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  • 12月26日 役割の話

    12月26日 役割の話

    電車の中で、今日起きたことを思い返す。内省というほど立派なものではないが、事実として起こったことに対して私がどう考えたかを、ゆっくりと思い返すようになったのはいつからだっただろう。

    2023年が終わっていく。すでに多くの人が休みに入っている中、私は誰とも話す予定がないのに出社する。この、出社というものはコロナ禍によって考え方が大きく変わった。自宅で働くことを覚えてしまった人間は、出社することの意味が分からなくなってしまったのだ。私もその「多数」から溢れることなく、出社の頻度を増やすようになってからもその意味を思い出すことができない。

    コロナ以前は、出社することが当たり前だったのだ。その、「当たり前」という感覚を忘れてしまった人はいったいどうやって思い出すことができるんだろう。

    違う例で考えてみる。自転車に乗ること。感覚で覚えてしまったから、手足のバランスとか、どのタイミングで足に力を入れるとか、言葉で説明するのが難しい。だけど、自転車は乗れる。

    出社はそれと同じことなのかもしれない。こうして通勤している時間があれば、自宅で仕事ができるのではないか、と言ったような思いを拭う術を思いつくことができないのだ。

    その根底にはきっと、「出社するなんて無意味だ」という思いがある。一方、私たち「多数」を雇う経営者側には、「出社してコミュニケーションを活性化し、仕事の生産性を上げたい」という思いがあるはずだ。その両者が持つ思いが一体化しない限り、この乖離を埋めることなんてできないだろう。

    いくつかの大きな川を越える。その、それぞれの縁には見知らぬ家がいくつも建っていて、私の知らないところで生活を営んでいる人間がいる。

    その、見知らぬ人間の生活を思いながら、私は自宅へと帰路を進める。

    そこで、ふっと、あることに気づく。

    自宅へ向かう帰路の最中、私の心の中には帰宅して「会社の中の人間」から「自宅で過ごす人間」と役割を変えていく心の準備を行なっているのではないか。

    「会社の中の人間」のまま、「自宅で過ごす人間」の役を演じることは難しい。一人称だって「私」から「俺」、もしくは「お父さん」になるのだから、他者は混乱してしまうだろう。

    その、彼らを混乱させないように私は、心の準備を、通勤という時間の中で行なっているのではないだろうか。

  • 11月21日 読書感想文 ★★★☆☆ 長い終わりが始まる 山崎ナオコーラ

    11月21日 読書感想文 ★★★☆☆ 長い終わりが始まる 山崎ナオコーラ

    この本、初見だと思って読んでいたんだけど、読み進めて気づきました。これ読むの2回目だった。
    私はこんな風に、少し斜に構えたような(という表現が正しいとは思えない、なんだろう)タイトルが好きで、タイトルと作者だけを見て図書館でジャケ借りをしました。
    前も同じような気分で、お、山崎ナオコーラじゃん、ん、なんだこのタイトル、奥行きがあって好きだな、という程度の気分で借りたんだろうなと思う。

    さて、このお話。ざっくりあらすじを申し上げると大学生のサークルでの話。主人公の女の子がちょっと変わった考え方を持つ子で、それを取り巻くサークルの人間関係とか、就職活動とか、そういう系の「考えなきゃいけないこと」や「やってかなきゃいけないこと」に対して前向きに取り組んだり、時にはネガティブになってしまったり、まぁ、人間だものいろんな気分があるよね、というお話。

    人間っていろんな面があるよなぁ、と自分のことを考えたりします。
    どこで何をしている自分が一番、自分らしいと言えるのか。そんなことをしばし考えたりもします。もしかすると、お酒を飲んで好きなことを考えたり、したりしている時が一番自分らしいのではないか、と今、ふと思いつきました。お酒の力を借りて理性みたいなものを外し、その殻の中にこもっていた「私」というものをゆっくりと陽に晒してみるような。陽に当てすぎてしまうとカラカラに乾燥してしまうので、適度に酔いが覚めたらまた理性をいう殻をかぶるんです、多分。

