でさ、昨日話したコンビニの前で酔いつぶれてたおっさんなんだけど。
え、ちょい待って、二日連続でその話、いく?!えっ?!まだ続くの?!
いや、だってさ、おっさん、めっちゃ気持ち良さそうだったんだもん。あれ、人生の真理だよな。真理。
ちょっといろいろ飛躍しすぎてて、何がなんだか全然分からんのだけど。。。
いやだから、機嫌良く生きるためにはさ、歩道に寝っ転がったっていいわけでしょ。自分が何をしたら気持ち良くなるか、時には羽目を外すことだって良いんじゃないの?
まぁ時と場合によるけどね。ある程度は必要だよねきっと。
自分の可能性は、自分で狭めているのだろうか
40歳を過ぎて、残された時間と、守らなければいけない家族を鑑みると、できることが限られてくるような思いに駆られる。
特に家族。
子供たちが大きくなるまでは私は仕事をしてお金を稼がないといけないし、そのためには健康でいなくちゃいけない。私がそうやって親に守られながら、育ってきたから。子供には、自由に育って欲しいと思っている。
学校の勉強はもちろん大事だけど、学歴社会じゃない、多様な価値観を身に付けて、成長して欲しいと願っている。
書きたかったことから少し脱線するが、「学歴社会じゃない、多様な価値観を身に付けて」という言い方は、学歴社会を否定する、負け惜しみなような言い方に聞こえてしまう。おそらく、私の偏見である。
立派な学歴を持った人がこのセリフを吐くと説得力があるのだが、私のように中途半端な学歴を持つ人間が言っても、どうも薄っぺらく聞こえてしまう。
気にすることなんてないはずなのに、私はいつもこの部分が気になってしまい、「学歴なんて気にするな」というセリフを吐く時はいつも、声が心なしか小さくなってしまう。
さて、私は上述したように、割と親から愛されて育ってきたような感覚を持っており、だからこそ同じように、子供たちに対して彼らのやりたいことを実現させてあげたいと思う。
そのためには、私がやりたかったことを我慢してでも、彼らの欲望を満たしてあげる方を優先すべきなのだ。
優先すべき、それは本当だろうか。
私は私の人生を生きるべきであって
まず、冒頭に書いたことは皆、私の妄想ということが明らかだ。
- 残された時間は多くない
- 家族を守る
これらは一見、40歳を過ぎた、父としてあるべき姿のように見える。
おおよそ間違っていないのかもしれない。
が、果たして本当だろうか。
まず、残された時間は少なくない、という点。
80年生きるというのを前提で考えたとして、私に残された時間は残り37年ほど。
老年になると体力がなくなるだろうか、体力を抜きにして考えると残り20年くらいか、、、と軽く見積もったのだが、
その前に、そもそも私は、いったい何をしたいのだろう。
何をしたいかによっても、だいぶ変わってくるのではないだろうか。
あと、家族を守るという点。
こちらについては責任という意味合いからも、私は家族を守るべきだし、幸いなことに今の仕事は嫌いではないから、まだまだ働きたいと思っている。
なのでここ、家族を守る必要なんてない、という価値観もあるかもしれないが、私にはそれはしっくり来ていないのでこれ以上は割愛する。
結局、自分が機嫌良く生きることが人生の目的と考えた時に、自分のやりたいことを実現すべき、時には家族や自分のリソース(体力、気力、財力)を無視してでもやるべきである。だけどそれらを無視した後で痛い目を見るのは明らかなので、機嫌良く生きた後に痛い目を見て辛い思いをするくらいなら、最初からその道を選ばなければ良いだけであるから、きちんとした道を考えつつ、生きていくべきなのだろう。