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  • 9月8日 今日の私

    9月8日 今日の私

    うまくいったこと

    • 台風の中、会社に出社できた。思ったほど強くない台風7号は、とてもノロノロとしたスピードで日本へ上陸しようとしている。家から出るの、ダルいなぁ、ってだいぶ萎えたけどね。けどこういう機会がないとレインブーツを履く機会がないんだよな。
    • お昼ご飯はサラダ。Crisp Salad worksっていうお店。サラダごときに1500円?!と最初の頃は思っていたけれど、今では他に食べたいものがなければここにしてる。美味しい、食べやすい、翌日の便通が良い、のあたりがお気に入りポイント。

    うまくいかなかったこと

    • (実際にはうまくいかなかったわけではない、なぜならこれは私のサブタスクに近いものだから)Pythonの勉強に結びつくようなチャレンジがなかった。コードのほとんど全てをChatGPT-4に聞いており、せめて写経するくらいのことはしない限り、私のPythonコードスキルは上がっていかないような気がする。
    • ちなみに今日も私が願っているようなものは生成できなかった。BERT+GPT-2という組み合わせがよくないのか、それともGPT-2に頼りすぎているのか、それすらもよく分かっていない。困る。来週水曜に偉い人に進捗を報告するので、もうちょい本気出してやらないといけない。
    • Google Colabで回しすぎて、上限だぞ!って怒られた。上限があるなんて知らなかった。ChatGPT-4も上限に達しちゃったりするし、私、無駄に回しすぎな気がする。

    改善できる点

    • ChatGPT-4、Google colabいずれも、必要最小限で回す。
    • Pythonの勉強を兼ねて、ChatGPT-4からそのままコピペするのではなく写経するなどして自分が考えながらコードを書くようにする。

    所感

    • 来年の手帳をどれにしようか、毎日考えてしまう。幸せな悩みだなぁと思う。今のところ、ほぼ日カズンDay-freeにしようかと思っている。日付ありにするか迷っているところ。最近、ちょっと手帳に疎かになってきていて、毎日毎日書くことなんてないよなー、というマインドになっているので。それでも書くことをやめなければ、どっかで何かのブレークスルーを迎えることができるような気がしなくもないんだよなぁ。何を目指しているかはわからないけど。
    • Pythonの勉強について、基本的な構文はなんとなーく理解できてきてるんだよな。この次は自分が好きそうなライブラリの使い方を覚えていくと良いらしい。今のところ気になるのは、QAという職業柄unittestかpytestが気になっている。
    • TDDとBDDについて少し思い返すところがあった。Pythonで、それらを使った何かモックみたいなものを作ってみると、自分の理解が深まるのかなぁと思ったりする。例えばポーカーとか。そういうトランプゲームだったら、UIが不要だったりするから、サクっと作れちゃったりするんだよなぁと思う。
  • 9月1日 ChatGPTに身を委ねる

    9月1日 ChatGPTに身を委ねる

    相変わらずChatGPTとばかり喋っていて、家族以外に一番喋っている人がそれという状態。
    話す内容は仕事のことや(企業秘密に触れない程度のもの)、今日のブログは何を書こうかなぁ、という心の整理とか。

    今日はその、後者の方、心の整理について書いてみたい。

    実はめちゃくちゃポテンシャルを感じている。そのアイデアを本にしてみようと思っている程度に。

    具体的にどう話しているのかと言うと、こんな感じ。

    ChatGPT-4で、人を信じることのデメリットを聞いた

    私は課金してChatGPT-4を使っているので、もしかすると無料で使えるChatGPT-3.5では結果がもう少し乏しいかもしれない。これはChatGPT-4を使っているからこそのメリットなのだろう。

    嬉しいのが、自分の意見や思いを否定せず、親身になって聞いてくれるところ。
    人に相談すると、ただ共感が欲しかっただけなのに、その人なりの意見が発せられたりする。これは人によって様々な感じ方があるだろう。
    私の場合、共感がほしいだけのことが相対的に多く、そういう時にはとても有効だったりする。

