1人で酒飲んでる時とかに考えるんだけどさ、
1人で飲む酒はうまいのかそもそも。俺ダメなんだよなぁ。
俺みたいに周りの気持ちを推し量るのが苦手な人間は、むしろ1人で飲んだ方が良いと思うぜ。でさ、考えることなんだけど、
周りの気持ちを推し量るのって変な気遣いのひとつだし、そんなこと考えてたら確かに酒がまずくなるよなぁ。てか酔わないだろ。
あーそれかな、酒がまずくなるってのが一番の理由かも。いつの間にかビールがなくなってて、けど全然酔ってないんだよね。てかさ、俺に喋らせてもらっていい?
人生の豊かさとはいったいなんだろう。
ここ最近は毎日のように、「人生で目指すべきはいかに機嫌良く過ごすかである」ということを考えているものの、考え方は無限にできるよな、と。
少しくらい道を外れたっていいのかもしれない
マツコ・デラックスさんがどこかで、少しくらいはみ出すと、人生に味が出る、というようなことを言っていたそうで。
目指すべきは、いかに機嫌良く過ごすか、ということを考えた時、私はつい、機嫌良く過ごすか=期待通りのことをなるべく選ぶこと、と解釈してしまう。
そうすると、冒険をしなくなると思うのだ。
多分私は臆病で、冒険することで何らかが失敗してしまったら、きっと心に傷を負うことになるはずで、その傷を負うことで残りの人生に悪い影響を与えるのが嫌なのだ。
だから、無難な選択肢ばかりを選ぶ。無難な選択肢はとても現実的で、多分、大半の人も同じ選択肢を選んでいるような気がする。つまり私は、大勢の中の1人に埋もれる程度の人間になる。
冒険して心に傷を負うくらいなら、目立つことなく大勢の中の1人に埋もれる程度の人間になった方が良いのだ。
だから、マツコ・デラックスさんの残した言葉(って書くと故人みたいな感覚になる。これからも応援しています)には、私に考える種を与えてくれた。
そして、少しだけはみ出しても、その当時は悔やむのだろうけど、後々自分の糧になってくるのだろうな、と想像することができた。
無理にはみ出すことはしなくても良いのだろうけど
かと言って、私の思考回路ではいきなり大それたことが生まれるはずがない。
多分、人生をゆっくりと進んでいく中で、不意に訪れる「ちょっと冒険してみようかな」という選択肢を選び、結果失敗してしまったとしよう。その時に後悔はするだろうけど、マツコ・デラックスさんの言葉を思い出し、立ち直るきっかけになる気がする。
その時になってみないと分からないけど。
人生は稀に、本当に些細な選択肢の間違い(と呼んでいいのか分からないがとりあえず)が大きな分岐を生むことがある。
その後、自分の人生が間違っていたかどうか、と当時を振り返ることがある。
人生が間違っていたかどうか、いろいろな観点で見ることができるが、それが何目線かで検証結果が大きくブレる。
ぱっと思いつくのは自分の進路。
あの時もっと勉強して、違う分野に進んでいたら、自分は違う人生を歩んでいたのではないか、という考え方。
いろいろと誤解が潜んでいるが、これは多くの人が考えるものの一つだろう。
私も、幾度となく考えてきた。
だけど、根底には「現実は急に変えられない、時間は戻せない」という原則があるので、何を考えても結局たられば論でしかない。
であれば、考えるだけ時間の無駄である。だけどもし、現実の生き方が本当に嫌なのであれば、違う人生を歩むべく、努力が必要だ。
そして数年後、最期を迎える瞬間かもしれないが、その選択が間違っていたかどうか、再検証する時が来るので、その時に胸を張って「そっちを選んで良かった」と思えるような努力をすべきだろう。