月: 2023年4月

  • 4月20日 唐揚げのゴール

    4月20日 唐揚げのゴール

    彼の顔が好きなの。
    なんでか分かんないんだけど。
    彼の、ボールを跳ね返そうとする時の、歯を食いしばった時の顔が。

    応援しているチームが、防戦一方の展開。
    こちらとしてはなんとか自陣からボールを出してくれ、最悪タッチラインを割ってスローインでも良いから、と戦々恐々としている最中、彼女はそんなことを言った。

    私の願いが叶ったというべきか、あまりうれしくはない願いなのだが、ボールが本当にタッチラインを割り、相手チームのスローインとなった。
    ボールがフィールド内に投げ入れられ、受ける人とそれをマークしてる人の小競り合いが始まる。もう一度スローインとなった。

    けどさ、その、歯を食いしばった時の顔ってさ、ちょっとサディスティックじゃない?
    彼女にそう言った。
    だって普通じゃないもんそれ、と続けて言うと、彼女は少しむっとした顔をした。
    私の好きな、彼女の顔だ。

    うっせーなー!と彼女は言い、食べかけていた唐揚げを私の口に無理やりねじ込んだ。
    まるで数年前に14番をつけていた外国人選手が、彼の身体的アドバンテージを前面に出し、あらゆる選手を薙ぎ倒して最後のゴールキーパーまでひらりと交わした後に決めたゴールのような、唐突さ。
    私の口は咄嗟の攻めにゾーンディフェンスで対応することができず、唐揚げは私の口に、見事とも言えるゴールを決めた。
    ゴールを決めた彼女の顔は、勝ち誇ったような恍惚とした表情で、私の大好物だった。これだからサッカーはやめられない。

  • 4月19日 ミルタザピンに元気を分けてもらう話

    4月19日 ミルタザピンに元気を分けてもらう話

    久しぶりだなー!
    ミルタザピンはにこやかに、俺に手を振った。

    いやーお前とはできればさよならしたかったんだけどねー、と憎まれ口をいうと彼は俺の肩をこづき、まぁそんな連れないこと言うなってー!と元気に返してきた。

    ミルタザピンは元気だ。薬のパッケージが少しかすみがかった青色で、彼の眼の色と一緒だった。
    その眼、綺麗だよな、ってむかーし言ったことがある。
    そしたら彼は、男に言われたって嬉しくもなんともねーわ!と笑いながら言った。
    飲みかけのコーラから、シュワ、と音が聞こえた。

    彼は眠りを心地よいものにしてくれるんだよね、と主治医は言い、かねてから睡眠に苦手意識を持っていた俺は、主治医の言う通りにそれを処方してもらうことになった。
    上述の通り以前はずーっと飲んでいて、主治医にそう言われたからきっと何かの役に立っているのだろうと考えるけれど、正直なところ眠りに落ちるスピードは、その日の身体や気分によって変わるから、ミルタザピンのおかげかどうか、はっきりと自覚できていないところがある。

    だけど俺は、彼を根っからに明るいヤツと考えるようにした。
    そうすることで、彼から少し元気を分けてもらえるような気がするから。
    たまにそういう人、いるよね。喋ってるうちに元気を分けてもらえるような人。

  • 4月18日 心療内科の診察待ち

    4月18日 心療内科の診察待ち

    心療内科で診察に入るのを待ってる。気持ちが全くと言っていいほどバレない。

    一昨日から。

    • 眠れない。ほんとに眠れない。いや、眠る気がないの方が正しいのかも。このまま寝てもなー、って感覚。今日に未練が残ってるのかも。なぜ?分からない。仕事の日は家から出てないとか、なんらかの刺激が足りないのかも。お酒、タバコ、ほどほどに受け入れてるのだけど、そういう点での刺激が欲しいわけじゃないのかもしれない。満たされないとか?知らんけど。
    • 仕事に対する不安。仕掛かり中の仕事を無事にやり遂げられるか分からず不安。周りの人からの期待に応えられないかもしれないという不安。
    • 食欲は変わらず。

    なんらか、満たされていないと感じている?