    しかしまぁ、理性っていうものがよく分からなくなりますね。
    例を挙げると、例えばさ、人によく見られたい、から他人に愛想よくするとかさ、それが本当の自分ではない、と仮定するじゃないですか。だけどそれだって、広い目で見たら自分なワケだし、これが本当の自分、とか、これは本当の自分じゃない、とかって、ただの偏見なようにも感じます。私の存在、個性に対する偏見。
    そういうのを、山崎ナオコーラさんは、しっかりと考えながら書いているような気がする。敏感というか。

    この、長い終わりが始まるというのは、ある曲のことを指しているんだそう。
    「終わり」というのは一瞬なことが多くて、終わりと一言に言ってもいろんなコンテキストがあるけど、その「終わり」が長いとは?と思ったんだよなぁ。割と最初の頃にその種明かしが出てくるから気持ちはスッキリしたんだけど、

    大学時代って、
    学生時代の終わりを表してるじゃないですか。

    この作品の中にはその、大学4年生の心境が高らかに綴られていて、「学生生活の終焉」を、ある曲にちなんで描いているんだよなぁーきっとそうだよなぁー。
    ですよね?って聞いたら山崎ナオコーラさんは、「ふふ、忘れた、分かんない」とか言いそう。

    途中、セックスに疎い男女がその行為を恐る恐る体験するところがあるんですが、私も経験が多いとは言えない方に属する人間なので、そのシーンはちょっと微笑ましかったです。
    そういう時期、あるよね、的な。
    しかしアレですね、この、疎いカップルが持つ心境みたいなものを丁寧に描けるのすげぇなぁ。そういう心境を体験した人しか描けないのではないだろうか、知らんけど。
    だとすると私も、はい、きっと描けるんだと思います。思わず数十年前のそういう時を思い返してみて気持ち悪くなりました。

    しかしアレですね、世の中には外向的な人、内向的な人と2つに大きく分けられるようですが、この後者に属する人は、きっとこういう話が好きなんじゃないかと思う。
    内向的な人の心に響きやすいストーリーを描くのが得意なんだと思う。

  • 10月31日 来年の手帳と私

    10月31日 来年の手帳と私

    来年の手帳をどうするか、頭から煙が出そうなほど悩んでいます。
    幸せな悩みですよねぇ。手帳なんて、本来はなくても生きていけるものだから。

    そう考えると、それがないと生きていけないものってどんなものがあるんだろう。

    • 食料
    • 衣類
    • メガネ

    私の場合、これくらいかなぁ。
    それ以外のものは、なくても生きていけるでしょ、という判断。
    スマホがないと死んじゃうっていう人がいるかもしれませんね。
    大災害が起きた時に、確実な情報を得るためのツールとして考えれば、スマホも必要なものになるかもしれません。
    けどそれもたらればの範疇を逸脱することはなく、バッテリーが切れたらおしまいなのです。
    スマホとか、ものに依存した生き方をしたくないなぁ、と思ったりもしています。

    さて。冒頭に述べた手帳の話。
    私は2010年くらいから手帳生活を始め、その時から一貫してほぼ日手帳を使っています。
    2018年くらいまで普通のオリジナルサイズ、A6のものを使っていたのですがその後にデイリーページのないdayfreeをしばらく使い、今年となる2023年からカズン(日付あり)を使っています。
    オリジナルのdayfreeからカズンへと移行した理由として、毎日たくさんのことを考えよう。それを書き留めておこう、と思ったのですが、このブログと同じような時期、秋口に入ったあたりから少しずつ疎かになってしまい、今ではそれが義務として考えるようになってしまいました。
    義務感を持って生きるのってちょっと自分の中ではないよな、と感じ、
    それに相まってほぼ日手帳カズンには大きく分けて3セクション(マンスリー、デイリーバーティカル、デイリー)あり、その2つ目のデイリーバーティカルにほとんど手を付けず、そんなことなら最初からなくていっか、と思ったりしています。

