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  • # 今、ここに存在するものが、未来に存在し続けるとは限らない

    # 今、ここに存在するものが、未来に存在し続けるとは限らない

    ちょっと時間が経ってしまいました。

    引き続きマルクス・アウレリウスの自省録から気に入ったものを。

    しかしこれ、何度も書いてますが、数千年前に書かれたものとは到底思えないですね。

    今、この、2025年という日において、十分役に立つ言葉が載せられているということの、マルクス・アウレリウスの先見の明がいかに偉大か。マルクス・アウレリウスは自分のために書いた、とどこかで読みましたが、それだとしても、他の人に見られることをまるで想定しているかのような書き方をしていることにも驚きます。

    未来の私に伝えたい言葉

    これはおそらく未来の自分に向けて、彼は書いたんだろうと思います。

    日記なんかでもそうですよね、未来の自分へ書く手紙だ、と言われることもあったりします。

    未来の私に、伝えていきたい言葉を、今、頭の中で整理して書いてみるという行為は、自分の身体(というかメンタル)にとってとても大切です。未来の自分に向けて書くという点で考えると、マルクス・アウレリウスの自省録もそうですが、自分が「善く生きる」ために必要なことを書いているワケです。時々、日記に今日の愚痴を書く、書きなぐる、という人もいるようですが、それは結局建設的に、明日は今日よりも善く生きようというのに繋がらないから、そればっかりだとダメなような気がします。

    愚痴を書いて、それを反面教師として、明日の自分への糧にする。この考え方であれば、どんな愚痴でも十分に自分を成長させるための材料なのだと思います。

    > ものごとはすべて変化によって生じることを、絶えず観察すること。自然がもっとも愛するのは、いま存在するものを変化させ、それに似せてあらたなものをつくりだすことにある。

    > いま存在するものはすべて、これから生じようとしているものの種子だ。だが君は、大地や胎内にまかれるものだけを種子だと考えている。じつに浅い考えではないか。もっと深く考えることだ。

    自然の中で、絶えず変わっていくもの

    毎日毎日、同じような生活をしていて、変化がないように思う日々とか。

    同じ仕事をしていると、あれ、今日水曜日?!火曜日はどこいった?!俺の火曜日、なんも生み出してない!というような思いに駆られることがあります。

    日にちって難しいですよね。きちんと意識していないと、すぐ、今日は何月何日なのかを忘れてしまいます。

    海軍が金曜日にカレーを作って食べるのは、曜日感覚のない生活を過ごしているから、カレーを食べれば金曜日、という風に状況を作り出すことで、曜日感覚を忘れないようにしているのです。

    マルクス・アウレリウスは言います。「自然がもっとも愛するのは、いま存在するものを変化させ、それに似せてあらたなものをつくりだすことにある」のだと。

    自然っていったい何なんでしょう。ベランダから見える外?それだけではないはずです。

    私が思うに、自分という存在 を含めた、全体的な自然なのではないでしょうか。

    つまり自分も、自分の周りを取り巻く自然というものの一部なのだと。

    自然とうまく付き合っていくことが、自分が善く生きるコツなんです。

  • SRV250 ルネッサ レギュレーターを替えてみました

    SRV250 ルネッサ レギュレーターを替えてみました

    2ch(5ch?)の過去ログを見ていたら、私のルネッサが抱えている症状に近しい書き込みと、その対処法を見つけました。

    私のルネッサが抱えている症状はというと、詳しくは過去の投稿を見ていただけるとありがたいですが、

    • エンジンは一発始動する
    • けど、走り出してから1kmくらいでアクセルを開けてもアイドリングが低い回転数まで落ち、やがてエンストしてしまう
    • そこからセルではかかりづらく、押しがけでもなんとかかかる

    と言ったものです。これはバッテリーからスパークプラグへの流れが悪くなっているのか、もしくはキャブレターからガソリンがきちんと流れていないかのいずれかで、私は前者が怪しいと思いました。
    なぜならきちんと走れていた1月10日くらいの段階では40kmくらいをエンストせず走破できて、そこから急激に悪くなるとは考えづらかったからです。

    で、Amazonで、互換性のあるレギュレーターを購入しました。幸いなことにルネッサはVirago250と同じエンジンということで、ルネッサでは検索で引っかからなかったものの、Virago互換ということでそっちで検索して購入しました。

