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  • 5月25日

    朝ランは、やっぱり気持ちが良い。
    近頃抱えていた仕事の鬱憤が嘘のように、気持ちが晴れている。

    つってもたった5kmなんだけどね。
    私にとっては距離でも時間でもなく、経験だけで良いような気がしてて。
    毎日9時からミーティングが始まるので、それまでに戻る+次男の登校に付き合う、というところまで考えると、シャワーを浴びないといけないから、割とどんなに頑張っても5kmくらいが限界なんだよなぁ。
    まぁ、平日だしね。

    その気分に乗っかって、お昼休み中に筋トレまでしてしまったよ。
    腕立て伏せを20回、スクワット40回。
    胸の辺りの筋肉をつけたいと思っていて。

    それもこれも、昨日は深酒をしなかったし、なにより早寝したんだよな、これがだいぶ効いている気がする。
    多分今の自分には、平日は23時くらいに寝るのがちょうど良いんだろうなぁ。朝7時までぐっすり眠れれば、8時間も寝たことになる、けれど。起きちゃうからなぁ。

  • 5月11日

    仕事ってほんと毒だよなぁ。今日もあっという間に11時間を浪費してしまった。
    生活を人質にして、それを守るために、11時間を使う。
    「俺には守るべき家族がいるからさ」ということすらも、もしかしたら私の偏見なのでは、とか思ったりするね。だって本当は守る必要がないのかもしれないから。

    いや、違うな、守るべき、っていうのは間違っていないんだよきっと。
    愛する人間たちを、蔑ろにするつもりは毛頭ないのだから。
    ということを考えると、蔑ろにしているのは自己ということになるのだろうかね。

    うーん。

    そう考えると、自分が本当にやるべきこと、考えるべきことに対してきちんと時間を使えていないということになるのかなぁ。
    仕事という、いわば暇つぶしに時間を浪費して、自分の、うーん、言い方が適切か分からないけれど自己実現に近づくための活動については全く触れていないってことになるんでしょ。
    仕事に没頭され、終わる頃には疲労で考えることなんかできない状態、あとはお酒を飲んで気を紛らわせて終わり、という感じ。
    その繰り返し。

    それが悪いのか。
    分からんね。
    自分の成長と、家族の安寧を天秤にかけるってことでしょ。
    そんなん、決めらんねーわ、っての。

  • 5月4日

    ゴールデンウィークだけあって、だいたいどこも混んでた。どこへ行くにも、何をするにも、人がいるという状況、これはむしろありがたがるべきなのかなぁ。

    というのも、日本全国、過疎化している地域の方が多いから。
    私は、そういう意味で、人がいるところにしかいないということになるのだな。

    人というか車ね。
    渋滞の何がイヤかって、だんだん社内の気温が高くなるところ。
    車だからしょうがないんだろうけれど。

    というわけで疲れた。渋滞に疲れた。

  • 4月27日

    自殺する人って、決死の覚悟で決行するのではなく、ちょっと思いついたので、という程度の勢いなのではないかと思った。

    今日、仕事でだいぶ追い詰められていて、その心持ちのままリビングからベランダ、外の方を眺めたらとても気持ち良さそうな空、昨日の夜からちょっと強い雨がさらさら降っていて、今朝、子供たちが登校するくらいまでは雨が残っていた状態だったのだけれど、それが10時くらいに見てみると、これから気圧が上がっていくんだよ、というような雲の軽さ、そして空気の密度。
    そんなのを感じていたら、ちょっとだけふわっとベランダから飛んでみて、今抱いている仕事の重たい感じのやつとか、全部忘れられるんじゃないかと思ったのよね。

    もしかしたらこれも一つの希死念慮なのかもしれないけれど、希死念慮って書いちゃうとだいぶ重たい感じするけれど、

    希死念慮って、根本は、

    今いる現実から逃げたい、から来てるのでは無いかと思うのよね。
    *諸説あると思うので、これはあくまで私一人の、素人の考えです。

    逃げる=死ぬっていうのがちょっと安易かもしれないけれど、例えば遠くに逃げる、と仮定した場合、お金や着替えとか、必要だったりするじゃん、お金ってそんな簡単に集められるものじゃないから、例えば、1万円持っていたとしても、それで1週間暮らせ、となった場合、住むところから考えるとだいぶキツいと思うんだけど。
    そんなことを考えるくらいなら、この今いるマンションの6階から、いっそのこと飛び込んでしまえ、とか、思ってしまうんだよな。

