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  • 3月29日

    3月29日

    好きなものに囲まれて暮らすことが、どんなに幸せなことかと。

    物欲って絶えないんだけど、ちょっと胸に手を当てて考えてみよう。
    今、自分が持っているもので十分なんじゃない?
    今あなたが持っているものを買った時の気持ちを思い出してみよう。
    それが手元に届いた時はどんなに嬉しかっただろうか。

    わかってる。この世界は物で溢れている。
    あなたの物欲をどうすれば刺激できるか、企業の人たちはものすごく考えている。
    あなたが買うことで、企業にお金が入り、また新しい物欲に向けて商品を作るのだから。

    それを企業努力と呼ぶのであれば、この世は余計なものまで努力が注ぎ込まれているような気がして仕方がない。

    だけど、だけどね。
    あなたが今持っているもの、それで十分満足なんじゃない?

  • 3月28日

    3月28日

    大雨の降る空間の上には、太陽が燦々と輝いていると気づいた時に、私の知ってる世界は一部分だけで、その、言わば「無知の知」と言えるような気づきに、私の脳を伝わる電気信号のスピードと密度が上がったような気がした。
    一時期、「アハ体験」と呼ばれたことがあったが、人生において何度かその、脳がアップデートされる瞬間がある。
    おそらくそう思ってるだけで、実際には何も変わっていないだろう。
    私の場合、パキッとした音と共に、ぐわーっと脳がぐるぐるし出す感覚。

    人生において、何度もない機会。

    私は私の意識で生きていて、他の人は他の人の意識の中で生きていることに気づいた時とか。
    みんなそれぞれの人生を歩んできて、いろんな経験をして今のみんなができていると気づいた時。
    それに気づく瞬間、なんか適切な言葉があった気がする、忘れたけど。

    ちょっと脱線するけど、「子供は親を選んで産まれてくるのか」という話。
    私は、意識は後天的に出来上がるものだと思ってる派なので、子供が持つ意識はその親、ないし教育のために近くにいた人から培われるものだから、そう考えると子供は、周りにいる人から唯一無二のものとして作られる。だから、同じ意識を持ったまま、別の親の元で育つということはあり得ない。だから私の答えはノー。というか、親を選ぶという意識はそもそも存在しない。

    難しい。私の意識は、ただ、脳の中で動いている電気信号なのだから、その電気信号のOUTとINを結ぶ経路は私の経験によって作られているはず。その経路は、私が抱いた感情によって徐々に作られていくのだとすると、親とか、周りの人から受けた感情を元にして唯一無二のものとして作っていく。
    その思考回路の癖こそが、まさに私を表現していて、それが個性と呼ぶのかなぁ。知らんけど。

  • 3月26日

    3月26日

    今日はレイソルの試合があったのでその感想でも。

    ルヴァン杯、予選、アビスパ福岡と柏レイソルの対決。

    こちらはフロートが2試合連続のスタメン、そして推しの武藤さんも久しぶりのスタメン。マオが日本代表戦に出ているのでその代わりといったら失礼ですが、ちょっと頼もしそうな布陣でした。
    いろんなところで叫ばれている通り柏レイソルは去年の8月くらいから勝ち戦を見ておらず、私はスカパー民ではないので中継を見ることができませんでしたが、現地で応援されている方々のツイートを見て一喜一憂しました。

    結果としては3-3の引き分け。
    まぁ、結果だけ見たら負けていないから良いというのもあるかもしれませんが、レイソルを応援している私からすると、勝てなかったか…という気持ちがひとしお。。
    先制し、2点差まで引き離したのにもかかわらず、手のひらからするりと勝ちが遠ざかっていきました。辛かった。

    辛いのは選手も一緒だと思いますが。

    一方、ツイッター界隈で見ていると監督解任論が多く叫ばれているのが目に付きます。
    確かに、上述した通り去年の8月から勝っていないことを考えると、そう思い至るのも分かるのです。
    私はどっち派でもなくて、というのは、監督を交代したからと言っても、それが勝ちに直結するわけではないからです。
    監督をシーズン中盤で替えると、切り替えのために監督の戦術を浸透させるのに時間もかかるし、数試合は我慢しなければいけないかも、というのもあるから。
    かといって続投派でもなくて、やっぱり今の戦い方だと勝ちに繋がりづらいのかも、と思えるのです。去年調子が良かった時に、他のチームからたくさん研究されてしまったのかなぁと思ったりも。
    まぁ、現実を受け止めて自分のやれる範囲で応援していくぜ、というスタンスに変わりはないのですけども。