    ここに私の心境を書くことで、周りの人に見てもらいたいというよりかは自分の中での考えを整理したいという思いで書いているので、つまり、カズンのデイリーはもう使わなくても良いかな、と思っています。
    正直に言うとカズンはちょっと重たすぎた。在宅勤務が続くからデカいやつでもいいよなと思って買ったんですが、出社する時に携行しようとするとカバンが重たくなってしまい、ちょっと辟易しています。
    だけどサンクコスト効果もあり、せっかくカバーまで買ってしまったんだから中だけ来年のカズンを買った方がいいよなぁ、と思ったり。このあたりが超迷ってるポイント。
    で、結論を述べると、多分ですがカズンのdayfreeを買うような気がしています。
    日付なしモデル。dayfreeだとデイリーバーティカルがないし、デイリーページもないから、普通のカズンと比べると半分くらいの重さになるんですよね。それだったら持ち運ぶのも苦ではないよな、と自分に言い聞かせつつ。

    ほぼ日手帳をぜーんぶやめて、モレスキンとかロイヒトトゥルムみたいな外資大御所系とか、無印良品のちっさいノートとかも考えてはいるんですけどね。無印だったら気軽に使えるし、とか。
    悩みは尽きません。超幸せな悩みだと思う。
    まだ時間はあるので、まだまだ悩みたいと思います。

  • 9月12日 考えすぎだって

    9月12日 考えすぎだって

    うまくいったこと

    • 自分の考えていることを書き出してみたら、なんとなくスッキリした。
    • 考えていることがクリアになったということなのかもしれない。
    • 自分のわからないジャンルを有識者に聞いて、自分のタスクの方向性を修正するというやり方は真っ当で、そういう時に社内の有識者がいるというのはとても心強いことなんだよな。

    うまくいかなかったこと

    • 自分の立ち位置がよくわからず、気分がモヤモヤしてしまった。考えすぎてしまうことがあるんだよなぁ。良くない思考処理。

    改善できる点

    • 考えすぎない。簡単なことのように思えて、いつも考えすぎてしまう。近くの人に相談できるような体制を作っておくと良いのかもしれない。
    • 常に報告できるように考えておくとかも良いのかもなぁ。相談事項を要約できるようだったらきっと相談も楽にできるだろうと思ったり。

    所感

    • うまくいかなかったなーと思うポイントは、明日中間報告会があるので、そこでどうやって報告しよう、というところでプレッシャーを感じているんだと思う。いつものことなのにね。無理に装飾する必要はないから、自分の中で虚勢を張らずに等身大の報告ができると良いなぁ。あとで少し報告案を考えてみよう。
    • もう会社を退職してしまった、ある人のことを思い出す機会があった。ふとした瞬間に思い出すその人はめちゃくちゃポジティブで、何を相談してもポジティブなフィードバックが得られた。多分その人自身、そういう、ポジティブ思考な育ち方をしたんだろうなぁ。常にネガティブ、うじうじしている自分からしてみるとまるでひまわりのように、太陽の方向を向いてキラキラ輝いているような印象。
    • 私は両極端な性格だから、彼みたいにめっちゃポジティブな方向に振れていたら人生が変わったんじゃないかとか思ったりしているけれど、決して今の私が持っているようなネガティブ思考のことを悪く言うつもりはないんだけどね。
    • そうだよ、、別に自分を否定するつもりはないんだって。ほんとだって。
  • 9月5日 朝と私