    これ多分考えすぎると良く無い方向に行きそうな気がするからこれくらいにしておく

  • 4月20日

    ルーティンというほどではないが、自分の体調をキープするためのお作法があり、

    それをきちんと守ったとしても、体調がすぐれなくなったりしてしまう。

    そういう時に、「自分ってダメだな」と思ってしまうので、それが負のスパイラルになってしまうので、そうしちゃダメだぞ、と思ったりしているのだが

    その思考回路を防ぎたいのに、どうしてもそうなってしまう。

    性格なのかなぁこれ。くよくよしてる時間、もったいないので機嫌を直さなくては

  • 4月13日

    またしても一瞬で1日が終わる。

    それでも今日は、いつもとは違う瞬間があった。
    と思ったけど、基本的に毎日、違う瞬間はあるでしょ。

    在宅勤務をしていると、リアルに会う人間が、家族しかいない。
    それでもまだ、家族がいれば恵まれているのかもしれない。
    一人暮らしで在宅勤務だったら、本当に、人と会うことなんてなくなってしまうんだろうなぁ。

    今、在宅勤務をしている人って何割くらいいるんだろう。
    通勤での苦痛から逃避できるという大きなメリットを享受しながら、生きている。
    私に取っては両面の効果があり、本を読むのが好きなので、その時間を充てられることがなくなったというのがちょっとキツい。
    いや、そこは通勤時間分、本を読む時間にすれば良いんだけど。
    その時間、今のわたしは一体どんなことに費やしているのだろう。
    きっと眠ったり、仕事をしたりということになるんだろうけど。
    それが意味のあることなのか、と問われると、素直にイエスとは答えづらい。
    それでもまだ、眠るという点においては、私の欲望に対して素直に実行へと移しているのだから、それだけでもプラスなのかもなぁ。
    仕事、つまり残業ということになるのだけれど、自分の中で「ここまではやっつけてしまいたい」と思うところまで仕事をした場合、仕事に拘束される時間としては長くなるんだけど、一方で私自身の精神衛生上は、大いなるプラスになるのだ。

    難しいよね。なにを優先するかでしょ。
    私が気持ちよくなれること、という点であれば朝は眠る時間だし、夜は自分が気持ちよくなるところまで仕事をやり遂げるっていうことになるでしょ、そう考えたらどっちも、私に取ってはプラスなのよね。

    それでも最近は無理にでも19時退勤とかして、ランニングするようにしてる。
    それも私の中では、気持ちよくなれる行動の一つだから。
    そうやって、自分が何をすれば気持ちよくなれるかというのを考え、いくつか武器として持っておくのも、生きやすくなるためのヒントな気がするなぁ。

  • 4月6日

    昨日までは割と寒い感覚があったのだけれど、今日はだいぶ暖かい。
    昼間、近くのマックまでお昼を買いに行き、その行き帰りを少し早歩きで歩いていたら、汗をかいた。
    マックはこのところ照り焼きチキンフィレオにハマっており、そればかり食べている。

    マックが近くにあって良かった。

    別に田舎を卑下するわけではないのだけれど、私は歩いて行ける距離にマックがあるような地域で育っていないので、こういうところに思わず喜びを感じてしまう。
    今だと、おそらく実家から40分とかかけて車で行かないと、マックに辿り着けない気がする。

    別にそれが悪いわけではない。むしろ、そういう環境だからこそ得られる「特別感」をきちんと噛み締めて、マックを食べるので、より貴重な感覚が生まれるような気がしている。

    この、特別感は、常に持っていたい。

    在宅勤務とか。

    iPhoneにBluetoothキーボードを繋いで、ブログを書く、とか。

    恋とか。

    春とか。

    別れとか。

    なんでだろう。

    新鮮な気分、つまりそれは刺激に繋がるんだろうなぁ。

  • 3月30日

    一瞬で夜。昼間、外はちょっと暖かかったらしいね。
    一歩も出ていないので、全くわかっていません。

    周りに対する興味がなくなっていく一方で、自分に興味が湧いてきている気がする。
    興味を持つボリュームっていうのは、総量としては変わらないのかもしれない。
    ドラマとか、ニュースとかどうでもいいやと思っているので、その代わりに、自分の欲求に対して素直に受け入れようとしている、というか。
    欲求っつっても、食欲くらいのものですけど。

    深津絵里が好きだったから、カムカムエブリバディを割とちゃんと観てたんだけどなぁ。いつの間にか興味が薄れてしまった。そろそろ終わったかなぁ。

    興味なんてそれくらいか。あとは日々、夜は何のお酒を飲もうかなぁくらいのことしか思いつきません。

    あー、けど、不意に速読に興味が湧いてきました。
    分からないんだけど、頭の回転が速くなりそうだよなと思って。
    小説ってある程度ゆっくり、文を噛み締めながら読むほうが面白いと思っているので、多分ジャンル?的に分けてみて、ビジネス書というか自己啓発的なものは速読でやる、みたいな感じで考えると良いのかなぁと思ったり。

