目の前にある日々の生活に、足をきちんとつけて生活しよう

今日はニーチェの言葉から。
昨日ブログに更新した、マルクス・アウレリウスより若干わかりやすいです。時代が近いからかもしれませんが。
私はKindleのPrime readingやUnlimitedでニーチェについて描かれた本を読む程度の知識しかないので、彼のことを深くまでは存じ上げないのですが、割と私たちの生活に密着したことを書いてくれるよな、と思っています。
今回取り上げた言葉も、まさに私たちの「生活」をどう捉え、暮らしていくべきかを表してくれていて、その通りだよなぁ、実際はそんなふうにはいかないけどさ、みたいなことを考えたりしています。

生活を重んじる
わたしたちは、慣れきっている事柄、つまり衣食住に関してあまりにおろそかにしがちだ。ひどい場合には、生きるために食っているとか、情欲ゆえに子供を産むなどと考えたり言ったりする人もいるくらいだ。そういう人たちは、ふだんの生活の大部分は堕落であり、何か別の高尚なことが他にあるかのように言う。
しかしわたしたちは、人生の土台をしっかりと支えている衣食住という生活にもっと真摯な眼差しを向けるべきだ。もっと考え、もっと反省し、改良を重ね、知性と芸術的感性を生活の基本に差し向けようではないか。衣食住こそがわたしたちを生かし、現実にこの人生を歩ませているのだから。
「漂白者とその影」より

歳をとると1年経つのがあっという間に感じる、というのを45歳になった今、まさに実感していて、それってもしかしておろそかにしちゃってるからかな、と思いました。

もっと人生を味わって生きるべきだ

おそらくニーチェが言いたいのは、日々、感じていることをもっとちゃんと味わって生きろよ、ということなんだと思います。
自分の意思で動かせる物事に対しておざなりに決断するのではなく、選択肢をちゃんと吟味して、決断したあとは初心を忘れることなく前を向いてきちんと過ごしていこう、自分の意思で動かせない物事については、現実をありのまま受け止め、それでも生きていくという姿勢を忘れないようにしよう、みたいな?考えすぎですかね。決して考えすぎではないように思いますが。
実際、どうなんでしょう。
上述の通り、一年があっという間だわ!1月だって今日でもう終わり?!まだ正月休みな気分だったわ!みたいな感性で生きていて、ほんと、日記がなければ、例えば1月14日に私がどこでなにをして、なにを食べたかみたいなのは、完全に忘れてしまっています。なにかをしながらご飯を食べると、ご飯の味って分からないんですよね。テレビやスマホを見ながらご飯を食べるというのは、食事に対して失礼だよな。
ニーチェが言うように。

衣食住こそが私たちを生かし、現実にこの人生を歩ませているのだから。

ほんとそうなんですよね。なにか特別なことをした時にだけ自分の感性を込めるのではなく、日々の衣食住、そこに目を向けて、足るを知るとちょっと感性が似てるようにも感じますが、日々、もっと味わって生きていきたいと思います。