私は凡人だから

日々、何かをインプットし、このように文章を排出している。
この文章自体も、新たなインプットとして受け止め、それを基にしてさらに新たな文章を排出したりも、する。

だが、私がここで紡いでいる文章は、インプットがなかったら出来上がらなかったのだ。
つまり、インプットしたもののコピーということになる。
インプットしたものをいくつか組み合わせて排出したりもするから、それは見方によっては自分のオリジナルかもしれない。
だがその組み合わせ方も結局どこかで誰かが考えたやり方に則っている(ような気がする)から、私の完全なオリジナルというのは、もはや生まれないのではないか。

私がここで考えつくようなものは、世界のどこかで誰かがすでに考えているはずだ。
私がそこまで突飛なことを考えることができないというのは、十分に理解しているから。
私が今、両手に持っている知識や経験は、どっかで誰かから受け継いだものに違いないから。

昔、アイデアの作り方という本を読んだことがある。
昔、と書いているが、今でも私の本棚に眠っている。
それを先日、少しだけ開いた。
そこには、「あり得ないものを組み合わせてみる」と書いてあった。
それを読んだ瞬間は、確かにそれは新しいアイデアが作られるような気がする。

が、

例えば、目の前にあるものを組み合わせてみよう。

紅茶が入っているティーカップと、付箋。
これらを組み合わせると、何か浮かんでくるだろうか。

アイデアとしてあるのは、それぞれ、オフィスで日常的に使うものである。
ぱっと思いついたのは、ティーカップに付箋を備えたもの。
だけどティーカップは洗う。付箋は水に弱い。
だがそれは水に弱い付箋という先入観を持っているからで、材質を水に強いものに変えたらどうだろう、と新たな発想が思い浮かぶ。

ここで、悪魔が登場する。
そんな発想、世界のどこかで誰かがやってて、その人はきっと、製品化しているよ、と。
私はそこでやめてしまうのだ。

私は凡人だから。

私は、凡人だから。

多分、自分の生み出したアイデアによほどの自信があれば、それを製品化して売るところまでの情熱が生まれるのだろう。

その情熱は、自分にあるのだろうか。

大学の頃、遊びでTシャツにアイロンプリントをして売るということをしていた。
友人が1枚だけ買ってくれただけだったが、元手は0円だったので、痛くはなかった。
Tシャツをデザインするのが好きだった。
それをビジネスにしようと思ったのは、ある程度の自信があったのかもしれない。
今の自分には、そこまでの情熱はない。

残念だけど、私は凡人だから。