    今の自分にあるもの、既に満たされてる部分を考えてみよう。もしかすると、これで良いのだ、という気分になるかもしれないから。ないものねだりしても、それが良いプレッシャーになって更に成長できるほどの英気を持っていれば良いけど、そうじゃない時は心を害する敵になるから。

    これで良いのだ、ってバカボンのパパだな。赤塚不二夫はすごいね。

  • 4月17日 よくわからないですが落ち込んでいます

    眠りの質が悪いと感じたのはもうずっと前からで、

    • 寝つきが悪い
    • 夜中に必ず目が覚める
    • 夢をよくみる

    こんな症状が続いている。

    そして、「うまく眠れない」ことを発端としてストレスを抱き、
    さらに眠れなくなってしまうという悪循環に陥っているような気がしている。

    眠れるようにすればいいじゃん、と思っていろいろ頑張ってみてはいるのだけれど、
    どうしたって眠くならないんだからしょうがない。
    一度、眠くなるまで起きてみたのだが、結局3時30分くらいまで眠くならず、
    そこに至るまでSwitchでゲームやら、スマホでtumblrやらやってしまって
    そりゃ眠くならないわけだよ、という体験をした。

    絶望。

    気分が滅入ってくるターンに入った。
    明日、ちょうど心療内科の日なので、3週間ぶりではあるが
    この気分の落ち込みを先生に話してみようと思う。
    多分、そっと背中を押してくれるんだろうけど、
    それ以上に、何かに縋りたくなってしまう私としては、
    もうちょい、お導きのようなものが欲しいと思ってしまう。

    多分それ、心療内科じゃなくて、もっと違う、宗教とかなんじゃないかな。

    気分の落ち込みを改善したい。
    ニュートラルな状態でいいから、そこまでもっていきたい。
    本を読んでも、お酒を飲んでも、何しても落ち込みを改善するようなものが
    見つからない場合にどうしたら良いか、その方法を見つけ出したい。

  • 4月15日

    4月15日

    村上春樹が新作を出したというニュースを目にした。彼の文体はだいぶ特徴的。レトリックという言葉が適切だろうか、私みたいな、にわかハルキストにも満たない人間から言っちゃうと怒られてしまいそうだが、物事を表現する時に使う言葉から、彼の個性を感じる。かと言って難しい訳ではなく、すっと頭に入ってくるところこそが、彼のすごいところなのかもしれない。

    新作を出した記念に、図書館でまだ読んでなかった作品を借りた。家族がスーパーで買い物してるので、雨音を聞きながら読む。

  • 4月14日 自分探しの旅2023

    4月14日 自分探しの旅2023

    自由が幸せとは限らない

    スナフキンの名言

    多少の制約があったほうが、人生にハリが出てくるのだろうか。
    制約があるからこそ、その中での自由を噛み締めることができるような。

    昔、奴隷だった哲学者が、主人よりも奴隷の方が自由だ、みたいなことを言ったそうだ。
    理由は、依存度の違い。
    主人は奴隷に依存してて、奴隷がいなければその生活がままならない。

    現代では奴隷と思えるようなものは見当たらないけど、
    社長に対しての社員とか、見方によっては奴隷と考えられるかもしれない。
    奴隷というより、使用人みたいなイメージかな。

    そして一般社員で働く私の立場でちょっと考えてみる。
    すると、お金の奴隷になっているようなことを思いつく。
    お金のために働く。
    お金を、使うために働く。
    お金は、いくらあっても満足することはない。
    お金に、依存している、という考え方。

    お金に縛られない生き方。
    どっかの誰かが、年収130万円で豊かに暮らす、みたいなブログを書いているのを目にしたことがある。
    年収130万円というと、月10万円ちょっと。
    ほとんどは食費に消えてしまうかなー、とちょっと考えたりする。
    たまに、美味しいご飯を食べたくなっちゃったとしても、それを外食で済ませるのはちょっと難しいから、自分でなんとかしようとしたりする。
    いつ、どんな時でも外食ができる人が羨ましいか。
    それとも、自分の力でなんとかしようとして、スーパーで食材を買ってきて自分なりに作ってみて、それを食べる方が羨ましいか。

    私はここで、後者の方が良いだろうと推測しながら文章を書いてきたけど、いや、それは価値観に依存するから、どちらが正しい、どちらが幸せだとかは言えないよなぁ。
    楽に、お金を払って誰かが作ったものを食べ、舌鼓を打つ。
    もしくは、自分なりに料理して、苦心したものを食べ、舌鼓を打つ。
    結果を重んじるか、プロセスを重んじるか。
    私は、後者の方が私の価値観に合っているような気がする。

    こうやって、自分探しの旅をし続けていくんだと思う、人間は。
    経験を元に、自分の価値観を見つけ出すような旅を。

  • 4月13日 自分の人生を生きるために、欲望に優先度をつけようぜという話

    4月13日 自分の人生を生きるために、欲望に優先度をつけようぜという話

    ふと、気になったサイトの記事。
    割と有名なメディアサイト「キナリノ」の、「誰かのための人生になってない?幸せな「自分の人生を生きる」ヒント」というタイトルの記事。

