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  • 7月1日 点と点がつながって、

    7月1日 点と点がつながって、

    点と点がつながって一つの線になる。
    人生にはこういうシチュエーションが多いという。
    それに気づくかどうかはその人次第であるけれど、常にそういうことを考えているような人だとしたら、気づきやすいのかもしれない。

    それは、アンテナの高さだと思う。
    自分で気づくかどうか、そのアンテナの高さ次第で、その周波数を合わせられるかどうかにかかっているのだから。

    一体今の自分は、そのアンテナはどのくらいの高さを張っているのだろうか。
    日々、ぼんやりと過ごしている気がするから、多分大して高くはないように感じるけれど、今の私はそれでも良いのだろうか。
    不安を感じるのは、良いことなのか。
    不安?
    今の自分で満足しているということの裏返しなのではないだろうか。

    一般的には、常に意識を高く持っておくべき、という考え方がある。
    そりゃそうだ。
    何事にも興味を持つような人の方が、自然と経験も増えていくし、冒頭に述べた点が増えていくわけだから、後から考えると線になりやすいということになるだろう。
    だけど、だけどだ、点をたくさん掴むためにはスタミナが必要だ。アンテナを張るのには気力が必要だ。気力だけではない、体力も必要かもしれない。
    自分の、できる範囲で十分なのではないか。

    つまり、自分の器ってものがあるから、その器に乗る程度の点を見つけることこそが、真理なのかもしれない。
    私の器とは。どの程度の大きさなのだろうか。

  • 6月1日 ここに書く日記と、ほぼ日手帳に書く日記

    6月1日 ここに書く日記と、ほぼ日手帳に書く日記

    3月21日から始めた、この毎日なにかしらブログを書くということで、「今日なに書こうかなぁ」と考える時間が増えた。
    ネタに困る、とシンプルに言うとそういうことも少なくはなく、だけど、日々気になったものや、新たに始めてみようと思うようなことをここに書き留めることで、自分の考えを俯瞰できるような気がしている。
    過去に書いた日記を振り返ることは、ほとんどしない。
    正直に言うと、昨日書いた日記すら、なにを書いたか覚えていない。
    せっかく書いたんだから、と思う一方で、どうせ死ぬまでの暇つぶしで、1日に数万回くらいの発想を無意識に行なっている中で、それが記憶に残る程度まで強かったものだとしても、それがどうした、と考えてしまう。
    私としては後者の方が思いとしては強く、ほぼ日手帳にも同じように日記を書いている中で、そちらも気が向いた時くらいしか振り返ったりはしない。
    最近投資を新たに始めたので、時系列で追うことで何かが見えてくるかもしれないが、それをやる労力と効果を比較した時に、メリットが感じられないので、まぁいいかと思ったり。

    ここで書く日記と、ほぼ日手帳に書く日記、なにが違うのだろう。
    一番最初に思いつくのは、他人が見るかどうか。ここは誰かしら見る場合があるので、書いてることの支離滅裂さはある程度制限させ、私としてはきちんとした文章を書こうと心がけている。
    一方でほぼ日手帳のほうは、完全に殴り書き。誰も見ないし。たまーに、書いたところを写真で撮影してツイッターとかにアップロードすることもあるけれど、自分の書く字の輪郭など含めてプライベートに踏み込み過ぎていると考えており、あまり載せるようなことはしていない。
    どちらかに寄せても良いのかもしれない、と考えることがある。
    今のところはどっちも共存させていくつもりで、その分2倍の労力がかかるのだけれど、思考を外向けと内向けで使い分けることで、お互いの良い面を生かしながら自分の文章を書く力に役立てていけたら嬉しい。

    いや、これは自分の文章を書く力として役立っているのだろうか。
    このブログだって思いついたことをさらさらと書くだけで、自分のスキルとして身についているのか、甚だ疑問だ。
    自分のスキルを測るのって難しいけどね。続けることで、自然と身についていくものなのかもしれないけども。

  • 5月1日 世界の片隅で、ひっそりと生きていきたいだけなので

    5月1日 世界の片隅で、ひっそりと生きていきたいだけなので

    あっという間に5月。
    朝起きる時や、お風呂に入ろうとする時に感じていた、寒いなぁというのがすっかりなくなり、完全に春爛漫といった暖かさに。
    季節の移り変わりについては一ヶ月に三回くらいはこのブログに書いているのではないだろうか。

    こうして毎日ブログを続けていると、どんなキーワードから検索して、このサイトに来られたのかというのがたまに気になってくる。
    もっぱら、数ヶ月前にちょっとだけハマった「アウトランダース」というiOS用のアプリをどうやって攻略したか、というのを書いていたが、それに関する検索ばかり。
    少ししか載せていないのに、そればかりになるというのも、ゲーム人気ってのはあるんだなー、と思ったり。
    アウトランダース 攻略で検索すると、このサイトがGoogleの1ページ目に出てくるのか!これは嬉しい。

