自己肯定感を高めようと意識するのをやめた

自己肯定感を高めよう高めようと日頃から考えていたけれど、それは難しいということが分かった。
HSPから来る、自分自身への低い評価は根本的には治らないものなので。

違う。治る治らないという話ではない。もともと悪かったものではないはずだから。
つまり、治らない。悪くないから、治すという感覚が間違っている。
もしくは、治す(というより正す)べきは私の感覚。
自己肯定感を高く持っているほうが、人生を軽やかに過ごせるだろうという価値観。
残念ながらそれは相対的なものだから、いくら自分の中で高めようと意識したところで、その時点で見えている屋根は偽物で、実際は青天井なのだから。
どの程度高く持っていれば、軽やかに過ごせるのか、という話ではない。
そもそも軽やかって。自己肯定感をどう捉えているかと、人生を軽やかに過ごすかは関係ない。
そんなのを意識しないほうがむしろ、軽やかに過ごせるのではないだろうか。

ここのところHSPに関する本を何冊か読んでいて、HSPな人の傾向として見えるのは、私だけかもしれないけれど「背中を押してほしい」「後ろから支えてほしい」という印象。
分からないけれど。私だけがそんな風に感じているのかもしれないけれど。
外向的が偉い、みたいな文化、言い方がアレですけどリア充はみんな外向的、みたいなところを考えると、どうしてもそっち側を目指すべき、と育ってきたように感じていて、つまりそれって自分が肯定されていないのではないかと勝手に考えてしまうところがある。裏を返すと内向的な人は人生が充実していないのだ、と。
だから、「生きていいんだよ」「生き方、感じ方は間違ってないよ」という形で、自己肯定感を持つだけで十分なのではないかと思う。
そこからの、高めるとか、低いとか、そういう度合いの話ではなく、YesかNoしかないだろ、と。
「自己肯定感を高める」って言うから、あー無理だわ、ってなってしまう。
そうじゃなくて、「自己を肯定する」だけでいいんでしょ。それなら、なんとなく、できるかな、意識してみようかな、ってなれる、気がする。自信ないしどうせまたすぐクヨクヨするんだろうけど。

ただ、タチが悪いのはこの「背中を押してほしい」「後ろから支えてほしい」に対して、「押すぞ!」「支えるぞ!」と私以外からの暖かくて優しい人から投げかけてもらったとしても、私自身は決して満足しない。残念ながら。非常に残念。別に皆さんを信じていないわけではない。優しさを、無駄にしているようで申し訳ないのだけれど。そこでもまた自己嫌悪になってしまうけど話が発散するのでこの辺で。
私は、私自身から全力で押してもらい、支えてもらうまでは、ずっと疑い続けるのだ。
そんな、とても残念で救いようのない性格。
これはHSPの特性なのかどうかは分からないけれど、少なくとも「自分を信じていない」ことによる裏返しなのだろうと透けて見える。

私が感じるこの感覚、間違ってないよね、という問いかけは、そもそも持つべきではないし、持ったとしても自分の中に投げかけるだけで留めておくべき。
そこで、周りに答えを求めてしまうから、結局「他の人とは違う」という感覚になり、それが自己を否定するきっかけになる。そして「自分は周りになじめない」と自己嫌悪になってしまう。この繰り返し。