4月24日 未来を信じるモチベーションを何に

死んだら終わり。
何もかも終わり。
死んでから幽霊になってどうのこうのとか、ない。
前世も来世も、そんなものはない。

この真理に気づいたのは、京極夏彦の、魍魎の匣、だった。
どういう経緯かは忘れてしまったけど、要はそういうシーンがあり、
それを読むまではぼんやりと「脳の中で起きてる電気信号によって意識が作られる」
くらいの知識を持っていたので、割とすんなり受け入れることができた。

その本を読んだあたりから、ぼんやりと哲学というものに触れようとする意識が
脳の中で働き、いくつかを読んだ後、私は、時間というものによって
過去、現在、未来と分けられているけれど、その軸みたいなものが良く分からなくなってしまった。

例えば、未来。「みらい」と口に出して、声を発してみる。
発した瞬間から、自分が未来だと思っていたその空間は過去のものになる。
現在、という軸は実は存在していなくて、過去と未来しかない。
過去を証明できるものはなく、今、私はこのブログを書いているし、
経験としてここまで書いてきたことを覚えているけれど、
その、覚えていることすらも脳が勝手に電気信号で作り出しただけの可能性があるし、
このブログも、実は誰かが私の代わりにここまで書いてきた、という可能性がある、という辺り。

つまり、何を信じて生きれば良いのか、と。
よく、未来を信じて、とか、今を信じて、とか言うけれど、今なんて時間は存在しないし、いつからが未来で、その未来に期待してても、もしかしたらやってこないじゃないか、と。

昨日、TOEIC頑張るぜ!みたいなブログを書いておいてアレだけど、
未来を信じるモチベーションは、いったい何に頼れば良いのか分からなくなってしまった。
藁をも掴む思いとは、こういうことなのだろうか。
未来、何がくるか分かんないからあんま味方になりたくないんすよねー、
過去、それがいったいなんなんすかねー、
現在、それっていったいいつのことなんすかねー、
と、ひねくれたパンクな青年のようなことを考えついてしまった、44歳の春。