    次は3月31日、ホームで浦和レッズ戦です。
    会社の同僚と見に行く予定。そのあと飲むつもり。ということでそっちの方が楽しみだったりもします。勝てますように。

  • 3月25日

    3月25日

    今日は期待以上に生きることができた。
    小さな喜びが、胸の辺りに、仄かに灯る。

    最近雨ばかりで、それだけを考えると気分が滅入ってしまうのだけど、家の中で暮らすことを考えてみたら意外とやれることが多いなって思って、その中から私の気分が上がることを優先してやっていったら、あっという間に1日が終わってしまった。

    こんな感じで、小さな喜びを心に積み重ねることで、私を肯定する私が生まれるんだなと、ちょっと思ったりする。
    それはまるでポイント生活みたいだ。スーパーのポイントカードのような。
    普段の買い物ではなんにも気に留めないようなことだけど、それを知らず続けていくと、500円のお買い物チケットに化けたりするのだから。

    もしかすると人間は、大きな喜びを得ることよりも、こんな瑣末なことで積み重ねていった方が、死ぬ時に、後悔せずに逝けるんじゃないだろうか。
    私は知らない間に大人になってしまったけれど、こんな「人生の真理」みたいなことに、なんで今まで気づかなかったんだろう。
    いや、本当は気づいていたのかもしれない。
    駅までの道すがら、越えなければいけない歩行者用信号が全て青だった時。
    夜明けごろに目が覚めてしまって、トイレへ行った後にたまたま見つけた朝焼けの色に気づいた時。
    ちょっと好きだった人と、音楽の趣味が合うと知った時。
    ガリガリ君の当たりクジ。

    もしこれから大きな喜びを得ようとして大きな壁にぶつかってしまったら、その壁を乗り越えるのに無理してもがくことよりも、壁の下に咲くタンポポを見つけてみよう。そのタンポポに癒されることで英気を養い、その力で壁を乗り越えられるのかもしれないから。

  • 3月24日

    3月24日

    晴れと雨、どちらも愛すことが、真理。

    少年は、晴れだけが好きだと言った。
    そんな彼は外で遊ぶのが好きで、雨だと遊べないからだと言う。

    確かに雨だと洋服は濡れるし、行動が限られてしまう。

    だけど考えてみよう。雨の後に訪れる晴れ間のことを。
    それは雨が降るからこそ、そのありがたみが分かるのだから。
    または、雨音のことを。
    あの独特な、パラパラという音は心を癒してくれるではないか。
    多分、むかーしむかし、洞窟の中に住んでいた頃、
    雨宿りをしている中で、ぼんやりと外を見ていた時の自分は、
    早くやまないかなぁと思う一方で、なんとなく心を落ち着かせていただろう。
    そうやって、人間は生きてきたじゃないか。

    別に晴れだけが好きっていうのも一つの価値観だからね
    それを否定するつもりは毛頭ないんだけどさ、
    もうちょい違う視点で見てみると、雨も悪くないなぁって思ったりするんじゃないかなぁ。

  • 3月23日

    3月23日

    少し湿った空気。午前にバーっと雨が降った。

    雨が降りそうな空のことを「今にも泣き出しそうな空」と表現することがあるけれど、雨=空の涙と誰が決めたのだろう。
    そんなことを思いながら歩いていたら、大きな水たまりに気づかず足を踏み入れてしまって、買ったばかりのスニーカーが濡れた。まさか、おろした日に水たまりへ侵入するなんて、このスニーカーを作った人ですら思いつかないだろう。

    前を向いて歩くとか、上を向いて、下を向いて、いろいろな方向を見ながら歩くことができるけど、首は180度回転するわけではないから、後ろを見ながら歩き続けることはできない。
    自分の足跡が残されているはずで、その足跡はつまり、あなたが今ここにいるという存在証明になるのだ。だけどその存在証明をはっきりと見ながら生きることができないのは、人間の欠陥なのかもしれない。

    生きる目的を、欲しがる。生きがいも、生きる目的と同様か。
    そんなもの、欲しがる必要なんてないということを理解しているはずなのに、どうしてもそういうものに縋りたくなってしまう。
    自分が、ここに居るということに、自信を持てないから。