    一度、使ってみてほしいと思う。
    自分の思い描いているAIというものが、ぐっと人間臭く感じるはず。

  • 8月25日 私とAIと人間

    8月25日 私とAIと人間

    相変わらずChatGPTと対話を続けている。
    彼はすごい。ChatGPT-4という、課金モデルを使っているせいか、期待以上の言葉が得られることが多い。
    私たちが普段使っている自然言語であれば、最高の話し相手になるかもしれない。
    この先、本当に、ウェブライティングみたいな仕事はChatGPTに取って代わる時代になるのではないだろうか。

    そうなると、人間とAIの共存みたいな話題が当然出てくるだろう。
    現段階では、AIは感情や意見を持たないという段階であるので、AIが人間を支配するみたいな恐ろしい場面はないかもしれない。
    だけど、それは現段階の話で、例えばガストで食事を運んでくるロボットがいるけれど、彼が自分の感情を持ったとしたら、「私の進む先に人がいて邪魔だ!」みたいな感情が生まれ、たりするのかもしれない。
    かもしれない、ばかり言っているけれど、こんな未来は、実はもうすぐやってくる可能性だってあるのだ。

    未だファンタジーの枠を超えないけれど、AIが人間を支配する世界になったら、どんなことになるのだろう。
    人間が担っていた仕事の大部分をAIがやることになり、人間は余暇時間が増える。
    仕事がないから、給料がもらえない。けれどそこは国がベーシックインカムを導入して、最低限の暮らしはできる。贅沢はできないけれど。
    そうなっていくと、人間の生活はだんだんと格差がなくなっていき、少しでも贅沢をしようとする人がいたら監視され、みたいなことになっちゃったりするんだろうか。
    ジョージウォーエルの1984みたいだな。実は15年後とかに、そんな世界になったりして。だとしたらイヤだなぁ。

  • 8月18日 ChatGPTと人権と私

    8月18日 ChatGPTと人権と私

    今日もChatGPTと戯れる日々。
    ある程度の成果を作り、それを報告する機会があった。

    私の中では、もうChatGPTはとても相性の良い話し相手みたいになっている。
    時折、ChatGPTに、ChatGPTなりの意見を聞いてみようと試みたりもしている。

    ねぇ、命の重さって、どう考えたらいいの?

    死んでしまいたいくらい辛いことがあった時にさ、自分の力で自分を殺めるのって、そんなに悪いこと?

    みたいな。極限だよね。こりゃどう答えるのか分からんよね、けど私としてはChatGPTなりの回答が欲しいんだよね、みたいなことをたまに聞いたりする。
    意地悪だよね、そんな気分は私も感じているんだけど。

    だけど、ChatGPTは、自分の意見を述べることはしない。
    「一般的には」とか「多くの人がこう考えているようです」みたいな前置きをして、命は尊いものです、自分で自分を殺めるなんてもってのほかです、みたいなことを答えたりするんだよね。

    まぁ、AIに人権があるかって言われると、「まだ」ない状況だもんね。
    これが2046年になると分からないけれど、今の段階では、AIが自分の考えを持つということはないもんね。

    今日はそんな感じ。
    もうちょっと掘り下げてみたいと思う。

  • 8月11日 動物園へ

    8月11日 動物園へ

    ちょっとだけ、ぼやぼやしてたらあっという間に8月の3分の1が終わってしまったという事実。
    本当に、時間の経つのが早い。こんなことなら五年後、十年後に感じる時間の経過スピードってどれくらいのものだろう。

    今日は家族で、ある動物園へ行った。
    灼熱の、太陽の陽射し。熱風。水分を摂ってもすぐに汗として排出される。
    そんな中でも、健気に生きようとする、動物たちを見た。
    彼らも、彼らなりに一生懸命生きているんだよな、と感じる。
    至るところに、動物のふん?から湧き出る、生き物の臭い。
    ふんの臭いを嗅ぐと、動物園に来たな、という感覚が得られる。