    誰かのための人生ってなんだろう。自分の人生ってなんだろう。

    人間は、自分のために人生を歩んでいると思っている。
    子供だととてもわかりやすい。
    自分の欲求を満たすために、自分の欲望に対して真っ直ぐに向き合って生きている。

    それが理想だとすると、大人(と呼ばれる人たち)は、自分の欲望に向き合って生きてはいないのだろうか。

    向き合って生きてはいないのだと思う。
    なぜなら、それをやってしまうと、ワガママだとか、周りから叩かれてしまうから。
    だから、そうならないように、世間の目を伺いながら、生きている人が多い。

    たまに、そんなの気にしてらんないわー、私は私の人生を歩むんだから、という人がいる。
    言い換えると「ロックな人」。
    そういう人に、憧れる人は多い。内田裕也に憧れてる人とか、ね。

    憧れるのと、そうなりたいと思う願望って、ちょっと違うと思う。
    仮に、私が内田裕也に憧れているとして、今、私が、仕事をやめて音楽で生きていくぜ!ロックだぜ!それがやりたかったんだぜ!となると、どうだろう。
    私の家族は、食べていけなくなってしまう。
    私には責任がある。家族を養っていくという責任。
    だから、本当はロックがやりたいのに、それを我慢して仕事したりしている。

    文句あるか、別にないだろ、大好きな家族が、美味しいご飯を食べる時に見せる笑顔が見たいという欲望を満たすために、働いているんだからな。
    ここまで考えるとどうだろう、私のやりたかったことって、「家族の喜ぶ顔が見たい」のであり、それは「ロックをやりたい」という欲望よりも上位に来ることがわかる。
    ロックをやりたい、けども、それよりも家族の喜ぶ顔が見たい。

    なんか話がずれてきた気がする。

    自分の人生を生きるために、自分の欲望を明確にすることってすごく大切だと思う。
    だけど、上で思考実験をしてわかったのは、100個の欲望があったとしても、それが全部同じ位置にならんでないよな、ということ。
    優先度が重要度があって、それに応じて、時には世間に合わせて生きたりしてるんだろうなぁ。

  • 4月12日 後悔について

    4月12日 後悔について

    後悔のない人生を歩もうというのは、いったいどういうことなのか。

    生きている限り、「あぁすれば良かった」みたいなことは容易に起こり得る。
    その時に、自分が選んだ道を「間違ってしまった」と考えることこそが後悔で、それは自分を否定し、自分の敵となってしまう。

    だけど、その道を選んだ時の自分はきっと、その道が正しかったと思っていたはずで、自ら悪い方向へと導くことは生存本能を鑑みるとしないはず。
    だとしたら、自分を信じて進んだ道を、そのまま突き進むことこそが、後悔のない人生を歩むための大切な考え方なんだと思う。

    そして「あぁすれば良かった」と考えるのは、一方的な見方であり、もっと多面的に見ることでその道が正しかったと思えるようになるんだと思う。

    自分を信じるって難しい。
    自分が歩んできた道が誤っていたと認めることもまた、難しい。
    けど、その、誤っていたと考える自分を信じること、肯定することもまた、自分を信じることになるのだから、

    つまりどんな道を選んだとしても、きっと正解なんだと思う。

  • 4月11日

    4月11日

    司馬遼太郎の関ヶ原を読み直している。
    どうする家康で、大河ドラマがやっているから。
    いつ買ったんだっけなぁ、買った当初は石田三成を推していた頃だったので、家康が悪者に見えてしょうがなかった。
    ところがそれかr幾年か経ったのちとなる今、それを読み返していると、石田三成の気の効かなさに切なくなってきてしまう。

    子供を想う、親の気持ちとも言えるほどの。
    じれったい、ってやつかもしれないなぁ。
    まぁ、司馬遼太郎のエッセンスが入り込んでいるだろうし、そもそも史実の通りに描くことは難しい局面もあるだろう。
    だからこれが石田三成の個性、という一方的な見方で捉えるのもちょっとアレだよなぁと思いつつ。

    もっと、周りに気を配ることができたら、西軍に軍配が上がったかもしれない。そうなったとしたら東京という街は今ほど栄えておらず、滋賀県のあたりが日本の中枢になっていたかもしれないと思いを馳せてみると、この戦いがあったから今の日本になってるんだよなぁと思ったりする。
    たらればだからね。思いを馳せるのは私の自由だけれども。

  • 4月10日 日立台までランニング

    4月10日 日立台までランニング

    ランニング。11km。レイソルのスタジアムを横目に見て柏の街を流して帰ってきました。気持ち良かった。