学級委員に選ばれるような人間だった自分、
なぜそんな風に見られていたのかと考えてみたのだけれど
多分、落ち着いて見えるからなのだと思う。
落ち着いているのではない。
自分の中でたくさんの葛藤が生まれていたし、みんなと同じように喜怒哀楽、様々な感情を抱いていた。
条件反射的に動くことがあまり得意ではなかった当時、それができるような人間、例えば体育がめっちゃ得意な人、給食をめっちゃ早く食べられる人、彼らを羨んでいた。
それらが、私にはできなかったから。
そうだ、私にはできないことがたくさんあったんだ。
できる、できないというのが「人より優れている、優れていない」という観点で見ていたので、自分をだいぶ蔑んで見ていたように思う。人よりできるものなんて、今だってそうだけど、何一つない。
目立たない私。どこにでもいるような、静かな、人間。
あ、けど、人の話を聞くという点では、もしかしたら人より優れていたかもしれない。
当時の、クラスメイトよりも。
まぁ、人の話を聞いたからって、その人が持つ悩みを解決できたのかというと、そこは疑問ですけどね。そういう問題ではないだろ。
私が学級委員に選ばれていたのは、その、人の話を聞くという点だったのかもしれない。
そして私を推してくれた人たちは、私のそういうところを評価していたのかもしれない。
こういう根本にあるようなものってさ、年月を経ても変わることないよなぁ。
35年前から何ひとつ変わっていない気がする、私のコアにあるものたちは。