのようになったりする。コロナも、最初の頃はあんま流行ってなくて、けれど何かのきっかけでテレビでは毎日、今日の感染者数を発表したりしていた。実際にはあんま流行ってないのにね、みたいなことは考えないようにさかんに、テレビで訴えかけるような、そんな3年間だった。

    私は決して、陰謀論者ではないので、その、テレビがさかんに訴えかけていたことが、実はワクチンを作る会社の陰謀だった、みたいなことは考えたくはない。人間にとって未知の、そしてタイミングによっては命を奪ってしまうようなウイルスだったから、世界では、テレビでは気をつけるよう警鐘を促していたのだろう。もしそれが本当に陰謀なのだとしたら、という想像は、ほぼ創作の範疇になると思う。

    この教訓を活かして、もし私がこのブログを流行らせたかったとしたら、どうすれば良いのだろう。まずコンテンツ自体に魅力を持たせる必要があるとして、それを評価し、周りに広める人が必要となるだろうか。私は大枚を叩いてそんな人を集め、広め、やがてテレビに取り上げられ、私は人気サイトの管理人を務めることができる。そんなことはやりたくないから想像の域を超えないのだけれど、やり方って意外と簡単なんだろうなーと思ったりする。

    だからこそ、流行りって怖いよなと思う。実体の伴わないものなんて関係ないんだから。なんか周りが騒いでるからー、で飛びつく人だってたくさんいるだろう。私は、自分の意思で、流行を見極めて生きていきたい。

  • 5月25日 心療内科と眠りについて

    5月25日 心療内科と眠りについて

    落ち着いた1日。今日は心療内科の診察日だった。
    先週から今日までの1週間、割と落ち着いていたように思う。
    感情の浮き沈みという観点では、平穏。それが最良なように感じる。
    ちょっとだけ浮く時期があった。その日はランニングをして汗を流し、走り終えた時には爽快感とともに、また心地よい眠りという副産物もあって、走るのって良いなぁと感じることができた。
    ただ、それって浮いている状態で、

    とか、勝手に「浮いている状態」って決めつけたけど、それが私の「平穏と呼べるレンジ」だとすると、私がランニングに出ることのできるマインドセットは、私の平穏と考えることができるのかもしれない。
    何が良いのか、分からなくなってくる。
    浮いているとか、沈んでいるとかって自分の捉え方の問題で、そんなのは日々の考え方で変わっていくだろうから、もしかするとそういうことはあんま考えないで、自分のやりたいことに集中して取り組むくらいで良いのではないだろうか。
    レイソルの応援でジャンプしまくり、声出しまくりみたいなのも、自分がやりたかったことの一つで、それをやって満足できれば、それが生きてて良かった!につながっていくはずだから。

    今日の診察では、割と安定しています、と話、薬は前回処方されていたものと同じものがまた、処方された。
    私の中では不眠が問題で、入眠するまでに1時間くらいかかることと、朝3時から4時くらいに目が覚めてしまうことを伝えていて、けど先生的には目が覚めてもすぐにまた眠れれば良いと思っているようで、そこが私のバロメーターになっているのかもしれない。
    44歳にもなると夜ずっと眠ることも難しいことだってあるかもしれないよね。
    そのためにお酒は極力控えるようにしているし、眠りを最優先して日々暮らしているけど、ここしばらくの間、朝までぐっすり眠れました!みたいなことってないんだよなぁ。
    年齢のせいなのかなぁ。男性にも更年期障害があるって言うしね。

  • 5月24日 今日のレイソル

    5月24日 今日のレイソル

    今日は14時で仕事を終わりにして、レイソルの応援へ。カシマスタジアム。
    私は実家が茨城で、そして私の両親が鹿島アントラーズのサポーターということもあり、そのよしみで今日は父と観戦。
    つっても私はビジターのゴール裏だったので入り口でさよならでしたが。

    試合の雑感を書こうと思っているのですが、あいにく私はフォーメーションがどうのこうのっていうのはまだそんなに詳しくはないので、私から観た感想を少し書きたいと思う。

    試合前、スタメンを見た時。
    つい最近レイソルに加入!25年から!ってなってた関根くんがスタメンに入っててびっくりしました。まだ入ったばっかやん!と。
    だけど彼、結局フル出場しましたね。最後まで右サイドを駆け上がっていく姿が見られて、右サイドバック渋滞が起きている気がしました。これは川口さん、片山さんも負けてらんねーだろうな、と。まだ少し線が細い感じがしたので、先輩たちを見習って、柏から世界へ飛び立ってってもらいたいと思いました。

    あとボランチに中村慶太さんが!生で観るの、いつ以来なんだろう。
    彼が見られてよかったー、という気分でした。
    序盤から彼にボールが集まる機会が多く、ボランチでコンビを組んでた椎橋さんはボールを狩る係で、慶太さんはゲームメイクをする係、みたいな役割になってた気がするなぁ。とにかくプレーが面白い。前半終了頃だったかなぁ、左を駆け上がるサヴィオに向けて、左足でどかーんと蹴った時、おおお!と叫んでしまいました。
    後半の途中でタクトと変わったと思いますが、フル出場するの難しいのかなぁ、なんなら後半のここぞというところで使ってもらえると良いのになぁという印象。

    あと書きたいのは、両サイド。オータとファル。どちらも頑張って試合に絡もうとしている姿が見られました。ファルはサヴィオから薫陶を受けている感あり、サヴィオの指図にめちゃくちゃ頑張ってついていこうとしていました。あとオータね。後半だったかなぁ、すげぇミドルがあったんだよなぁ。残念ながら枠の外でしたが、あれ決まってたらヒーローになれたと思う。

    後半になり武藤とマオが投入され、試合がグッとこちら側に傾いたような感じでした。武藤さんすげーよね。うま!うま!って感じだった。マオは相手DFに負けずに、転ばずに前を向こうとする姿勢がすごかった。国内じゃ負けちゃうDFはいないんじゃないかなぁ。身体の入れ方なんすかね。

    そんなところ。試合は相手選手がセットプレーのもつれから華麗なゴールが決まり、負けてしまいましたが、私としては若い選手の躍動と、ベテラン選手のうまさが観られて良かったです。勝ちたかったけどねぇ。