    なんでそれに思い至ったのかと言うと、頭の回転が遅いな、と感じたからです。
    仕事で、私は、ある程度文字として可視化しないと分からないことがあって
    例えば提案とか報告資料と作ろうとする時、内容にもよりますがA4のコピー用紙を4枚くらい落書きして、それを経てパワポファイルを作ったりしてるんすよね。
    まぁ、それくらいなら良いのかもしれないですけれど。
    完成までのスピードを上げるには、着想から具体的イメージへの落とし込みを速くするしかないよな、と。

    自分を成長させるという点では、自分は感覚でものをしゃべるタイプなのですが、自分の気持ちを適切な日本語で表現する術を身につけたいと思ってて。
    なんかうまく言えないけどモヤモヤするんだよなぁーみたいなこと、多くないですかね。
    そういうのを排除して、クリアな自分になりたい。

  • 3月23日

    3月23日

    仕事に没頭していると、日記を書く時間がないじゃないか、と思っていたのだけれど、

    今日は仕事で、「なぜなぜ分析」に取り組む時間があり、少し勉強したので、それを活かして、「自分はなぜ日記を書く時間がないのか」についてなぜなぜ分析してみたい。

    自分はなぜ、日記を書く時間がないのか

    対価を得るための仕事と、それ以外の団欒に時間を費やしているから。日記は自分にとってはその2つには当てはまらず、どちらかというと自分だけの仕事、という側面で考えているフシがある。
    そもそも日記を書きたいのだろうか。答えはイエス。自分のぼんやりとした考えを可視化することができるので、日記は大好きだ。
    次のなぜにいくのはまだ尚早な気がしている。日記として、書くことがないから。仕事をずーっと、それこそ9時から19時30分までほぼ走りっぱなしで、通り過ぎる風景を見ることもなく、没頭してきた。なので、考える時間がなく、結果、書くことがないのだ。

    自分はなぜ、日記に何も書くことがないのか

    なにも思いつかなかったから。人間は8秒に1回程度、なにか物事を考えていると聞いたことがある。つまり、私は無限のアイデアを思い浮かべているのだ。それなのになぜ、日記に書き残すこともなく、記憶の彼方へと葬り去ってしまうばかりのものと付き合っているのだろうか。
    アイデアというのは、もしかしたら私が意識しているもの以外にも、つまり無意識の段階でも浮かんでいるような気がする。それをわざわざ拾う術はないのだろうか。超能力とか、第六感とか、その類なのかもしれない。
    つまり、自分の感性を研ぎ澄ますということは、自分の感覚の視野を広げる、ないし深めると言うことなのかもしれない。そのテの勉強をしたことがないので、詳しくないのだけれど。
    そう考えると、日記に何も書くことがないのは、自分の感性が鈍いからだ。

    自分はなぜ、鈍い感性を持っているのか

    だんだん面白くなってきた。自分の感性が鈍いという点。
    誰に対して鈍いのだろう。そういう、曖昧な言い方を気にするようになってきたのは、システム品質を測るためのテストを生業としているからかもしれない。
    私は、私の理想とする感性に対して、鈍いと感じている。
    どの点において、鈍いと感じられるのか。
    それはつまり、上述した、自分の脳に浮かんでくるアイデアを拾うことができないからだ。
    なぜ拾うことができないのか。訓練が足りないのかもしれない。
    どんな訓練が必要なのだろう。そもそも、訓練とは。
    感性を鋭くするのではなく、感性自体はそのままの強度で良いから、それを拾うための訓練が必要なのだろう。
    氷を冷たいと感じる、感覚は持っているのである。
    大事なのは、その「冷たい」と感じたことを、自分がきちんと拾えることなのである。

    自分はなぜ、感性をキャッチするための訓練が足りないのか

    これは割と簡単な気がしていて、それを重要視してこなかったからだ。
    五感で得られる刺激に対して、敏感ではなかった。
    自然の成り行きに任せていた。
    なぜ任せていたのか。あまり重要だと考えてこなかったからだ。
    五感で得られる刺激を、きちんと理解する能力を持ったところで、なんの徳になるのだろうか。
    言い換えると「感受性が豊か」ということになるのだろうけど、それだからといって、何かプラスになることがあるというのだろうか。

    いや、あるのだ。

    日記を休まずに書くことができる。

    一方で、日記を書くということは、感性を磨くということにもつながる。毎日、日記として何を書こうか、と考えることは、今日なにがあったか、自分はどんな感覚をキャッチしたか、と振り返ることになるからである。