    9月5日 朝と私

    本格的に朝の対策をしないといけないなーと思うようになった。
    朝の対策というのは、寝ぼけ眼で仕事に就かないようにするには、とかそういうところ。

    元々、朝は苦手ではなかった。5時に起きて読書したりとか、してたころが懐かしい。
    なぜこんな姿になってしまったのか。
    それはずばり、心療内科で処方されている睡眠薬な気がしてならない。
    ベルソムラ、少ない方で10mgだけど、それでも23時くらいには眠くなり、翌朝8時までしっかり寝ても眠い。まだまだ眠れそう、多分10時くらいまで眠れてしまうのではないだろうか、という有様。

    去年から診療内科に通う中で、夜中に何度か目が覚めてしまうんです、と先生と話して処方された薬だから、夜、ぐっすり眠れるのならば本望なんだと思うんだけど、無い物ねだりな人間だから、今度は朝ちゃんと起きられるような人になりたいです、という願望が生まれてきてしまった。困る。

    いや、違うのだ。
    最近は週に2〜3回程度出社しているんだけど、その時は眠くならずに出社できるんだよなぁ。
    そう考えると、今の自分に必要なのは、
    朝日を浴びることなのではないだろうか。

    在宅勤務の状況もあまり良くないんだろうなぁ。
    寝室で仕事してるし。ベッド(キャンプで使っている折りたたみ式ベッドを使っています)から起きて1.5歩で仕事してる机に移動できちゃうもんなぁ。そりゃ寝ぼけ眼だろ。

    朝日か。まずは朝日だな。
    散歩するところから始めれば良いかな。

  • 8月29日 信念と社会と私

    8月29日 信念と社会と私

    何年かぶりにジョージ・ウォーエルの1984年を読んでいます。
    前に読んだのは何年前だったか。確かスティーブ・ジョブズがこの話を題材に出して喋っていたことがあり、それで気になって読んだんだよな。

    物語はものすごく閉塞感の溢れる世界の中で綴られています。
    未来なんてもんはねぇよ、そんなの気にした時点でお前は死刑だわ(誇張ではなく)みたいな話。
    どこの国の、なに党がそうさせてしまったのかは分からないけれど、きっとめちゃくちゃ強いボスの下にはイエスマンしかいなかったから、そういう世界になってしまったんではないかな、と勝手に想像する。そう言う背景は描かれていなかったので、勝手に想像しています。

    そんな中で主人公のウィンストンは、必死に自由だとか、正しい過去を信じようとするんですね。
    過去なんてものはいくらでも書き換えられるから、それこそ私がここで最近書いたように「事実は変わらない、解釈だけが変えられる」に少し近いんですが、この物語常では事実すらも変えられてしまうんですね。様々な文書が書き換えられてしまって、人々の中にあった記憶の中の過去は、もしかしたら間違えてるんじゃね?みたいなノリ。

    だけどウィンストンは、戦おうとします。こっそり日記を書くための手帳を買って、今自分が考えていることを書いたりしています。

    もう、これは信念だよな、と思いました。

    信念って難しいですね。言い換えると、自分だけが持ってる正論だと思うんですけども。
    正論は時として人を攻撃してしまいます。誰から見ても正しいと思える正論って実は少なくて、それこそ誰から見た正義だよ、って話にも近いんですけど、同じように、信念を貫こうとすると弊害が起きたりしてしまったり。
    そのうちに懐疑的になってしまって、私の持っていた信念って本当に正しいんでしょうか、って葛藤が生まれたりとかね。
    自分の信念を貫くっていうのは、ある種の自己満足だと思うんです。
    人間は自分のことがかわいいから、自分の信念は大切にしようと思うはず。
    だけど、そこで、「社会」というものとの兼ね合いが生まれてしまう。
    社会を立てようとすると、自分の信念を曲げなければいけない、と。
    どっちつかずなんですね。

