9月12日 過去のことと、未来のこと
しばし沈んでいた。まだ、進行中かもしれない。
原因を探ればキリがないし、探ることでより深く心を抉るような気もするので、あまりやろうとはせず。
自分の生きてきた道、そしてこれからの、残りの人生がとても長く感じる時、私は沈むような気がする。
例えば子供が学業を終えて社会に飛び立つまで、少なくともあと10年。それ自体が果てしない。直近、過去10年を考えてみるとそうでもなくて、だから、のらりくらりしているうちに10年なんてあっという間に過ぎてしまうような気もするし、だからあまり深く考えないというのが肝要な気もするのだけれど、それでも。
十年一昔という言葉。英語でもDecadeという言葉があり、つまり日本語でも英語でも10年というのを一つの括りとして考えられるということ。約3650日。長い。やっぱり長い。
いや、沈む原因はそこではないだろう。何らか、自分の気に合わないような事柄があって、そこから連動して果てしない長さの未来が私の両肩にのしかかって来る。その重さに耐えかねて、沈む。10年先のことをポジティブに考えられれば良いのだろうけど、大抵の場合、そうではない。ネガティブに考えてしまう。長い、辛い、生きていく自信がないなど、簡単に表すとそういうことを考える。
つい最近まで私はとても元気だった。やりたいことがたくさんあって、24時間じゃ足りないわ!などと考えていた。あの頃の自分と、今の自分では何が違うのか。外見的にはなにも変わらない。内面では大きく違う。すぐに横になり、眠りたくなる。1ヶ月ぶりに復活した心療内科からの処方薬に適用させるために身体がそうしているのかもしれないけれど、例えば、眠りながら10年を過ごせたらどんなに良いことだろうかと思う。何も考えずに10年を過ごしたい、穏やかに10年を過ごしたい、私の願いはただそれだけ。
だけど私には、家族を含めた私たちには、生活するためのお金が必要になる。そのためには働かなくてはならない。働かずに暮らしたいということではない。ある程度の稼ぎがあれば良いだけ。
ChatGPTに聞いたのだけど、Coast Fireという考え方があるらしい。最低限必要なぶんの資産はすでに形成して、日々の生活費を毎月稼ぐという考え方。ざっくり、家族4人で年間400万円必要だとすると、年収400万円分だけ働く。だけど資産はすでに投資したりして貯めているから、老後資金は投資分で賄えるという考え方。
すごく魅力的。それを魅力に感じている点で、私は、人と関わる仕事に飽きてるんだろうなぁと気づく。
そう、人間関係とかホントもう逃げたい。山にこもって暮らしていいんならそうしたいと思える程度に疲弊している。一人で、小説書いたりして過ごせたらもう十分。
そうもいかないよなぁ。分かってる。分かってるけど、空想するくらいなら良いでしょ。