    これ、見ていただくと分かると思うのですが、線が短い〜。
    まぁ安いし、これくらいは多めに見ようということで頑張って取り付けました。
    バッテリーのほうから伸びている線に挿してみようと奮闘し、うまく取り付けた後に試しに1kmくらい走ってみたところ、まぁ、改善は多少されているかな、という感じで。

    というのも、アイドリング中、やっぱりエンストしそうになるんですよね。
    もしかするとちゃんと充電されていないのかもしれない、もしくはまだ付けたばっかりだからそこまで行き渡っていない(?)とかかもしれず、もうちょっと様子を見てみよう、ということでいったん落ち着きました。

    レギュレーターを替えたことですぐに調子が良くなるかというと、実際はそうでもないのかもしれないですね。
    しばらく様子を見て週末、また乗ってみたいと思います。

    また、上記をきちんと調べるために、またAmazonで電圧計を買ってみました。
    そちらについては別の記事で投稿してみたいと思います。

  • 押しがけでエンジンがかかった話

    昨日のブログで、ルネッサのガソリンコックがPRIになっていたまま放置したからガソリンが漏れた?と書きました。

    この↑記事を書きながら、この状態でガソリンを入れたらどうなるんだろう?とふと思い立ち、仕事が終わったと同時に自宅近くのガソリンスタンドまでバイクを押していきました。(片道1kmくらい、、真冬なのに汗だくなのはもう慣れた)

    途中、電車の下を通る歩道があるのですが、そこで試しに押しがけをしてみたら、エンジンがかかりました。

    !!!

    ギアを3速に入れ、ヘルメットをかぶり、下り坂を勢いをつけて降りたところでばつっとクラッチを繋いだところ、あんなに待ち焦がれていたスーパートラップの音が。。
    正直なところ廃車まであり得るよな、16万は高い勉強代だったわ、と思うところまで至っていたので、エンジンがかかったのはとても嬉しかったです。

    その後ガソリンを入れ、また坂道で押しがけを頑張ってみたのですが、アイドリングが安定せず直ぐにエンストしてしまう状況。バッテリーは完全にイってしまったので、押しがけを10回くらいトライしてみましたが、それでもエンストしてしまうので、それを何度か繰り返してエンジンがおかしくなってしまったら元も子もないので、昨日はそれで諦めました。

    PRIでガソリンダダ漏れということは、いくつかのサイトを調べてみたところクランクケースにまでガソリンが溜まりまくっちゃっているため、エンジンオイルを交換する必要があるとのこと。それも近いうちにやらなければ〜。早いとこ、いい感じの状態に持っていきたいと思います。

    当面、残ってるタスク

    • エンジンオイルを交換する。近くのバイク屋でやってもらうか、自分でやるか。自分でやる場合は廃油をガソリンスタンドとかで引き取ってもらう必要があるとのことですね?ほんとにそんなことやってもらえるんでしょうか。半信半疑ですが、昨夜ガソリンを入れたガソリンスタンドが一番近いので、そこまで洗面器を持っていけば良いのだろうか。電話して聞いてみたら良いんでしょうけどちょっと心の準備が必要だ。。
    • バッテリーを充電か、交換する。楽天でバッテリーと、充電器のセットが5000円くらいでしたので、ポチりました。まず、今ついているバッテリーを充電してみて、セルでエンジンがかかるかを試してみて、その後、バッテリーのヘタりぐあいをみて新しいバッテリーに替えてみます。
    • 場合によってはスパークプラグもいずれ替えることになるかも?

    安定して乗れるようになるまで先は長い〜。

  • 疲れたらたっぷり眠れ

    疲れたらたっぷり眠れ

    自己嫌悪におちいったとき、何もかも面倒でいやになったとき、何をしてもくたびれて仕方ないとき、元気を取り戻すためには何をすべきだろう。
    ギャンブル?宗教?流行のリラックス療法?ビタミン剤?旅行?飲酒?
    そんなことよりも、食事をして休んでからたっぷりと眠るのが一番だ。しかも、いつもよりずっと多くだ。
    目覚めたとき、新しい力が漲る別の自分になっているだろう。
    「漂泊者とその影」より

