3月30日 プライドについて考えてみた

プライドが高い人ほど、偏見を持ちやすいように思う。
自分の中で固まった固定観念があり、それをベースにして物事を考えることが多いと思うから。

プライドって邪魔なものだろうか。
誰にでも分け隔てなく接し、自分よりも相手を立てる人がいる。
そんな人の周りには人が集まってくるし、信頼されていることが多い。

私はそんな人に憧れている。

そんな人の、プライドについてちょっと考えてみた。
彼らにもプライドはあるはずなのだ。
プライドを持つことによって自己肯定感が生まれるから。
自信を持つことにもつながるような気がする。

うーん。

私の中で考えがあんままとまってない感じがする。ハードルを一段下げて物事を考えてみたい。

このブログを書くに当たり、当初「プライド=悪」という構図を考えた。
その等号は、プライドを持つと他人の意見を聞き入れる時に、偏見を持って聞いてしまうから、という理由を考えた。
だけど、プライドを持ちながらも、人の意見をきちんと聞くことができる人だっている。少数派かもしれないけど。
また、プライドを持つことで自分に自信が生まれる。
私はここで生きてっていいんだ、働いてっていいんだという自信は、自分の存在意義を明確にする。
これって結構重要なことで、自己肯定感の低い人、自分に自信が持てない人は、その先に「生きづらい世の中」が待っている。
そう考えると、プライドって別に悪そのものではないよな。自分を支えてくれる味方のようなものだから。

いや、別に否定するつもりはないんだよな。
上述した通り、私はそんな人に憧れているのだから、なるべく自分の意見を持たずにニュートラルな視点で他人の話を聞こうとしていて、けどそれが仇となって自分に自信がないように感じているので、プライド、自信を持つ、ということと、プライドを前面に出さずに周りの話を偏見を持たずに聞くことのどっちを優先するかということなんだと思う。

プライドを持ちつつ、なるべく偏見を持たずに暮らすというのが、今の自分の最適解なのかもしれない。