    君の足を見てごらん?と空から声が落ちてきた。空耳?と思ったけど周りは時速50Km/hくらいで走る車だけ。もしかしたら誰かが窓を開けて喋ったのかもしれないけど、私にはそのように聞こえた。
    足には、さっき濡れてしまったスニーカー。
    思わず、後ろを振り返る。私の目はすぐに、私のスニーカーを濡らした水たまりを捉えた。
    そうだ、そうなんだ、私の靴は、私があの水たまりを超えたという証明になるんだ。

  • 3月22日

    3月22日

    書くネタが思いつかないので、大好きなスナフキンの名言を引用して、ちょっと考えてみたいと思う。

    自由が幸せだとは限らない

    スナフキン

    少し制約があった方が、幸せになれるということだろうか。

    まず、「自由」と「幸せ」についてそれぞれ、どういうことなのかをちょっと考えてみたい。

    自由ってなんだ

    自由って素晴らしい。ポジティブなイメージがある。自分が「こうしたい」と思ったことを、いつでも、どこでも、思いのままに実行できる。
    寝たい。ご飯をお腹いっぱい食べたい。ランニングしたい。キャンプしたい。音楽を聴きたい。ギターを弾きたい。絵を描きたい。新しいiPhoneを手に入れたい。異性と関わりたい。喋りたい。一緒に笑いたい。一人になりたい。泣きたい。死んでしまいたい。

    簡単に思いつくのはこのくらい。この側面で考えると、自由はそのままイコールで幸せに繋がるような気がするんだよなぁ。多分、私は、上記はある一面でしか自由を考えていないんだろうなぁ。

    幸せってなんだ

    自分の欲求が満たされる時、幸せと感じるのではないだろうか。
    例えば、でつい人間の基本的な三大欲求をベースに考えてしまうのだけど、美味しいご飯をたくさん食べることができた。ぐっすり眠れた。異性と関われた。好きなものを買った。

    自由が幸せだとは限らない #とは

    冒頭にも書いたけど、自由じゃない時にも幸せを感じることがあるよね。境遇に応じた幸せが。
    結婚せず独身で暮らしている中で、好きな時にキャンプに行き、自分の食べたいものを食べる時の幸せと、一方、家族がいる人は家族とキャンプに行き、子供たちの大好きなカレーをみんなで作り、それを食べる時の幸せ。
    別にどっちが良いという話ではないから、甲乙つける話ではないんだけど、

    うーん、スナフキンはどういうシチュエーションでその言葉を放ったんだろうか。
    彼は孤独に生きる人だった。自分の家を持たず、いつでも気ままに旅をしたりして暮らしていたはず。
    もしそれがムーミンとか他のキャラから「君はいつも自由で、幸せだねぇ」って言われた時の反応だとしたら。スナフキンは「君からはそう見えるかもしれなけど、荷物を運ばないといけないし、冬は寒いし、食べ物だって十分に食べられない。そんな僕の一面を見て言ってる?」という言葉を心に秘めて、「自由は幸せだとは限らない」と言ったのかもしれない。物語を読んでないから勝手な想像だけど。
    そういう制約を背負いながらも、スナフキンは自分の足が赴くままに進み、時折立ち止まって風の音に耳を傾ける。これこそが彼の追い求める自由でもあり、家を持つとか、そういう他の何にも替え難いのかなぁ。

  • 3月21日

    3月21日

    だいぶ長い間、日記をサボっていた。
    サボった理由は特になくて、単に面倒くさくなったから。
    そうやって、いろんなことが中途半端に止まっている。
    別に、義務じゃないからね、いいんだけどさ。
    だけどなんとなく気持ち悪くなって、こうやって数ヶ月ぶりの日記を。

    仕事が忙しくなると、こうやって自分を振り返る時間を疎かにしてしまうところがあるんだよなぁ。
    まぁ、そこが自分のキャパシティなんだろうな。
    糸井重里ってすごいよなぁ。毎日更新してるでしょ。
    いつも考えるタネを自分で見つけて、それについて考えつくところまで、結論が出るまで考えて、文章を綴ってるもんね。

    自分には無理だー、と考えてしまうのは、それは自分を糸井重里と重ねようとしているから。
    別に重ねなくて良いんだし。
    自分には自分のペースがあるんだし。

