多分、私のなぜなぜ分析がうまくいってないからだと思うのですが、
なぜ?なぜ?を繰り返していくと、担当メンバーの仕事をやり遂げるスキルが十分に備わっていないからということに到着してしまいます。
例えば、ボタンに新たな選択肢を増やす要件を実装するというお題に対し、新たな選択肢が選択項目として表示されなかった場合
なぜなぜ1:開発者が要件を見逃していた
↓
なぜなぜ2:要件の記載が明示的ではなく、わかりづらかった
↓
なぜなぜ3:要件の記述者が、開発者の見逃しを防ぐような記述をしなかった
↓
なぜなぜ4:要件の記述ルールに、新たな追加要件を書く時の強調ルールが決められていなかった
↓
なぜなぜ5:新たな追加要件を書く時のルール作りで、プログラマの心情を理解せずにルールを設定した
↑この分析は果たしてきちんとできたでしょうか。。
大切なのは、人ではなく事象へという意識なのか
上で挙げた例は、私の中でぱっと思いついた分析の流れです。
ここではなるべく頑張って、人に依存しないような事象へと寄せるようにしました。
軽く考えると、要件を見逃した開発者が悪いだとか、要件を書いた人が強調しなかっただとかに行き着くような気がしていて、しかもそれらへの流れが容易に思いつくんですよね。
人を責めても、改善なんてしないんだから、仕組みを変えていくための分析としてあるべきなのかなと思います。
身近な問題にもなぜなぜ分析が適用できるか
これ、ずーっと前にも書いたような気がしますが、、
例えば私、月100kmのランニングを目標としているのですが、毎月70kmくらいで終わってしまいます。
気合いが足りないだとか容易に思いついてしまうのがアレですが、ちょっと考えてみると、きちんとした分析になるんだろうなぁ。
月間100kmを走り切ることができない
なぜなぜ1:走る時間が足りない
なぜなぜ2:他にやることがたくさんあり、優先度が下がる
なぜなぜ3:100kmを走り切ったところで、効果が見えない
なぜなぜ4:目標として大きすぎる
なぜなぜ5:週間目標とか細切れにして、毎週の目標にする
うーん。
答えありきな目標になってしまった。
同じようなことを昔考えたことがあり、その時は週25kmを目標にする、みたいなところに行きつきました。多分そこをクリアするために、週3回、8km以上を走るようにする、みたいな具体的なところに行き着くように目標を作れば良いんだろうなぁ。
と、他人事のように考えてしまっていますが、、まず気合いが足りないんだよなぁ、、ホントに。