    多分、その答えって、どうしたら自分が一番気持ち良いかって話なんだと思います。
    奉仕の精神って言っちゃうと言い過ぎかもしれないんですけど、人間は、社会生活において誰かに奉仕することで自己実現を得られたりするので、プラス承認欲求が満たされるっていうところも関係してて、だから自分が気持ち良いのはどっちだ、って胸に手を当てて考えてみると良いのかもしれません。
    その中で、少しだけ自我を通したいと思う人は自分の信念を貫こうとするし、逆の人は譲っちゃったりするんですよね。
    そうやって、社会って成り立ってるんじゃないかなぁ。

  • 8月22日 反省について

    8月22日 反省について

    彼が自分でこの世に別れを告げようとした時、多くの人が、助ける手立てはなかったのか、といった旨を話した。
    私だってそう思ったさ。だけど、本人にしかわからないこと、本人にしか見えない世界があるんだよね。
    それを他人が理解しようとしても、彼の感覚というバイアスをかけないといけないのだから、逆立ちしても、それを知ることはできない。

    エピクテトスというギリシャに住んでいた哲学者が、他人と過去は変えられないのだから、執着すんのやめなよ、と語った。
    あの人に、死ななくても良かったのに、といつまでも悔やみ続けるのは、もしかするとその人に執着しているということになるのかもしれない。
    死ななくても良かったのに、の後に、私がちゃんと言葉をかけてあげられれば良かった、とか、私がきちんとケアしてあげられれば良かった、とか考えるのはエゴなのだろうか。
    後悔って、何かを生み出すんだろうか。
    後悔から、自分が起こした・起こさなかった行動に対する反省が生まれ、そこから「次からは失敗しないようにしよう」という気持ちに持っていくことができたらきっと、後悔してもプラスなんだろうなぁ。

  • 8月8日 読書感想文 ライ麦畑でつかまえて

    8月8日 読書感想文 ライ麦畑でつかまえて

    久しぶりの読書感想文になります。
    野崎孝のほう。

    会社の同僚に勧められたからです。いいから読め、と。
    早速図書館で借りてきまして、早速読んでみました。

    一言で表すと、ガラスの十代だなぁと思いました。
    学校を退学になり、実家に戻るまでのロードムービー的なストーリーで、自分の思い通りにならないことばかりで、人生ってつまんないよなぁ、と全般的に考え続けてる主人公の姿が、まざまざと浮かびまくってました。
    本人の語り口でずっと、最初から最後まで語られるのが良いですね。
    彼の姿が、より一層クリアに見えたような気がします。殴られた時には自分も痛くなるほどに。
    ひとつひとつ、思いが残るシーンはあるのですが、私の中で一番心に残ったのは、アントリーニ先生との対話です。最後の方に出てくるところ。
    アントリーニ先生というのは主人公のホールデンが好きだった、かつての先生で、退学になった後にその先生の家を訪れ、近況を話したりするのですが、その中で、先生は主人公に対して「堕落していく姿が見える、それは取り返しのつかないことになってしまうから、できる限りそうならないように心がけよ」(だいぶ端折ってます)とアドバイスをします。
    これってまさに、冒頭から私の考えたことだったので、とても印象に残りました。
    成績が優れず、退学となってしまった。しかもそれは自分が頑張って勉強をしないから、という、いわば自業自得の結果ということで、ホールデン自身にとってみるとぐうの音も出ないほどの気分だったことでしょう。
    そこから、友人と喧嘩して殴られたり、自暴自棄になってお酒やタバコをたくさん取り入れてみたり、かつての友人(女子)に変なことを言っちゃって嫌われたり、まぁなんというか、たった数日間ではあるけれど”いやなこと”の詰め合わせといった感じで、本当に堕落が始まった瞬間だよなぁと感じていました。
    私も大学時代に遊び呆けてしまって悲惨な成績を取ったことがあったので、耳の痛いシーンが多かったです。あの頃、成績が親に届き、辛い会話をしたりとか。
    そんな感じに、自分のイケてない時代を主人公に照らし合わせてあの頃を思い出すような、そういう形でこの本を通して思い出に触れ合うことができたなぁ、と思いました。