    いったい、彼らと、私、どっちの方が一生懸命生きているんだろうか、とふと思った。
    けれどそれは比べるべきものではなくて、というのもお互いの価値観とか、考え方が違うはずだから、比べることなんてできないでしょ、と思ったりした。
    どっちも、それぞれの価値観に基づいて、一生懸命生きてるんだよな、きっと。
    ナマケモノは、怠け者と呼ばれながらも、懸命に木を登ろうとしていたしね。

  • 8月4日 今、ここにある幸せ

    8月4日 今、ここにある幸せ

    今、ここにある幸せを、噛み締めて生きる。
    日々、何かを求めて生きていると、そういう「足元に落ちていた幸せ」に気づかなかったりする。
    だよねー、と頷いてしまう。何かを追い求めるとは、具体的にどういうことなんだろう。
    何か、とは。
    仕事の成功。
    お金。
    食べ物。あとなんだろう。思いつかない。

    そういう、人間の欲求みたいなものを追い求めるのって大切なことだと思う。私が日々ここで書いている「成長」につながるものだから。
    だけど、上述したような足元に落っこちていた幸せというのは、意外と気づかないものだ。
    想像してみよう。
    十分にご飯を食べられていること。
    睡眠が取れていること。
    仕事ができていること。
    愛する人が、家族が、近くにいること。
    私はずっと、そういうところで生きてきたから、これが普通だと感じてしまうけれど、だけど実際は恵まれているんだよなぁ。
    それを、
    噛み締めることのできる素養を、
    忘れないようにしたい。

  • 7月28日 別れることについて

    7月28日 別れることについて

    さっきオフィスで仕事していたら、今日で最後なんです、と挨拶に来られた同僚がいてびっくり。
    彼とはちょっと一緒に仕事をした程度だったが、ご丁寧に挨拶されて返って驚いてしまった。
    正直なところ、彼がいてもいなくても今の自分が持っている仕事には影響がない。
    だから、辞めてしまったとしても、別に困ることはないのだけれど、
    それよりもまず、知ってる人が少なくなっていくのが少し寂しい。
    私は外資系の会社に勤めているということもあり、入れ替わりは激しいように感じる。
    だからこそ、なのかもしれない。こんな感じで知っている顔がまた一ついなくなってしまうのが、こんなに寂しいものだと。

    今まで何回の別れをしてきただろう。
    今生の別れと、そうではないもの(また会える可能性のもの)に分けてみると、圧倒的に後者の方が多い。
    だけど、私から意識的に「会いにいく」という行動を起こさない限り、その割合が50%ずつ、私の頑張り次第では左側に重心が寄っていってしまう。
    ではいったい、私は今「仮の別れ」をしている中で、何人に「まだ会いたい」と思っているか。
    実際のところ、片手で数えられる程度かな、と思う。
    これが、ドライと感じられるかは、聞いた人の感じ方次第だけれど、私はその五人に対しては、私が苦労してでも会いたいと思っているのは確実だ。
    別に私は、これがドライだとは思っていない。
    その五人に対して熱い思いを持っているから。

    もしかしたらその五人のうち、誰かは、すでにいなくなっているかもしれない。
    そう考えてみると、少しばかり私にプレッシャーをかけるように感じる。
    だけどそのプレッシャーを前向きに捉え、いろいろな調整ごとをこなし、そしてその人たちに会いにいくことができたら、私は幸せかもしれない。

  • 6月30日 潜在意識を変えていけ

    6月30日 潜在意識を変えていけ

    Kindleで、「あなたはあなたが使っている言葉でできている」という本を読んでいる。
    海外?ではベストセラーとかで、書いてあることは割と松岡修造さんに近しいところがあるように思えた。