    何をそんな当たり前のことをそんなストレートに、と思いました。
    いや、けど、何を優先するかという価値観次第ですよねこんなの。
    私は、睡眠を割と高めの優先アイテムに置いているので、ニーチェのこの言葉は共感することができます。

    が、だからと言ってこのブログを読んでくれている方に「睡眠を高めの優先アイテムに置きましょう」とは言えません。言いたくありません。
    個人個人の考え方があり、ましてや多様性社会などと言われている中で、そんな画一的な、まして今と全く違う世界が背景にあるところで書かれたものに、全員が共感するべし、というのは難しい話なのです。

    ただ、睡眠は、お金がかからず、目を瞑るだけででき、必要なのは時間(と寝るための場所)だけという非常にシンプルなものなんですね。
    何か物を買いたいとか、温泉とか、暴飲暴食とか、ほとんどの場合、お金が必要です。
    考え方次第ですが、睡眠をたっぷり、欲望のままに取ったとき、「だいぶ寝たなー!」とすっきりしていると思います。時間かかったなー!みたいなネガティブな感想は抱きつつも、寝たことによってストレスが発散され、前向きに考えることができるはずです。
    一方、物を買う、温泉、飲食は、一時の満足感は満たされると思いますが、結局寝ていないとしたら、機嫌はいつまで経っても改善されないのではないかな。
    って、敵のような比較対象として取り上げてみましたが、そうは言っても、冒頭に書いた通りこれは人の価値観に関わる話だから、自分にとっての優先アイテムってなんだろう、と考えてみると良いかもしれません。

    ちなみに私は、1に睡眠、2に食事、3に運動です。
    めっちゃ普通ですね。40歳を超えてからは心身の健康に気を付けるようになり、私は特に暴飲暴食で体調を崩しやすいので、無理に食べ過ぎたり二日酔いになるほど飲みすぎたりしないように、節度を守っているつもりです。3ヶ月に1回くらいはやってしまうんですけども。

  • 夜が明ける 西加奈子 ★★★★☆

    夜が明ける 西加奈子 ★★★★☆

    西加奈子さんを読むのは3作目です。サラバ!、まく子、そしてこの「夜が明ける」。
    どの本を読もうかと言うのはあらかじめ決めているわけではなく、図書館で在架されているものをパパっと見て、そこからジャケ借り、という感覚で、この本を手に取りました。

    いやぁ、壮絶でした。
    西加奈子さんの想像力にただただ圧倒されるばかり。
    サラバ!も、まく子も、かなり熱量の高いお話でした。
    だけどこの夜が明けるは、個人的には、それらを凌駕していると感じました。

    西加奈子さん、もしかすると壮絶な貧乏体験をしたのかもしれませんが、それだとしても、貧乏なことを適切な言葉で表現することがいかに難しいか。それを、西加奈子さんの筆力をもって読者に届けようとする気持ちがすごい。
    特に凄かったのは、貧乏のところと、パワハラのところ。
    少しは救われてほしいなぁと読者側として思わずにいられないほどの、貧乏+パワハラと言う両輪で襲ってくるところは、正直読むのがしんどかったです。
    私は、幸か不幸か、そのどちらも壮絶なレベルでは経験したことがないので、それらは想像するしかないんですが、私が主人公だったら辛すぎて自殺してしまうと思います。それくらい辛かった。
    最初の40ページくらいまではだらだら読んでいたのですが、それ以降は一気に読んでしまいました。次が気になってページを捲る指が止まらない、というのを感じた久々の作品でした。
    読んだ後、思わず、重たいため息。

    プロットをぼんやり考えてみると、二人を主人公と読んで差し支えないでしょう、彼らが生きようともがく気持ちを持つキャラクターが立ち、彼らを取り巻くような、少なからず彼らには迎合しない人たちがいる感じ。ストーリーについてはネタバレになっちゃうので詳細までは描きませんが思春期の頃から青年へと、そして33歳に至るまでの紆余曲折、紆余曲折なんて四文字熟語だけでは語りきれないほどに大小さまざまな波が押し寄せてきます。
    私の中では冒頭に述べた貧乏+パワハラのところの描写とストーリーがリアルで、壮絶すぎて、だから逆に幕切れのところは、えっ、このまま終わっていくの?!、と残りのページボリュームを左手の親指で感じながら読んでいました。最後は報われてほしいと多くの読者が考えただろうと思いますが、、いや、主人公の彼らは彼らなりの、ハッピーエンドだったのかもしれないですね。

