物欲は悪魔か

物欲、それ自体は悪いことではないと思うんですよね。
そのためにお金を稼ぎたい!頑張って働こう!っていうモチベーションになるので。
一方で、ものを必要以上に持ちすぎるのは考えるべきで、それが生活の質に影響するからで、例えば、自分の家に入りきらないくらいのスニーカーを持っていて、しょうがないから近所にコンテナを借りてるんです、みたいなのは、果たして必要な物欲なのか?と自問自答が必要なのではないでしょうか。
これ系の話、ニーチェも言っていて、おおよそ、私が上述したようなことなのですが、考えさせられる内容となっています。

所有欲に征服されるな
所有欲は悪ではない。所有欲は働いて金を稼ぐことをうながし、その金銭によって人は充分な暮らしを送れるばかりか、人間的な自由と自立さえ得ることができる。
しかし、人が金銭を使っているうちはいいのだが、所有欲が度を過ぎるようになると、人を奴隷のように使い始める。もっと多くの金銭を得るために、ありったけの時間や能力をついやす日々が始まるのだ。所有欲は、休みさえ与えてはくれない。
こうして所有欲の手下となった人は、完全に拘束される。内面の豊かさ、精神の幸福、気高い理想、といった人間としてたいせつなものは無視されるようになる。あげく、金銭面だけが豊かで内面がごく貧しい人間が出来上がる。だから、所有欲がどこで自分を征服しそうになっているか、よく注意しておかなければならない。
ニーチェ 漂泊者とその影

所有欲を悪者に見立てるあたり、さすがニーチェという感じですね。
上述した、スニーカーを家に入り切らないくらい集めるのが好きという例、それはそれで内面の豊かさは持っている場合だってありそうです。スニーカーを集めることによって、自分が満足に生きられれば良いのかもしれません。
だけど、ニーチェが言うように、内面の豊かさ、精神の幸福という観点で見ると、いくらスニーカーをたくさん買ったとしても、まだ欲しい、まだ欲しいと新たなスニーカーを求めるようになるように思います。

では、どうしたらいいのか

限度を決める、ということが良いように思います。
スニーカーは、例えば15足までいったらいったんストップする、とか。
おそらく、私にはスニーカーを愛してやまない人の気持ちが残念ながら分からないので、15足なんて少なすぎる!と思うのかもしれません。
だけど際限なくスニーカーを求めようとするのは、ニーチェの言う「人間としてたいせつなもの」を蔑ろにしているように思うのです。
所有欲を高めていくのは良いですが、一方で食費を極限まで削り、病気になり、この世を去ってしまうとなったら、スニーカーを天国に持っていくことはできないのだから、結局意味のないものになってしまうんじゃないかなぁ。
棺桶に入れられるのはごく僅かです。そして、そもそも、死んでしまったら無ですよね。
天国って上述しましたが、そんなものは幻想に過ぎないのですから、ほどほどに愛し、人生を謳歌すべきなのです。