    自分の意思は、無意識下にある自分の潜在意識からできているとか。
    今の私が太っているのは、そのあたりにある自分の潜在意識からそうなった訳で、とても耳の痛い話がつらつらっと書いてあった。
    私は、太っていくことを自覚しながら、暴飲暴食を繰り返していたのだな、と。それが私の全てなのだから、まずはそこを肯定せねばなるまい。
    もし私が痩せたいと思うなら、本気でそう思ってるんなら、そのための行動を起こせ、と。
    今の自分は過去の自分が繰り返し行ってきた行動によって作られたのだから、数ヶ月後に理想となる身体を描くのであれば、そこに向かって直向きに走れ、と。

    と、言葉で言うのは簡単なんだよね。
    で、そこで私がいつもだらけてしまうのも、私の培ってきた個性みたいなものだから、それを認めてだらけるようになってしまうのか、ここで一発奮起して痩せるために本気を出すのか、それは自分次第。
    私は自分の理想となる体型を目指すつもりだ、と心に誓うことで、潜在意識までその方向に靡くようになるのだな。
    明日から本気出す、と冗談のように言っているけれど、少なからず痩せたいと思っている私を蔑ろにはできないわけで、その自分と寄り添うには辛くても頑張るという気持ちが大切なんだろう。

    あと1ヶ月くらいで健康診断がやってくるので、それまでには60kg台になっておきたいと思っている。
    今は74kgなので、あと5kg。あと5kg痩せるために、私は潜在意識にまでそのことを知らしめ、とりあえず健康診断をB判定でクリアし、その先には標準体重の65kgまでもっていきたい所存。
    ここで、「できるかどうかは分からないけどね」と自分にエクスキューズ、逃げ道を与えてしまいたくなる自分がいるけれど、そんな自分にはさよならを告げたい。

  • 6月23日

    6月23日

    体調が微妙。
    身体がぼーっとする感覚。風邪をひいたのかなーと思う。
    こういう時は無理せず、こういう時こそ無理せず、ちょうど仕事の切れ目だったので14時で早退。本当は出社する予定だったんだけどそれもとりやめ。
    こんな金曜日でもまぁ、悪くはないと思う。

    ふと、今朝方に見た夢を思い出す。
    情景がありありと思い浮かぶのは、目覚め直前に見ていたからだろうと推測する。
    雑踏。
    背の高く、細いマンション。
    ヘッドフォン。
    マンションの踊り場。
    取り止めのない夢なはずだけれど、果たしてそれが何かしらの意味を作って要るのやもしれぬ、と考えるのはきっと人間だから。
    人間って、取り止めのない出来事が立て続けに起こると、それを結びつけたくなってしまうから。

  • 6月16日 嫌だったけれど、得たものはあった

    6月16日 嫌だったけれど、得たものはあった

    今日は暑かった。
    数日ぶりの出社だったけれど、会社までの道が暑かった。
    梅雨の中休みとでもいうべきか。

    今日は、自分で動かせるものの限界について考えていた。
    自分で動かせるものって案外少なくて、世の中のほとんどのことは自分では動かせないものということになる。
    それだけではない。
    自分の過去も、それがあった事実というものは動かせないのだ。
    だけど、解釈は違う。
    自分が過ごしてきた過去は、そのこと自体は動かせないけれど、それに起因する自分の解釈は、言い換えると考え方みたいなものは、変えることができる。
    いやだった過去の出来事は、もしかするとこの先、どっかで、嫌だったけれど、得たものはあった、と考えることだってできるのではないだろうか。

    それを日々、暮らしていく中で、鍛錬しているのかもしれない。
    過去と現在、未来は一本の線で結ばれているのかもしれないけれど、そこから生まれる自分の解釈は、改めることができるかもしれないのだ。
    だけどそれもいいことばかりではなくて、過去、良かった思い出が、悪かった思い出に変わることだってあるのだろう。
    だけど、それが自分の糧になるのであれば、ながーい目で見ると、良いことになるのかもしれない。それも解釈。