    また、人間は、小説に、いったいどんなことを求めるんだろう、そんなことも考えながら読み進めました。
    おそらく私の場合は、私とはかけ離れた境遇の人が登場する物語を欲するような気がします。というか、小説を読む人ってみんなそんなもんかね。
    エンタメ性に溢れるストーリーというのは、そういうものなのかもなぁ。ふと思いましたがいわゆる探偵ものは、実際に刑事や探偵を生業としている人は読むんだろうか。そういうものを生業にしていても、小説に描かれるような奇抜な殺人事件みたいなものに触れる機会ってそんなにないから、それはそれ、って感じなのかなぁ。
    私は、私が生業にしている業種/職種に近い物語を読みたいか、と言われると微妙だなぁ。私は共感ではなく、私とは関係ないところで繰り広げられるストーリーに一喜一憂したいタイプなんだろうな。

  • 読書感想文 モモ ★★★★★

    読書感想文 モモ ★★★★★

    完全にナメてました。

    名作とは言え児童書だろ、しかもかなり前に出たやつだし、くらいの感じで。

    読んだきっかけ

    Xを通じて知り合った方が、ご自身を作り上げた本の中にこれを挙げていて、おいおいマジかよ、と思ったのがきっかけです。私はその方を信頼していて、そこまで言うなら、と図書館で借りたという経緯になります。

    私が住む自治体の図書館ではこれを児童書コーナーではなく、ヤングアダルトコーナーに置いていたので、探すのに少し苦労しました。借りた時は宝物を見つけたかのような気分。

    だけど分厚い。ものすごく分厚い。同時に、他に何冊も借りていたので2週間以内に読み切れるんだろうか、もしかしたらモモだけ読んで残り全部を返す羽目になるのではないか、と思いました。

    だけどそんなことは杞憂でした。

    帰宅してすぐに読み始めたところ、これがまためちゃめちゃ面白い。子供向けでもあるのでひらがなが多め、だから本が分厚いということなのかもしれません。

    この作者が上手いのか、訳者が上手いのか、もしくは両方とも上手いに違いないのですが、ストーリーへの緩急の付け方がとても上手いのです。

    そして物語を盛り上げていくところに対する書き方。

    灰色の、なんかよく分からない軍団が、だんだんとモモに近づいてくるところの描写が素晴らしく、話の展開が気になって仕方ありませんでした。

    主人公モモ

    モモという女の子が主人公なのですが、表紙に彼女の外見が描かれています。

    あえて彼女の顔を描かないところに、読者の想像力を掻き立てる工夫がなされています。

    おかげで、どんな顔をしているんだろう、これイタリアとかギリシャとか、そういうところだから、そういうところにいるような女の子なんだろう、みたいな想像をしました。

    モモは不思議な魅力を兼ね備えていて、会話をしていると、その相手がだんだん気持ち良くなってくる、とのこと。

    今の時代の言葉で言うなら、聞き上手ということになるのかな。

    なんでそんなふうに上手に、人の話を聞けるんだろう。

    モモに限らず、聞き上手な人は相槌の質が高いことが多いですね。

    相槌の質って本を読んでもなかなか上達するのが難しくて、というのも会話をしながら、どんな相槌を打ったら相手が気持ちよく喋れるんだろうか、って考えながら聞かないといけなくて、それには話を聞くと言うことと、相槌をどう打つか考えるという両面で物事を考えながら聞かないといけないからです。

    それは天性とも言える素質なのかなー、と思います。両方を頭の中で動かしながらってなかなか簡単にはいかないから。

    物語で心に残ったセリフなど

    モモはまるで、はかり知れないほどの宝のつまったほら穴に閉じ込められているような気がしました。しかもその財宝はどんどんふえつづけ、いまにも息ができなくりなそうなのです。出口はありません。だれも助けに入ってくることができず、じぶんが中にいることを外に知らせるすべはありません。それほど深く、彼女は時間の山にうずもれてしまったのです。
    284ページ

