久しぶりに森の図書館へ。
流山には、「森の図書館」という名前の、素敵な図書館がある。
ただ単に、周りを木に囲まれているだけの、図書館なんだけどそのねーミンスセンスが素晴らしいと思う。
そこで2冊、本を借りた。
借りた本その1: Python 実践入門
最近Pythonに夢中で、プログラミングしているときはご飯すらいらない、と言うほどの情熱を傾けているところ。
森の図書館ではこの本を見つけたので、思わず借りてしまった。で帰宅して早速Raspberry Pi でPythonのコードを書いている。そんな中、残念ながらRaspberry Pi がフリーズしてしまったので、めんどくさくなって電源をぶちっと切った。
プログラミングはあくまでツールだから、それを使って何をしたいの?をきちんと考えておかないといけない。私は仕事でプログラムのテストを自動化させたいという目的があり、そのために必要なプログラムの知識を獲得しようとしている。
最近、巷では「子供のうちからプログラミングを!」と聞くことが多い。私からしてみると、プログラミングで何をしたいの?というところをきちんと考えておかないと、そこをちゃんと考え抜く力をつけないと、宝の持ち腐れになってしまうのではないかと思ってしまう。
と、思ってみたけれど、そんなこともないか。
私は子供の頃、そろばんを習っていた。
あれは頭の回転をよくするだとか、暗算を通して算数の計算を早くする、といった目的があったように思う。
だけど私は、私の両親は、きっとそんなことを考えずに、私のことをそろばん塾へと送り出していたはずである。
私はそろばん3級まで合格し、やがてやめてしまったが、数十年経った今でも2桁の足し算くらいなら暗算でやっつけてしまう。
もしプログラミングで、ロジカルシンキングを学びたい、ということであれば、プログラミングを覚えるのではなく、ロジカルシンキングを学べば良いのに。
ロジカルシンキングなんて難しい言葉を使うからよく分からなくなってしまうんだけど、シンプルに言えば「物事の道理」だと思うんだよな。
お笑いが好きなら、お笑いのストーリーを考えてみるとか。どんな展開でストーリーを作っていけば、笑いが起きるのか。
プログラミングを学ぶだけじゃなく、そうやっていろんなところから学んでいけば良いのに。
借りた本その2: ローマの哲人 セネカの言葉
今から2000年ほど前に生きたローマの哲人、セネカの本を借りた。
ちょっと前に哲学の系譜みたいな本を読んで、その中に出てきた、くらいのイメージしかないのだけれど、私はそこから生きるための何かを学びたいんだと思う。
今、生き詰まっているか?と自問してみると、その答えには、「あんまそんな感じでもないっすけどね」と答えそうなものである。
なぜなら私には今一番私を虜にさせてくれるPythonがあるから。
だから、今の私に効くような言葉が欲しいわけではないんだよな。
恵まれてるな私。ここ数年、哲学みたいな本をよく借りては読んでいたけれど、それは何かに縋りたかったのかもしれない。
何かに縋るほど、私は落ちていたのだろうか。
過去は変えられないから、そんなところでクヨクヨしていてもしょうがないんだけど。
過去は変えられないけれど、過去に起きた物事に対する考え方は変えられるはず。
考え方を変える時に、本を読んだり、他の人から話を聞いたりして、自分以外の考えを取り入れることって、自分の器を大きくさせていくことだと思うんだよな。どっかの受け売りだけど。