久しぶりにスーパーになりました。嬉しい。
ダイヤモンドリーグのトーナメントに入れるよう頑張ります。


うまくいったこと
うまくいかなかったこと
改善できる点
所感

仕事の合間に、自分のプログラミングスキルを向上させたいと思ってて、Pythonで簡単なトランプのゲームを考えている。ポーカーとか、ブラックジャックとか。
順番としては明確で、要件をざっくり考えて、それをモジュール化させていき、プログラミングをしていく。
その、モジュール化させていくところがとても難しい。
なぜなら、私はざっくりとしたPythonの基本構文は覚えたものの、要件を噛み砕いてどうプログラムとして組み立てていけば良いのか分からないから。
ここは一般的には「基本設計」「詳細設計」と呼ばれる箇所で、プログラミングをやっている人なら頭で思い描けるところなのかもしれないけれど、まだ私はそこに至っていない。
私がまだ分かっていない、と理解するのは重要だ。
なぜなら私が学ぶべきポイントが理解できるからだ。
いわゆる、ロジカルシンキングと呼ばれる部分になるだろう。
例えばポーカーで考えると、
そうか、私は要件を噛み砕くところからきちんとやっていかなければいけなさそうな気がしてきたぞ。
私は一体、なにを目指しているんだろう。
少なくとも、今の自分に足りないものを取り入れ、今日よりも成長した自分になりたいのだろう。
成長の機会って無意識なところから生まれる、と昨日書いたけれど、それが意識できるところまで煮詰まってきてからは、本を読んだり、ウェブサイトで調べてみたりして、自分の欲しかった知識を手に入れれば良いだけなんだろう。
この先、もし会社をクビになっても、一人で生きていけるような力をつけていきたい。
プログラミングのスキルは、実際に問題を解決するためにも必要なものだ。
この学習を通して、プログラミングだけではなく、問題解決に取り組む力をつけていきたい。問題をどのように解析し、効率的に、そして品質の高いアプローチを身につけられたら嬉しい。

先日買ったTOEICの本を少し勉強する。
試しにトライしてみたリスニングの箇所、80%くらいできていた。
思ったよりも調子が良くてビビる。
普段はインド英語しか聞いていないから、いわゆる普通のイントネーションには自信がなかったから。
まーこれに過信せず、取りこぼしたところの原因をはっきりさせて、さらなるスコアアップを目指したいと思う所存。
リスニングに限らず、TOEICって長丁場だから、集中力が切れてしまうのが問題だと思ってる。
リスニングの方はずーっと気合を入れて聴くためのスタンバイをしておかなければいけないし、ライティングの方になると問題数が超多いから、うだうだ休憩してるわけにはいかないし。
いや、きっとこれは訓練すれば、なんとか持ち堪えるようにはなるような気がするんだけども。
ということで、ひたすら解く、からの答え合わせを繰り返すことで、その雰囲気に慣れるのではないかと思う。
コツコツやるためには、自分の中でミッション感覚を忘れないようにすることも大切な気がする。
絶対飽きちゃうし。人生にとって必要不可欠なものではないし。
勉強する=自分の時間を使う、という点では、家族との時間を割いてまでこっちに注力するわけだから、家族に対してもそういうアテンションを払っておく必要がある、とか。多分これは考えすぎな気がするけど。
自分の中での思い込み、先入観っていうのは、時として悪魔になるよね。
よく、「自分、英語苦手だからー」って一言目に発する人がいるじゃんか。
そうやって英語から遠ざかった人生を歩んでいるんだろうから、別にいいとは思うんだけど、それも思い込みだと思うんだよね。
英語が苦手な人なんていないでしょ。ちゃんとやれば、ちゃんと結果がついてくるような気がするんだよな。
私も英語が苦手だわ〜、って思う時期があった。けど仕事で、英語しかコミュニケーションできない人が同じチームに入り、毎日の朝礼で話す機会があったから、そのおかげで自然にできるようになった。
TOEICも、プログラミングもそうだけど、毎日コツコツってのが大切なんだろうなぁ。それだけじゃないよな。

今月も無事に給料日を迎えることができた。
四十四歳にもなり、家族がいるような身では、給料日だぜー!やったー!みたいな喜びはなく、もっと言うと給料が入ったことにすら気づかないほどの財務状況なので、まぁ、良くも悪くも給料日に執着していないということに喜びを噛み締めるべきなのだろう。
それでも少しだけ、給料日を迎えたら自分へのご褒美で、何かしら買うことで、自分が普段頑張って仕事をしていることに対するモチベーションを作ることができるのかもしれないね。
と、考えた時、今は何が欲しいのだろうか。
ちょーっとだけ高い、ウイスキーくらいしか思いつかんね。
五千円とかの。
それこそが、幸せなことなのかもしれないなぁ。
欲しいものがない、満たされている、という幸せ。
それも考え方の違いで、欲しいものがない=お金を稼ぐモチベーションが足りない=不幸!とも思えるのだから、人生って刺激的だなぁ。
お金で買えないもので、欲しいものはちょっとあるんだけど。
時間と、気力。
特にTOEICを勉強するために必要なものたち。
平日は仕事をした後に勉強をしよう!という気持ちになるのが難しく、それはその分仕事をきちんと頑張ったからだからしょうがないんだけど、それでも継続して勉強することで自分のプラスになるんだろうから、本当は毎日勉強するくらいの気力と、時間が欲しいんだよなぁ。
大学の頃とかにもっと勉強しておけば良かったのかもしれない。
あの頃は気力だって、時間だって、人にあげてもいいほどあったではないか。