    時間が、無限にのしかかってくる感覚。

    それを”財宝”と表現することで、作者の価値観を読者の心に植え付けているなぁと思いました。

    時間って、財宝なんでしょうか。あんまそんなイメージを持っていなかったので驚きました。

    けど、「自由な」という意味を付け加えることでより一層、作者の気持ちを汲み取ることができるなー、と。

    自由な時間。これは悪い意味で言うと、退屈でしょうか。

    何もすることがなくて暇を持て余している感覚。モモが、石段に座り、かつての友人たちを待つ間、彼女もまた、退屈と感じていたのかも知れません。

    今、私は家族で過ごす自由のために、自分の時間を会社、社会に提供し、その対価としてお金をもらっています。そのお金を使って「やりたいことをやる」という意味での、自由を手にいれることができます。時折、仕事によって気持ちが打ちひしがれてしまい、家族で過ごすはずだった自由な時間を楽しむことができないことがあります。

    それって、ものすごく残念なことです。

    ゆとりが楽しみを海、それによって対価を得るための活力を得るという循環が、どんなに貴重で、どんなに難しいことか。

    今の私は、その、ゆとりを感じながら生きているのだろうか、と本を読みながら感じていました。

    時間を、財宝と捉えるべきことに、私は違和感を抱いていないだろうか。

    自由を十分に謳歌できているだろうか。

    灰色の男たちに惑わされ、自由を疎かにし、財宝を見失って生きてはいないだろうか。自問が尽きません。

    きちんと考えるべき問題、人間が忘れてはいけない、とても大切で大きな問題だと思います。

    ふつうの場所では、時間はおまえの中に入っていく。それでおまえの中には時間がどんどんたまっていき、そのためにおまえは年をとっていく。

    315ページ

    時間が自分の中に入っていく、という感覚。

    原文は分からないのですが、これを訳した人の才能たるや。

    時間がまるで液体のように身体の中にたまっていき、それを栄養にして年をとっていく、とはすごい発想です。

    今までそう考えたことはなかったけれど、これからはそのように、時間を飲み込んで生きていくんだな、って考えていくことになる気がします。

    だけどもし、時間が栄養になるんだとしたら、きちんとした栄養として身体に取り入れたいものです。

    良い時間は例えば、貴重な体験とか、ゆとりのある時間から得られるでしょうから、例えば子供たちとすごす時間とか、大好きな趣味とか、睡眠とか、なるべく怠惰なことではなく、きちんとした時間を過ごしていきたいなと思いました。

    この物語のように、時間をもとに戻すことはできないので、過去を振り返ってもそれが糧になるとは限らないため、たまに参考にする程度で、日々、良い選択をしていきたいです。

    うーん、違うかな。

    過去、自分を肯定するために、自分が判断した選択は全て正しかった、と考えて生きるべきなのかもしれません。

    そんなことで後悔したってしょうがないから。

    はじめのうちは気のつかないていどだが、ある日きゅうに、何もする気がなくなってしまう。何についても関心が持てなくなり、なにをしてもおもしろくない。
    だがこの無気力はそのうちに消えるどころか、すこしずつはげしくなっていく。日ごとに、週ごとに、ひどくなるのだ。
    気分はますますゆううつになり、心の中はますますからっぽになり、自分に対しても、世の中にたいしても、不満がつのってくる。そのうちに、こういう感情さえもなくなって、およそなにも感じなくなってしまう。なにもかも灰色で、どうでもよくなり、世の中はすっかり遠のいてしまって、自分とはなんのかかわりもないと思えてくる。怒ることもなければ、感激することもなく、よろこぶことも悲しむこともできなくなり、笑うこともなくこともわすれてしまう。そうなると心の中はひえきって、もう人も物もいっさい愛することができない。ここまでくると、もう病気は治る見込みはない。あとにもどることはできないのだよ。うつろな灰色をしてせかせか動き回るばかりで、灰色の男とそっくりになってしまう。
    そうだよ、こうなったらもう灰色の男そのものだよ。この病気の名前はね、致死的退屈症というのだ。
    321ページ