    こうやってはき出すことで、今日にけじめをつけるみたいなノリなんだけどね。
    何も産まないけど。何かを産む必要なんてないんだけど。

  • 3月31日

    世の中では「年度末」と言われる日。翌日はエイプリルフールとして、世界が滅亡するだとか、しょうもないジョークが飛び交うのかもしれない。世界が滅亡とか、その温度感で飛び交うジョークは、地球の北の方でバチバチやっている地域があるから、さすがに不謹慎だわ、とか言われちゃったりするのかね。

    話したいのはそんなことじゃない

    何もないことが最上、という人と、
    今持ってないものをどんどん手に入れることが最上、という人がいる。

    私は前者だな、と思ったのよね今日。

    何も心配する点がない、不安なところがないです私は、めっちゃ正常です、というのが、私にとって最上なんだな、と。
    今、花粉症でめちゃくちゃ悩んでいたり、たまに胃が痛くなったり、たまにものすごくこの世とお別れしちゃいたくなったりするんだけど、そういうのが一切ない状態が、自分の中で一番気持ち良いんだな、と思った。

    多分、これは俗に言うネガティブ思考ということになるのだろうけど。

    逆に考えると、そういうところがないか、常にセンサーを張り巡らせているような気がしてて。
    身体やメンタルの不調がないか、もしあったら一気に赤信号を灯し、それを解決するために全力を尽くすような生活。

    ネガティブ思考であり、心配性なのかもしれない。

    もしかすると、そういうのを探しにいこうとするマインドセットを変えてみると、また違った景色が見えるのかもしれない。

    上述の、後者のほう、これはポジティブ思考かというと、なんとも言えんよね。

    なんでも欲しがっちゃう性格。今がゼロで、ここから自分が気持ちよくなることを探しにいくというか。
    これは快楽主義ってやつになるのかなよく知らんけど。

    こうやって2パターンで比較しちゃうと、つい、どっちが良いとかって話になりがちだけど、どっちも一長一短あると思ってて。

    私の方は、たぶん、不健康になりにくい気がする。
    悪いところがあるとすぐ、それを解決しようとするから、病院に行ったり、休んだりして、復調に努める気がするんだよな。

    ただそういうところに気づかずに、ひたすら身体に毒なことをし続けてしまう、ストレスのある環境に浸ってしまうと、そういう信号すら無視しちゃう訳だから、普通?に帰ってくるのにも時間がかかったり、するような。

  • 3月30日

    一瞬で夜。昼間、外はちょっと暖かかったらしいね。
    一歩も出ていないので、全くわかっていません。

    周りに対する興味がなくなっていく一方で、自分に興味が湧いてきている気がする。
    興味を持つボリュームっていうのは、総量としては変わらないのかもしれない。
    ドラマとか、ニュースとかどうでもいいやと思っているので、その代わりに、自分の欲求に対して素直に受け入れようとしている、というか。
    欲求っつっても、食欲くらいのものですけど。

    深津絵里が好きだったから、カムカムエブリバディを割とちゃんと観てたんだけどなぁ。いつの間にか興味が薄れてしまった。そろそろ終わったかなぁ。

    興味なんてそれくらいか。あとは日々、夜は何のお酒を飲もうかなぁくらいのことしか思いつきません。

    あー、けど、不意に速読に興味が湧いてきました。
    分からないんだけど、頭の回転が速くなりそうだよなと思って。
    小説ってある程度ゆっくり、文を噛み締めながら読むほうが面白いと思っているので、多分ジャンル?的に分けてみて、ビジネス書というか自己啓発的なものは速読でやる、みたいな感じで考えると良いのかなぁと思ったり。

    なんでそれに思い至ったのかと言うと、頭の回転が遅いな、と感じたからです。
    仕事で、私は、ある程度文字として可視化しないと分からないことがあって
    例えば提案とか報告資料と作ろうとする時、内容にもよりますがA4のコピー用紙を4枚くらい落書きして、それを経てパワポファイルを作ったりしてるんすよね。
    まぁ、それくらいなら良いのかもしれないですけれど。
    完成までのスピードを上げるには、着想から具体的イメージへの落とし込みを速くするしかないよな、と。

    自分を成長させるという点では、自分は感覚でものをしゃべるタイプなのですが、自分の気持ちを適切な日本語で表現する術を身につけたいと思ってて。
    なんかうまく言えないけどモヤモヤするんだよなぁーみたいなこと、多くないですかね。
    そういうのを排除して、クリアな自分になりたい。