頑張って、という、相手を応援するための言葉が、容易に使えなくなった。
相手への思いやりにかけるから、という理由で。
言葉の流行は、時代の流行でもある。
メンタル系の疾患がポピュラーになってきたからこそ、この「頑張れ」が使えなくなってしまったのだろう。
良い傾向なのかもしれないが、一方で、頑張れに代替する言葉が簡単に思いつかないという面もある。
言葉の流行に、自分の頭が追い付いていないのかもしれない。
相手を応援するための言葉が、適切な言葉が、見失われてしまった。
見失うというのは少々言い過ぎか。
多分、その相手のことをきちんと考えることで、適切な言葉が出てくるのだろう。
考えた結果、頑張って、が適切なのであれば、それは発するべきだろう。
大切なのは考えることで、それこそが思いやりで、「頑張れ」という言葉を欲しがっている人だっているのだ。
そう考えると、「頑張れ」が容易に使えた時代は、頑張れと発した時の半分以上が社交辞令程度の重たさしかなかったように感じる。
それは時代のせいではなく、私が十分にその人のことを思いやらなかったということが発端だろう。
相手のことを、適切な重さで見ること。
軽すぎず、重すぎず。
とても難しい。