タグ: 22日

  • 6月22日 今日は10km

    6月22日 今日は10km

    今日は10kmを走った。
    夕方、ちょっと雨っぽかったので、私の住んでる市でやってるジムへ。

    平日の夕方はだいぶ空いていた。
    トレッドミルは私を含め、2人くらいしか使っていなかった。
    私より3つくらい左側のトレッドミルで走っていた若者。
    まだまだ若者には負けんぞい、と少しだけライバル意識を持ってしまう。
    そういうところで張り合っても何の得にもならないのだけれど、そのおかげで、私は10kmを走ることができた。

    10kmの記録
    1kmごとのスプリット
    心拍

    外で走るのと、トレッドミルに乗って走るの、どっちが好きなんだろう、ということを考えながら走った。
    どっちも一長一短あるけれど、気温があまり高くない日だったら、外で走る方が気持ち良くて好きだな、と思う。
    そうだ、走っていても、木々が風に合わせて揺れ動く姿や、音もなく信号の色が変わる様子が目に入ってくるので、そういう、いわゆる風景を見るのが好きなんだな。
    トレッドミルでは前にテレビがあり、自分の好きなチャネルを観ながら走ることもできるんだけど、幸か不幸か私には好きな番組がないので、一度もつけたことがない。
    それにテレビを観ながら走るなんて、どうも二つのことを欲張ってやろうとしていて、好きじゃないんだよな。音楽は聴いているけれど。
    そうだ音楽。私は音楽を聴きながら走るのが好きだ。
    いわゆるロックが多く、それを聴きながら走っていると気持ちが軽くなったような気分になれる。

    ランニングが好きで良かったなー、と思う。
    ランニングを毎日やっても、痛くならない膝と脚に感謝したい。

  • 5月22日 その人の極意

    5月22日 その人の極意

    お金を得るためなら、本来は、どんなことだってしても良いのだろう。
    私の目には、どこかの企業に就職して、働くことで得られる対価、というイメージが強いのだけれど。
    目の前に原稿がある人は作家だし、魚がいる場合は漁業だし、畑が見えるなら農業だろうけど。
    それぞれみんな、自分で作ったり、何かを獲ったり刈ったりして得たものをお金に換えている。

    お金がなくても、生きていける生活を考えてみる。
    いや、全くないというのは難しいから、最低限のお金だけを使う生活を考えてみる。
    最低限のお金って難しい。
    私の場合、家族がいるので、家の光熱費と、食費は最低限必要だ。それに住宅ローン。
    いわゆる「固定費」と呼ばれるあたりのものだろう。
    それらがあれば、あとの変動費は、最悪なくても良いのかもしれない。
    そう考えると、月20万円くらいあれば、なんとか生きていけそうな気がする。

    だけど人間は、裕福に暮らしたい、生活水準をできるだけ高く保ちたいと思ったりもする。
    インターネットは使いたいよね。たまにはお酒を飲みたいよね。スマホ使いたいんだけどさ。など。
    その辺りから、人生の豊かさみたいなものが生まれてくるような気がする。

    気がする、だけで、本当はそんなことはないのだろうか。

    貧乏は、心が廃れていく、とどこかのブログで読んだことがある。
    貧乏でも、ちゃんと生きていける人だっているのだろう。
    飲まず食わずの生活が続く、みたいな場合だけど、生きる以外のことは全部余計なものになるんだろうか。
    私は幸か不幸か、そんな状態になったことはないのだけど。
    そんな中でも、心は健やかに過ごせるのだとしたら、それはその人の極意なんだと思う。

  • 4月22日 TOEICを始めてみようと思ったり

    4月22日 TOEICを始めてみようと思ったり

    最近、自分磨きをしてないと感じ、思い立ってTOEICの勉強をしてみることにする。
    とりあえずKindle Unlimitedにあった、単語がたくさん載ってるものを見つけた。リンクはこちら。

    一通りざーっと眺めてみると、600点まではできてるっぽい。
    次の、730点という基準になってみるとちらほら分からない単語が出てくる。
    私の現在地点はこの辺なんだなー、と実感しつつ、だとすると800点くらいを目標にするのが、今のところ一番良さそうな気がしてくる。
    最高得点は990点だから、上には上がいる感覚を持ちつつ、自分の目標をきちんと持つ感じかなぁ。

    勉強のやり方はというと、これもとりあえずのやり方ではあるんだけど、ちょっとでも分からない単語をピックアップして、Evernoteに載せるやり方。

    Evernoteで TOEICの勉強をしてみる

    iPadだとSplit viewで2つのアプリを起動しながらできるから、便利だなぁ。
    Apple pencilで、実際に文字を書くみたいなんてこともできるので、iPadで勉強を完結できそうな気がしてくる、
    けど、
    今の所の問題はKindle Unlimited でいい感じの本が見つからないこと。
    流石に紙の本を買った方が良いかなぁとか思ったり。
    ちょっと本屋に行ってこようかなぁ。

  • 3月22日

    3月22日

    書くネタが思いつかないので、大好きなスナフキンの名言を引用して、ちょっと考えてみたいと思う。

    自由が幸せだとは限らない

    スナフキン

    少し制約があった方が、幸せになれるということだろうか。

    まず、「自由」と「幸せ」についてそれぞれ、どういうことなのかをちょっと考えてみたい。

    自由ってなんだ

    自由って素晴らしい。ポジティブなイメージがある。自分が「こうしたい」と思ったことを、いつでも、どこでも、思いのままに実行できる。
    寝たい。ご飯をお腹いっぱい食べたい。ランニングしたい。キャンプしたい。音楽を聴きたい。ギターを弾きたい。絵を描きたい。新しいiPhoneを手に入れたい。異性と関わりたい。喋りたい。一緒に笑いたい。一人になりたい。泣きたい。死んでしまいたい。