最近、自分磨きをしてないと感じ、思い立ってTOEICの勉強をしてみることにする。
とりあえずKindle Unlimitedにあった、単語がたくさん載ってるものを見つけた。リンクはこちら。
一通りざーっと眺めてみると、600点まではできてるっぽい。
次の、730点という基準になってみるとちらほら分からない単語が出てくる。
私の現在地点はこの辺なんだなー、と実感しつつ、だとすると800点くらいを目標にするのが、今のところ一番良さそうな気がしてくる。
最高得点は990点だから、上には上がいる感覚を持ちつつ、自分の目標をきちんと持つ感じかなぁ。
勉強のやり方はというと、これもとりあえずのやり方ではあるんだけど、ちょっとでも分からない単語をピックアップして、Evernoteに載せるやり方。

iPadだとSplit viewで2つのアプリを起動しながらできるから、便利だなぁ。
Apple pencilで、実際に文字を書くみたいなんてこともできるので、iPadで勉強を完結できそうな気がしてくる、
けど、
今の所の問題はKindle Unlimited でいい感じの本が見つからないこと。
流石に紙の本を買った方が良いかなぁとか思ったり。
ちょっと本屋に行ってこようかなぁ。

義務教育では勉強という、あまり好きでないものに取り組むことで、集中力を養うことができるのかな、と考えたことがあった。
好きなものではないものでも、とりあえず5分くらい取り組んでみると自然とやる気が出てくるというか、始まるまでの嫌な気分、めんどくさい気分が払拭されると思っていて、それを学ぶための場所なのかな、と。
けれどその仮説は、全く違うように思う。今は。
そもそも勉強=あまり好きでないものという前提ってなんだ。その偏見は、と。
話を集中力にいったん戻す。
きっかけは長男の姿勢から。
長男は幼稚園年長から小1の頃にかけて、世界の国旗を全部覚えるという偉業を成し遂げていた(親バカ目線はご容赦いただきたい)。
世界の国旗、数百はあるだろうか、彼はそれをぱぱぱっと、それこそ1か月くらいで覚えてしまったのではないだろうか。
彼はそれを、勉強と捉えていただろうか。
分からない。なぜなら、彼は楽しんでやっていたからだ。
そう考えると、自分が好きになる、それに浸っていると時間を忘れるくらいに没頭することができるような物事を見つけることが先決なのだろう。
そしてそれに浸っている時間は自然と集中するのだ。
意識せずに、集中する。
一般的にはワーキングメモリを強くするとか、そういう脳科学的な側面もあるだろうけど、まずそれよりも前に、楽しむという気持ちが自然と湧き上がるように捉えないといけないのだ。
それには自主的な気持ちを持つことが必要なのだろう。
そして、ここで、冒頭で少し脱線しかけた勉強=あまり好きでないもの、という伏線を回収できる。
勉強という括りがそもそも良くないのだと思う。
学校で学ぶものだけが勉強ではない。
長男は、国旗を覚えるという行為、多分、ゲームのように考えていたのではないだろうか。
記憶ゲーム。
勉強ではなく。
では、学校で学ぶものを「勉強」と呼ぶことに対する是非は。
最近、私は自己啓発系の本ばかり読んでいる。
仏教、禅、哲学、ミニマムライフなど。
それらは、私は勉強と捉えていない。趣味だ。
一方で、これらを学問として学ぶと、勉強になるのだろうか。
良く分からない。
勉強と呼ぶこと自体が良くないのではないだろうか。
生きることが勉強、と捉えることだってできる。
起きる。ご飯を食べる。歯を磨く。勤労の義務を果たす。夜、自分の好きなことをする。眠くなったら寝る。
この、日常のルーティン。
私がこの世に生まれてから過ごした15322日(調べた)で、覚えている日はほとんどないだろう。
だが、生きていることで何かしら刺激され、自分で考え、何かをアウトプットするという業を過ごしている。
それは言い換えると、勉強なのではないだろうか。
良く分からない。学歴社会に警鐘を促したいとか、そういうレベルの話ではなく。

自分の身に染みて感じるものだから英語を例として取り上げるのだけど、英語に関して「できない…」と挫折するのは、英語が難しいからではなくて、自分が続けられないから。
英語だけではなく勉強全般に言えることだが、コツコツと続けることが一番難しい。
義務教育ではその、コツコツと学び続けるということを身に着けるのではないだろか。
大人になってから、そのコツコツと続けることがいかに難しいか。
人間はすぐに逃げたがる。
怠惰な方向にある誘惑はとても強力で、その誘惑から得られる快感も大きい。
大人になるにつれ、自分の好きな誘惑が増えていく。
そしてその快感を知っているからこそ、「今日ぐらいはいいか…」と気持ちがそっち側にゆらいでしまう。
人間だもの、自分のことが可愛いのだから、それはそれとしてしょうがないのだ。
そういう気分になるのは仕方がない。
ぼーっとお酒を飲みながら、ゲームをする。
お酒を飲むと気分が良くなるし、進めたかったゲームを進めることで得られる達成感は格別のものだろう。
秘訣は、バランスを取ること。
自分を磨くことと、自分を甘やかすこと。
両方をバランス良く行っていく。
前者だけだと生活が窮屈に感じるはずだし、後者だけだと怠惰な人間になってしまうから、それぞれのバランスを見極めて、生きていくべき。
自分を磨くことと、自分を甘やかすことが、一つにまとめられたら強いだろうか。
それが何か、見極めるのが難しい。趣味を仕事に?うーん。