9月2日 やる後悔とやらない後悔

人間最大の敵は「めんどくさい」と思うこと。
なぜ、人間はめんどくさいと思ってしまうのでしょうか。
気分が乗らない時、なんとなく体を動かすのが億劫な時などに、めんどくさいと言い訳をして物事を手に持つのをやめてしまう。
それでいったい、どれくらいの時間を無駄にしたんだろう。

やる後悔とやらない後悔では、後者の方が後悔の度合いが高いという話をよく耳にします。個人的にはどっちも同じくらいの度合いの強さな気がしています。
やる、方は自分から動くということ。その先に、失敗があるとも知らずに、自分の持ちうるパワーを発揮して物事を成功へと導くべく力を注ぎます。
一方、やらない、方は動かないという選択肢を選んだ場合のこと。動くことで失敗が見えていると予測し、だったら動くのをやめよう、と考えて結果を待つ時にはこっちですね。
また、ここには「めんどくさい」という考えも含まれていたりして、要はダルいから動くのやめよっと、ということになるのかと思います。

さて、やる後悔とやらない後悔では、私はどっちも同じくらい後悔の度合いがあるんじゃないかと前述しましたが、それは、やる後悔の方って自分でエネルギーやお金を使って行動を起こしたという点を考慮すべきだと思うからです。
エネルギーとか、お金が無駄になっちゃうので、それを回復させるために時間が必要だったりします。だから、やる後悔の後に、それを回復させるための時間を考慮すべきなのではないでしょうか。
逆に、やらない後悔の方、それはマイナス点として「行動しなかったことで経験が積み上がらない」という点に注目しているような気がします。
そりゃ、できることならいろんなことを経験して成長していくべきでしょう。
だけどそれは意識の高い人がやるべきで、私みたいにあんまそういうところに着目していない人にとってはやらなかったことで減らなかったエネルギーやお金を、違うことに回せることだってできるのでしょう。

最近の私の事情でいうと、会社の同僚から山登りに誘われていて、確かに数年前から山を登ってみたいと思っていたところだったのですが、それにはデカいリュックや、小さくなるテント、トレッキングシューズなど、様々なギアを買わないといけないのです。同僚曰く、トータル10万円くらいかな、ということでしたが、それを買ってしまうと私は山登りを趣味にしなくてはいけなくなります。また、うちはマンションなのでそういうものをしまっておくスペースのことを考え、計画的に進めていかなければいけません。
そういうところから、結局はそのお誘いを断ってしまいました。
本当は行きたかった。だけどそれの代償になるものがちょっとある、という瀬戸際で、私はやらない方を選択したのです。この選択がどんな後悔につながってくるかは未知数ですが、生暖かく見守っていきたいと思います。