相槌の話

木々が、風になびいて揺れている。
さっきまで降っていた雨が、葉っぱが揺れたせいで、落ちる。
重力。引力。
その水滴が私の頬に直撃し、唐突に濡らしていく。

人を疑うことは簡単にできる。
そして、自分が信じることのできる人は、自分だけだ、と痛感する瞬間がやってくる。
自分だって、たまに、自分を裏切るではないか。
自分が期待していたものを達成できなかったことだって、たくさんあるじゃないか。

在宅勤務が主となり、画面の向こうに同僚がいるということが常識になった。
1年ほど前までは、隣に座っていた彼が、彼女が、今では画面の向こう、会議中にカメラオンにならないからどんな風貌になっているか分からないのだが、バーチャルな付き合いになってしまった。

猛烈なウイルスが齎したものは、コミュニケーションの変革だ。
今まではアイコンタクトを始めとした対面コミュニケーションが主だったのに、今では相手の声しか分からない状態で、コミュニケーションを取るようになってしまった。
相手の一挙手一投足が見えないから、相槌を打つことすらままならない。
相槌は本来、適度に打ったほうが相手が喋りやすいと言われている。
だけど、ネット上でのバーチャル会議では、もっと頻度を落としたほうが喋りやすいような気がするのだ。
相槌を打つと、もともと話していた人は「声が発せられた」と認識し、いったん話を止めてしまう。そして、それが意見などではなくただの相槌だと気づいた時に再開する。

その、わずか0.8秒程度のギャップが、会話をより一層ぎこちなくさせてしまう。

私は相手が気持ち良く話してもらう状態を作るのが好きで、だからこそ適度な相槌の頻度について良く考えるのだけど、それは人によって感覚が違うから、少ないほうが、とか多いほうが、とか考えてしまうのだけど、それがZoom会議になると新たな感覚となって考え直さなければいけない、と実感している。

南風がやんだ。

穏やかな空気が室内に入ってくる。
窓を開けて寝るのにはまだ早いような時候だが、窓を開けて室内を少しだけヒンヤリさせた状態で掛布団に包まって寝るのも、この上ない幸せの形だったりする。季節はそうやって、自分が捉える幸せの形を実感させてくれる。