人生は、瞬間の連続

マルクス・アウレリウスは自省録の中で、以下のように書いています。

全ては、一瞬の出来事に過ぎない
次のことを繰り返し考えること。今目の前にある物事も、これから生じてくる物事も、あっという間に通りすぎ、消え去っていく。
この世に存在するものは、絶え間ない川の流れのようであり、その活動は常に変化し、もろもろの原因もまた無限に変化している。じっと静止しているものはほとんどない。君のそばにも、過去と未来の双方に無限の深淵が開いており、全てが飲み込まれていく。
全ては一瞬の出来事に過ぎないのに、こんなことに得意がったり、悩まされたり、惨めになったりするのは、実に愚かなことではないだろうか。
マルクス・アウレリクス 自省録 5-23

過去、45年間生きてきて、その系譜みたいなものが私の後ろに続いているんだと思います。それはとても果てしない道のりで、45年も良く生きてきたわと思うんですが、過去に縛られて生きていくというのは、どうも辛いことのように思えてしまいます。
過去、私が選択してきたもの、正しかったり間違っていたりしてますが、そんなのに振り回されて生きるのってアホらしいことなのかもしれないですね。
私が過去に選択してきたもの全てを「正しかった」と認識し、生きていくことがまず必要で、それはなぜかというと、自分を肯定してあげることで、自分が生きていってもいいんだ!と思えるからです。
自己肯定感と呼ばれるそれは、他者からのそれと、自分からのそれ、二つあると言われていて、後者、つまり自分からの自己肯定感を持たせることがとても大切なんだよ、と数年前にどっかで読みました。

自己肯定感を常に自分に向けながら、プラスに考えていくこと、だけどそんなことはどうだってよく、なぜなら瞬間の連続で、全てが一瞬の出来事だからです、とマルクス・アウレリウスさんは言っています。
なんか刹那的な響きのように感じてしまいます。全てにおいて排他的?になって、「もう全部どうでもいいです、なぜなら一瞬の出来事に過ぎないから」というマインドを持ってしまうようにも思えてくるんだよなぁ。
そういう、全部どうでもいいです、っていうのは気持ち的にはあんまり良くなくて、なぜなら人は善く生きるべきだからで、だから多分、この「全部どうでもいいです」っていう考え方は、正しくないんだろうなと思います。
時折、例えば仕事がうまくいかなかったときとか、そういう気持ちになっちゃうこと、ありますけどね。暴飲暴食したくなってしまったり。自分を傷つけたくなってしまったり。
多分、正しくないですよね。