    長い引用となります。

    生身の人間が、だんだんと灰色の男になっていく描写。余裕をなくし、何かに縛られてせかせかと働く人間の様を表しているように見えます。

    こうはなりたくないと思っていても、いざこの状況になってみると周りが見えなくなり、だんだん灰色になっていくんだろうなぁ。

    時間を節約して、効率的に生きることを否定するつもりはありません。

    私も、ライフハックとか、時短術と呼ばれる類の話はむしろ好きな方です。

    だけど、そればかり優先して大切な余裕とか、ゆとりとか、そういうのを見失ってしまっては人生が台無しになってしまうのではないでしょうか。

    人のフリ見て、というわけではないけれど、自分はワーカホリックなところがあるので、定期的にこのことを思い出して、自分を俯瞰して見つめ直す必要がありそうです。

    家族と過ごす時間とかもきっと、こういうことの役に立つ気がしますけどね。

    そういえば最近、子供と遊んでいない気がするなぁ。

    このままでいいんだろうか。

  • 8月14日 タイトルなし

    8月14日 タイトルなし

    タイトルがない1日というのはなかなか珍しい。
    そんなことはないのに。

    朝、7時30分に目覚め、食事をし、メダカに餌をやり、ベランダで飼ってる観葉植物たちに水をやり、会社へ行くための準備をして家を出た。
    今日も暑かった。もうほんとずっと暑い。
    ヒーヒー言いながら駅までの1.1kmを歩く。
    途中、路線バスに追い抜かれ、私もバスに乗ったら良かったな、と思うと同時にその170円で何か別のことができるのでは?と、まるでそのお金が天から降ってきたかのように感じたけれど、それは実は私が1.1kmを歩いた12分間という時間を買うためのお金だったんだな、みたいなことを感じる。
    そして電車。瀬尾まいこさんの「君が夏を走らせる」を読み始める。昨日、幸福な食卓を読み、温かい文体にもっと触れたいと思ってKindle Unlimitedで探したところ見つかったもの。昨日書いた読書感想文ではすこーしだけマイナスなことを書いたんだけど、だんだん好きになってくるなぁ。この話は16歳の若者が、ひょんなことから先輩の子供、1歳10ヶ月の女の子をベビーシッティングするというなかなか突拍子のない展開。私は子育ての経験があるので、途中おもしろおかしく、微笑ましいスタンスで主人公の彼を応援している自分を見つける。どんな結末になるのか分からないけれど、少なくとも現段階(30%くらい)では、だんだん子供が主人公に慣れていく姿が描かれている。
    彼女の持ち味ってなんだろう、と思い少しインターネットで検索してみる。瀬尾さんの本はこれで3冊目になるけれど、そしてバトンは渡された、幸福な食卓、いずれも家族愛を描いているように感じたんだけど、実際には「家族」とか、「血のつながっている」とか、そういうのは関係ない、みたいなインタビュー記事を読んだ。なるほど。まぁそうだよねヤクザの世界の兄弟とかだって血は繋がっていないんだし。脱線した。
    お昼、Crisp Salad Worksというお店のサラダを食べる。数日前から痩せたい!モードに入っていて、それはここ2年くらいで培った体重と体脂肪を落としたいという気持ちが起源になっているのだけれど、それもあってお昼はなるべく栄養価が高く、カロリーは低いというものを目指している。数年前に炭水化物抜きダイエットだけで8kgくらい痩せた経験があったのでその経験をもとにダイエットに挑戦してみても良かったんだけど、その時は頭が回らなかったり、身体がふらついたりしていたので、今回はあくまで健康的に痩せるというのを目標にしている。さくっとネットサーフィンしながら食べる。
    私の応援する柏レイソルに昔在籍していた選手が、海外挑戦から帰国して、違うチームに入るというニュースが出回っていた。私は、去るものは追わずタイプなのでレイソルのユニフォームを脱いだ時からどうなっても気にしないつもりでいたんだけど、ユースから育ってきた選手が海外へ飛び立ち、そして帰ってくるというのを期待している人たちにとってはずいぶんショックなニュースなんだろう。火に油ってワケでもないけど加入するチームがあまり好かれていないというか、世間的にはそういうふうに見らられがちなチームに加入するから、より一層火が燃えている、というか。まぁ、私のX界はあまりそういう人がTLに出てこないので、ふーんそうなんだねー、くらいにしかとらえていないですが。

