今日はニーチェの言葉から。
計画を立てるのはとても楽しく、快感を伴う。長期の旅行の計画を立てたり、自分の気に入るような家を想像したり、成功する仕事の計画を綿密に立てたり、人生の計画を立てたり、どれもこれもワクワクするし、夢いや希望に満ちた作業だ。
しかし、楽しい計画作りだけで人生は終始するわけではない。生きていく以上は、その計画を実行しなければならないのだ。そうでなければ、誰かの計画を実行するための手伝いをさせられることになる。
そして、計画が実行される段になると、さまざまな障碍、つまづき、忿懣、幻滅などが現れてくる。それらを一つずつ克服していくが、途中で諦めるしかない。
では、どうすればいいのか。実行しながら、計画を練り直していけばいいのだ。こうすれば、楽しみながら計画を実現していける。「さまざまな意見と箴言」より
わかるわー、って感じです。
計画を立てるときは、気楽だから楽しいのか。
私は仕事柄、テストの計画を立てることがあって、それは大体開発プロジェクトが始まって間もない頃なのですが、どんなテストが、どんなタイミングで必要なのか。そんなことを半ば妄想を踏まえながら、作っていく作業。ニーチェの言う通り、確かに楽しいんですよね。
希望に満ちているから楽しいのでしょうか。
気持ちが明るく、前向きになれるから楽しいのかもしれません。
仕事だけではないですね。例えば家族でどこか旅行しよう、と計画する時も、泊まる場所や食べるものはどうしようか、と家族みんなで考えたりしますが、確かに楽しいです。
一方、実行する時になると、計画したことを忘れてしまうことがあります。計画時には思いもよらなかったことが出現し、それに対処しているうちに、計画したレールから大幅に逸脱してしまうことも少なくありません。
計画時には気づかなかったのだから、しょうがないことなんですが、それでもその「気づかなかったこと」を気づかなかったという事実が、計画したことから目を背けたくなるような気持ちになります。
私の場合、恥ずかしい、という気持ちが先に立ってきます。
そんなことすら思いつかなかったのか、という恥ずかしさです。
計画したことを全て投げ出し、目の前に迫り来る壁を越えようと必死になってしまい、それ以外のことは何にも思いつかなくなります。
近いところにある壁は割とよく見えるのですが、そんな、目の前の壁ばかり見ていると、大きく道を逸れてしまっていることに気づきません。
そして終盤になり、道を逸れてしまっていることに気づき、慌てて計画を見返した時にはすでに万事窮す。
私は、何が悪かったのでしょうか。
確かに、ニーチェのいうように、計画したことから逸脱しないよう定期的に見返すようにする必要があるのだろうと思います。
そうすれば、近くの壁だけでなく、遠くにある、ラスボスみたいな、とてつもなく大きな壁のことを忘れることのないような戦い方ができるのでしょう。
言葉で綴るのは簡単ですが、それでもやはり、前述のように計画から目を背けたくなってしまうんだよなぁ。
少しずつ、計画に寄り添うように生きていきたいです。