    読書って、そういうことなのかもしれないなぁ。
    物語で綴られるストーリーが触媒になり、自分の経験が、ほとんど忘れていた経験をふっと思い出す、みたいな。
    たぶん、この本を読む人はみんな、そんな感じに自分の経験と照らし合わせているのかもしれないなぁ。

  • 8月1日 成長することについてその3

    8月1日 成長することについてその3

    仕事の合間に、自分のプログラミングスキルを向上させたいと思ってて、Pythonで簡単なトランプのゲームを考えている。ポーカーとか、ブラックジャックとか。
    順番としては明確で、要件をざっくり考えて、それをモジュール化させていき、プログラミングをしていく。
    その、モジュール化させていくところがとても難しい。
    なぜなら、私はざっくりとしたPythonの基本構文は覚えたものの、要件を噛み砕いてどうプログラムとして組み立てていけば良いのか分からないから。
    ここは一般的には「基本設計」「詳細設計」と呼ばれる箇所で、プログラミングをやっている人なら頭で思い描けるところなのかもしれないけれど、まだ私はそこに至っていない。

    私がまだ分かっていない、と理解するのは重要だ。
    なぜなら私が学ぶべきポイントが理解できるからだ。
    いわゆる、ロジカルシンキングと呼ばれる部分になるだろう。
    例えばポーカーで考えると、

    • カードをシャッフルする
    • カードを5枚配る
    • なにか役が揃ってるか確認する
      • 揃ってたら、ホールドする
      • 揃ってなかったら不要なカードを捨てて、新たにカードを受け取る
        みたいな感じで、要件を詳細化して、それをプログラミングするためにどう考えていくか、みたいなものをやっていく必要があるんだろう。

    そうか、私は要件を噛み砕くところからきちんとやっていかなければいけなさそうな気がしてきたぞ。

    私は一体、なにを目指しているんだろう。
    少なくとも、今の自分に足りないものを取り入れ、今日よりも成長した自分になりたいのだろう。
    成長の機会って無意識なところから生まれる、と昨日書いたけれど、それが意識できるところまで煮詰まってきてからは、本を読んだり、ウェブサイトで調べてみたりして、自分の欲しかった知識を手に入れれば良いだけなんだろう。
    この先、もし会社をクビになっても、一人で生きていけるような力をつけていきたい。
    プログラミングのスキルは、実際に問題を解決するためにも必要なものだ。
    この学習を通して、プログラミングだけではなく、問題解決に取り組む力をつけていきたい。問題をどのように解析し、効率的に、そして品質の高いアプローチを身につけられたら嬉しい。

  • 7月18日 アルコール教

    7月18日 アルコール教

    軽やかに酔っている。
    帰宅してから缶ビールを1本と、ウイスキーをロックで1杯。現在進行形で飲んでいる。

    人はなぜ、身体に悪いとわかっているものを体内に入れるのだろう。
    それはもしかすると、お酒から享受される快感を求めているのかもしれない。
    快感?肝臓は悲鳴をあげているかもしれないのに?

    私はなぜ飲むのか。
    お酒を飲むと太ると言われている。
    筋肉が減ると言われている。
    寿命が縮まると言われている。
    脳が萎縮していくと言われている。
    こんなに悪いことばかりなのに、お酒を飲んで得られる快感を、なぜこんなに手に入れたいのか。

    快感というのは、どういうことだろうか。
    日中、息詰まっていた心を解きほぐしてくれているような気がする。
    今日を肯定し、明日への活力を注いでくれるような気がする。
    多分どっちも、気のせいのような気がするんだけど。
    だけどそれを信じて、今日も私はお酒を飲む。

    最近はノンアルコールのビールだったりハイボールを買って飲んでるんだけど、それらからは快感が得られないんだよな。
    アルコールの力ってすごい。
    信者になっても良いと思ってる。アルコール教。狂じゃないよ。