    以上が今日起きてから、今までのまとめ。これにタイトルをつけるならば「日常」みたいなふうになるのであろう。どこかにフォーカスを合わせれば、それ用の日記になるのかもしれないけれど、フォーカスするほどの大きなニュース、心を躍らせるようなニュースがなかったので、日常、くらいがちょうどいいのかもしれない。

  • 6月26日 嗅ぎタバコ VELOのサンプルをいただきました

    6月26日 嗅ぎタバコ VELOのサンプルをいただきました

    先日、自分宛に届いたメールをぼーっと見ていたら、普段愛用しているgloを販売しているBATから、嗅ぎタバコについての新しい提案が届いていました。
    一瞬迷ったんですが、ものは試しと、サンプル配布プロジェクトに応募してみました。
    そこから3日くらいでサンプルが届きました。

    ワクワクしながら開けたのがこれ。

    VELO サンプル

    簡単な紹介パンフレットと、本体が入ったものが届きました。
    紙タバコから加熱式タバコに移行した時も割とドキドキだったんですが、これもまた同じような、期待と不安の籠った気分を抱きながら、中身を開けてみるとこんな感じでした。

    VELOサンプルの中身

    なんだか怪しい粉のような雰囲気。
    もちろんちゃんとしたやつなので、恐る恐る下唇と歯茎の間に挟んでみると、最初結構強めなピリピリが下顎を襲いましたが数分経ったあたりで収まり、唾液の味がだんだんこの味になってくるのがわかりました。
    慣れれば、これを口に入れたまま喋ることも難しくないように感じます。
    これでタバコ吸ってる感覚になるのかなぁと思いつつ、今、それを口に含んだままこのブログを書いています。

    なんだか飴みたいな感覚ですね。
    ニコチンが体を駆け巡っているかは良くわかりません。
    私は加熱式タバコを1日に4本くらい吸う程度のユーザーなので、あまり、強くニコチンを求める人間ではないというのも関係しているのかもしれません。
    これを買い続けるか?については、うーん、今のところあまりそっち側には気持ちが傾かないような気がします。
    私には、タバコは煙を出してナンボ、みたいなところがあるのかもしれません。

    また、この嗅ぎタバコというジャンルの健康被害について。
    これは他の一般的な紙タバコや加熱式タバコを吸っている人にとってみたら、これも大差ないように感じます。
    パンフレットには有害物質を99%削減!と書いてあり、それは確か加熱式タバコも同じくらいだったと記憶しているので、そう考えたら大差ないのかな、と。

    とりあえずこの15個を全部使ってみて、気が向いたらその時点での気持ちみたいなものをまたここで投稿してみたいと思います。

  • 5月8日 心療内科では根本治療することができないものごとについて

    5月8日 心療内科では根本治療することができないものごとについて

    久しぶりにブログを書きます。
    ここのところ自分の気持ちを整理したり、処理することをサボっていて、だからブログを書くために文章を考えようという気持ちからもちょっと遠ざかっていたりして。

    近況はこのくらいで。

    「もういなくなってもいいかな」という気持ち

    タイトルに書いた「ものごと」というのは、もう死んじゃってもいいかなぁーという気持ちについてです。
    私、今日心療内科へ通院する日でしたので、病院の待合スペースで待つ間、ぼんやりと最近の気持ちについて考えてみたところ、以下のような気持ちでした。原文ママ。

    • めっちゃ楽しい!という日常ではない
    • まぁ、帰りに事故を起こして死んでしまっても、別にいっかな、くらいの
    • 心配なのは家族。私の代わりに家族を養いまっせ!っていう人がいたら甘えてしまうのでは
    • ってかさ、死んじゃってもいいかなー、っての、考え方を変えないとずーっと心療内科に通うことになるんじゃないの?!