    簡単に思いつくのはこのくらい。この側面で考えると、自由はそのままイコールで幸せに繋がるような気がするんだよなぁ。多分、私は、上記はある一面でしか自由を考えていないんだろうなぁ。

    幸せってなんだ

    自分の欲求が満たされる時、幸せと感じるのではないだろうか。
    例えば、でつい人間の基本的な三大欲求をベースに考えてしまうのだけど、美味しいご飯をたくさん食べることができた。ぐっすり眠れた。異性と関われた。好きなものを買った。

    自由が幸せだとは限らない #とは

    冒頭にも書いたけど、自由じゃない時にも幸せを感じることがあるよね。境遇に応じた幸せが。
    結婚せず独身で暮らしている中で、好きな時にキャンプに行き、自分の食べたいものを食べる時の幸せと、一方、家族がいる人は家族とキャンプに行き、子供たちの大好きなカレーをみんなで作り、それを食べる時の幸せ。
    別にどっちが良いという話ではないから、甲乙つける話ではないんだけど、

    うーん、スナフキンはどういうシチュエーションでその言葉を放ったんだろうか。
    彼は孤独に生きる人だった。自分の家を持たず、いつでも気ままに旅をしたりして暮らしていたはず。
    もしそれがムーミンとか他のキャラから「君はいつも自由で、幸せだねぇ」って言われた時の反応だとしたら。スナフキンは「君からはそう見えるかもしれなけど、荷物を運ばないといけないし、冬は寒いし、食べ物だって十分に食べられない。そんな僕の一面を見て言ってる?」という言葉を心に秘めて、「自由は幸せだとは限らない」と言ったのかもしれない。物語を読んでないから勝手な想像だけど。
    そういう制約を背負いながらも、スナフキンは自分の足が赴くままに進み、時折立ち止まって風の音に耳を傾ける。これこそが彼の追い求める自由でもあり、家を持つとか、そういう他の何にも替え難いのかなぁ。

  • 5月22日

    ここ数日、ブログをサボっていて、それは仕事が忙しいからだとか、週末のソロキャンに向けて頭がいっぱいだったからとかいくつか理由は浮かぶんだけど、シンプルに言うと「投稿するのを忘れていた」と言うことが一番適切な気がしてて、

    このブログに何かテキストを投稿すると言うこと自体の優先度が少し下がった、そして上に浮上してきた他の物事に集中するための時間が必要になったと言うことが、私の人生にとって必要かどうかというのは、今イマの段階だとあんま良くわかっていない。

    多分、こういう日記を日々続けていくことは、後になってわかってくるんだろうなぁと思ったりする。

    それは多分、たくさんの分量を書いたことによって私の文章力(という言い方が正確かわからない)が上がるということにつながるのだから、私がそこを重要視しているのであれば、

    つーか文章が長い。

    もっと簡潔に、文章を書き上げる能力とか。

    自分の習慣について

    私の習慣を変えてみることで、人生の見え方が変わってくるかもしれないということ。
    私の中でどんな習慣が根付いているのだろう。

    習慣を変えると、人生が好転するみたいな本のタイトルをさっき見て、その本のことをちょっと考えてみたんだけど(中は読んでいない)、

    まず、前提として「自分の人生が明るくない」と考えている人が手に取るんだな、と。

    そう言う人は、だいたい、今自分の置かれている境遇があまり良いものではないと考えている、ような気がする。

    そして、自分ができることだったら、奨んでやってみたい、はず。

    私も、実は同じように考えがちの人間だと思う。自分の人生、明るくないよな、と。
    多分それって「明るいもの」という理想があり、その一方で自分の人生はそれに近くないところを歩んでいるんだろうなと。

    まず、考え方を変えるべきなんだと思う。それが自分の習慣と呼べるものの一つなのでは。

    自分の人生は、意外と暗くないんだよ、という点。
    今、自分の置かれている境遇、案外恵まれていません?と思ったりしないだろうか。

  • 3月22日

    雨から雪

    9時からのミーティングに合わせ、バタバタと8時40分くらいから起き出す。在宅勤務の恩恵を受けている。雨で外出するのも億劫だし。
    9時から19時30分までほとんど休みなくミーティング。
    ホント、よくそんなに喋ることあるよね、と感心してしまう。
    明日も、明後日も、ずーっとそんな感じ。もう何ヶ月もそんなのが続いているので、もはやミーティングのない日は退屈すぎて、何をしたら良いのか分からなくなってくる。

    ふと思い立ち、昨日からメモの切れ端みたいな投稿をするようになった。
    今まではある程度時間を使い、きちんと自分なりに投稿内容を考え、推敲し、投稿してきたのだが、Twitterをやめたことで、その切れ端のようなつぶやきを発信する場がなくなったことが大きな転換点となった。
    私のサイトがあるんだから、そこでつぶやけばいいじゃん、と。

    幸いなことに、私のサイトはほとんど人が来ないような無人島なので、気ままに投稿することができる、だけどその一方で、Evernoteにメモっていくというのだと体裁があまりにも自由すぎてしまうから、それもダメよね、ということで、結果的に私のサイトに投稿するのがちょうど良い、ということになった。

    とは言え、この投稿も然り、私は他人にこれを読んでもらうために書いていると言うことではない。むしろ、未来の自分が読むかもしれないので、そのために書いていると言った風情が一番強い。
    というのも、私は過去のほぼ日手帳を読み返すのがなかなか好きで、まるで古い写真を読み返しているような気分になるのだが、それと同じようにこの投稿も、未来の自分が読み返すことを想定して書いている。