雨上がりの10km。
起きたら9時で、そのまま惰性で一日を過ごすような予感がしていたのだけれど、それじゃもったいないと感じ、ランニングウェアに着替えた。
朝ランに至るまでの心境は、2種類ある。
前日夜に計画するもの。明日、起きたら走ろう、ルートはこうしよう、みたいなところまで決めて、お酒やご飯の量を調節し、身体のコンディションをできる限り万全にしておく。
この場合、朝寝坊や二度寝をしない限り、予想通りの体調で、予想通りのルートを走ることができる。
私はあらかじめ計画しておいたものがその通り遂行されると嬉しいタイプなので、これは私が機嫌良く生きるためには割と優先したい行動のひとつである。
2種類めは、今日のように特に計画はしていないけど走ろう、と言うもの。前日のお酒、夜更かしなどをしているから体調は万全とは言えない。こういう時に無理やり走ったとしても途中でばててしまったりするので、割とギャンブル性が高い。
どちらがいいかと言えば圧倒的に前者なのだけど、後者も捨てがたく、惰性で過ごす1日からもたらされる気持ち、あぁもっと充実した1日にすれば良かったという後悔のことを考えると、無理にでも走ってみたほうが良かったりする。
今日は割と調子が良かった。
走り出してすぐ、500mくらい走ったあたりで一瞬だけ腹痛になり、場合により2km程度で終わりにするか、、と警戒しながら走っていたのだけれど、3kmくらい経ったあたりで忘れてしまった。
天気は曇りで、気温は23度くらい、なので走るには少し暑い。心拍数もあっという間に177辺りをマークしたので、ペースを落としつつ、周りの風景を楽しみながら走った。
そこで目に入ったのが、ゴミ屋敷である。
初めて走ったルートだったので、ゴミ屋敷があることは知らなかった。
私は少し、その住民に寄り添い、なぜゴミ屋敷になってしまったのかという心境の変化を考えてみた。走り始めて6kmくらい経った辺りだろうか。
初めからゴミ屋敷に住み始めるということはないだろう。何かしら、きっかけがあったはず。
ぱっと思いつくのは、ゴミの日にきちんとゴミが捨てられなかったということ。
住民は、地域のルールに従い、適切なタイミング・内容でゴミを捨てる必要がある。社会生活を営むうえで、割と基本的なことだ。
その、社会的なルールに対し理解できない部分があった。だからゴミが捨てられなかった。
例えば、分別が良く分からない、とか。
プラごみと、燃やさないゴミの違い。
流山市の話であるが、私も少しだけ迷うことがある。アルミホイルとか。
そういう、微妙なところで分からなくなり、つまづいてしまう。
ビニール傘は。ペットボトルのキャップは。乾電池は。そういうところを考えるうちに、嫌になってしまった。水分がなければカビが生えることはなく、だから臭いだって出ないはずだから、とりあえず家という空間の中にゴミを貯められるのであれば、そうしよう。
いざとなったら、少しずつ捨てていけば良いのではないか。
住人は、そんなことを考えながら、どんどんと意識をぼんやりさせていったのでは。
最期、ゴミに埋もれて、最後の呼吸を終える時、住人はどんな思いを抱くのであろうか。