    そこで、待てよ、と。
    最後のやつ。考え方を変えようぜ、ってやつ。私なりに考えてみたんですけど

    というか多分、同じ内容を何度かここに書いている気がするんですよね。
    根本を断ち切らないと、いつまで経っても同じところをぐるぐる回っているだけなのかな、と思い至りました。

    悩みの主役を変えろ。いい加減いつもと同じ主人公にばかり付き合ってちゃダメだ。

    読み人知らず

    結局私って、いつまで経っても「死んじゃってもいいかな、って思っているんだけど、これが正しくないことに気づいていて、だから考え方を変えた方が良いと思う(これが根本なんだと思う)一方で、ここに寄りかかってるのってなんか楽なんだよね。いつでもそっち側に行けるっていう保険がかかってるからなのかな」みたいなところから抜け出さずにいるんですよね。
    これって全くもって不健全で、不健全です!って言い切れるところにいるのだから、考え方をがらっと変えてみる必要があるのではないかと思うようになりました。

    では一体、どう変えたらいいのか。
    多分なんですが、ポジティブな方に寄せるのがとりあえずの逃げ道になるのかな、と思い、
    もう死んじゃってもいいや=後悔はないぜ!今まで歩んできた選択肢は全部正解だったぜ!
    ってことなのかなぁ。こっち側に全振りするのは難しくて、なぜなら私がそこまでポジティブ人間じゃないからなんですけど、
    だけど、これを一つの道標として掲げることで、少しだけ、今の自分にサヨナラを言って新しい自分になれるのかな、

    なんてことを考えたゴールデンウィーク明けの平日。

  • 11月22日 読書感想文 ★★★☆☆ 橋を渡る 吉田修一

    11月22日 読書感想文 ★★★☆☆ 橋を渡る 吉田修一

    ジャケ借り。橋を渡る、ってタイトル、よくないですかみなさん。私は好きです。
    橋って「こっち」から「あっち」をつなぐものなんですよね。
    「こっち」と「あっち」にはそれぞれ、どんな言葉を入れても良いと思うんですが、そこには「川」という大きな隔たりがあるはずなんです。それをつなぐための「橋」という存在。

    私は図書館に行くと、吉田修一のところをチェックする程度に好きです。私は新刊を追うような生活をしていないので新しいのが出たとかは分からないんですけど、それでも普段目にしたことのないタイトルが図書館の棚にあったりすると、おっ、なにこれ、と思ったりします。

    それがこの、「橋を渡る」でした。
    この、いい感じのタイトル、今まで借りたことあったかなぁ、と最近メモリのアクセス領域が減ってきている私の脳を巡ってみたのですが、記憶にはありませんでした。
    借りてみて、読んでみると初見。やった、吉田修一の新しい話が読める、と嬉しかったです。

    このお話をざっくり言うといくつかの短編に別れていて、それぞれがビミョー、すっごくビミョーに結びついている群像劇なんです。
    そしてこの展開、賛否分かれるだろうなぁーと思いながら読みました。
    詳細はネタバレになるので割愛しますが、吉田修一、こんな展開も描くのか!ビックリ!という感じでした。個人的には、現実的路線で行ってくれたほうが気持ち良いなぁと思ったり。

    吉田修一さんの好きなところは、必要最低限な描写と、スピード感です。まず描写については、物語を読者が理解するのに必要な分だけ描いてくれるような気がします。私がそう感じているだけかな。もしかすると、「私の知りたい量」と、「吉田修一さんの描きたい量」が一致しているのかもしれません。
    しかし、私の知りたい量っていったい、どういうことなんだろう。
    私が知りたい=物事を理解したい、というのに、私がタガを外せばいくらでも知識を得ることだってできるんだろうに、そう考えると私も必要最低限しか情報を必要としない人間なのかもしれません。

    たまに、いろんなことを知りたがる人っているよなそう言えば。
    その情報、今、必要です?みたいな。そこ別に核心じゃないですよ、みたいな。
    情報だって断捨離したら良いのに、とか思っちゃう。余計な情報を持ったところで、それをきちんと使うことをしないと役に立たないんじゃない?とか。

    余計な情報を得たくないから、SNSをやめてみる、とかね。小説の題材とはあまり関係のないエリアですが、そういうところも小説から学べたりするよなぁ。

    ところで、必要十分な情報量ってどうやって調整するんだろうなぁ。
    私は吉田修一さんのどこが好きなんだろう。
    と思った時に、出てくるのが「スピード感」というワード。
    どういうことかと言うと、物語の進むスピードです。そのスピード感が、止まるべき箇所ではきちんと止まり、進んでもいいところではばーっと飛んでしまうところとか。この緩急の付け方で、適切な情報量をコントロールしてるんだとしたら、それはきっとすごいことだと思います。