悪い妄想を止めるべきか、続けるべきか

誰にでも裏の顔があると思っていて、だけどそれを妄想していても何も良い結果は生まれないと思う。

極端な言い方をすると妄想っていうのは暇つぶしの一つなのだから、誰かが私を嫌っているのではないか、と思い始めたら、それは暇潰しと一緒なのだ。
他にもっと、考えることはあるだろう。
だが、いったんそっち側のことを考え始めてしまうと、途端にそれだけで心が満たされてしまう。
自分で止めようとしても、簡単に止めることができない。

これは一種の、自分が培った思考プロセスなのだ。
悪い憶測が悪い思い出を呼び出し、そして嫌な気分になる。
同じように思考が展開したことは今までなかっただろうか。
その、今までの思考プロセスに、新たな記憶(例えば嫌な気分を被った場合など)がプラスされると、負のスパイラルと化する。困ったものだ。

これはどうしたら良いのか。

二つの選択肢がある。

強制的にやめる方法と、そのまま思考を展開させる方法。
どちらが良いのかは分からない。
私も同様の思考展開を何度も抱いたことがあるが、どちらにしても、あまり成功したという思いには至っていない。

強制的にやめる方法というのは、簡単に言うと違うことを思い浮かべる。
そうすることで、いつもの悪い思考展開を止めることができる。
人間は一瞬でも違うこと、それも自分の興味があることを考え始めると、それまで考えていたことが消えてしまうように感じる。
だからこれは有効な方法だろうと思う。
ただ、そんな簡単に違うことが思いつくのだろうか。
私が何度かやっていて感じたのは、違うことを考えようとしても、元々くすぶっていた思いが完了していない、納得していないから、結局戻ってしまうように感じる。

だから、二つ目の選択肢があると思っている。
これもまだ、自分の中で納得していない方法ではあるけれども。
上述したように、一度思考が展開されていくと、それを容易に止めることはできない。
よほどのこと、それこそ天変地異でも起きないと無理であろう。
そして自分の意思とは違うところで思考が展開されているようにも感じるので、それをあえて止めず、流してみる
そうすると、ある時、納得する瞬間が訪れる、ような気がする。
気がする、というのはまだ自分の中で納得できていないから。
というのも、悪い記憶に新たな悪い経験をプラスし、その悪さを増幅したところで、きっと記憶にしまい込まれるのだろう。それをまた新たに引っ張り出すことになるはずなのだ。
だから、そうすると、また同じように、悪い経験をプラスし、雪だるま式に大きくしていって、終わりはいったいどこなのだろう、となってしまう気がする。

そもそも、悪い思考を展開させることは、悪いことなのだろうか。