    私は熱しやすく冷めやすいタイプなせいか、すっかりそのゲームに飽きてしまった。
    ある程度のところまでいって、そのゲームがだいたい分かるってとこまで来てしまうと、マンネリ化を感じてやめてしまう。
    そのゲームはApple arcade専用ということなので、それへサブスクで課金しているのがちょっと勿体無いよなぁと思ったりもする。
    他に面白いゲームがあったら良いのかなぁ。
    ニッチなゲームの攻略でアクセス数を稼ぐというのも、ちょっと面白いかもしれない。

    いや、待て待て。私は別にここが有名なサイトになってほしいなんて考えていないぞ。
    今まで、ミクシィやらアメブロ、はてなブログなどいろんなところにブログを書いてきてて、それがつぎはぎだらけになってしまったから、ITの勉強を兼ねて、Wordpressでサイトを作ってみようと思っただけではないか。
    ここが有名になってしまっては困る。世界の隅っこで、ひっそりと生きていきたいだけなので。

  • 4月1日

    4月1日

    柏レイソルはまた負けた。開幕してから1度も勝っていない。

    こうなってくると責任は誰が取るんだ!という風潮が出てきて、日本人だなぁと感じる一方で、だからって監督を変えて上向きになりますか、っていうとそれはまた未知数なんだよな。

    私はネルシーニョ監督以外、あまりよく知らないので、それじゃ誰がいいんだって時に名前を出せないが、ネルシーニョ監督のおかげでいい試合を見させてもらったところもあるので、うまい感じに落ち着くと良いなぁと楽観視したりしている。

    昨日、現地で観戦し、負け試合を見たせいだろうか、今日はずっと眠く、怠く、あんま調子の良い1日とは言えなかったなぁ。
    今日は早く寝よう。

  • 1月1日

    日付なんてものはただの目安なので、年が明けたと言っても

    みたいな屁理屈を考えていたら親の死に目に会えないなんて想像をしてしまった。

    本年もどうぞよろしくお願いいたします。

  • 5月1日

    5月1日

    図書館で伊坂幸太郎の、フーガはユーガを借りられたのでとても嬉しかった。
    読むのは2回目で、1回目はだいぶ長い順番待ちをしたものだ。それが、もう予約は不要で借りることのできたという、時間の流れに少しだけ驚いた。
    あれからまだ1年くらいしか経ってないんじゃなかったっけ。

    伊坂幸太郎は、ストーリーの非現実性と、言葉の選び方や小ネタの挟み方がとてもオシャレなところが良い。あとは気持ち悪い性描写や、暴力的なところが少なくて、10代の若い人たちにもウケるような、健やかな風味がある。
    そういうところが、人気のあるところなのかななんて思ったりする。
    個人的には、彼の通った高校が私の自宅近くにあるという点でも、応援していたりする。

    伊坂幸太郎みたいな小説が書けたらなぁ、と何度か考えたことがある。
    彼のようになりたいのではなく、こんな感じで小ざっぱりとした読後感を与えてくれるような作品を仕上げてみたい。
    そんな意志を持って、5000文字くらいまで書くことは良くあるんだけど、そこから先が続かないような作品が、割とたくさんあったりする。

    そう考えると、小説家としてやっていくために必要なことって特別難しいようなことではなく、持続力が一番必要なのではないだろうか。
    物語を書き続ける、最後まで仕上げる力。あとはアイデアを生み出そうと考え続ける力。この二つがあれば、この二つを自分の中で地味にでも良いから続けていくことができれば、自分の理想とする作品を出せるのかな、とか思ったりするね。
    私の場合、アイデアを生み出そうと考えたり、着想を逃さないようにメモったりすることはできているので、そのアイデアの切れ味が鋭いかどうかはさておき、ひとまずその二つのうち一つはできているような気がする。
    そうなるとやっぱ、持続力なんだよなぁ。
    書きかけの5000字、もうちょっと引き伸ばしてみるか。

  • 4月1日

    ソフトウェアはシステムの品質を検査するような仕事をしているのだが、突き詰めると、限度がよく分からなくなってくる。

    良い塩梅というのはどんな世界にもあるもので、のめり込むのは身体に悪い。

    ここのところエピクテトスとニーチェに傾倒していたのだが、それもハマりすぎると厭世的になってしまい「あぁ今すぐにでも死んだほうが楽になれる」と考えたりするので、それもよく考えるとのめり込む例なんだなと思う。

    十分な品質、というものがあるのだ。

    日本は割と品質が高いものを求めがちだと言われるのよね。
    まぁわかる、自動販売機ではお釣りに間違いがないことが前提だし、街の横断歩道にある信号だって壊れてないし、車は頑丈だし、電子レンジはいつまで経っても壊れないし。

    それはそれで良いことなんだけどね、
    その「品質を守るためのコスト」が、世間にとって必要十分であるかどうか、確かめることが必要なのかな、とかね。

    雑多な居酒屋ではハイボールの濃さに少しギャップがあっても、まぁしょうがないかな、と思っちゃうけど、そんなお店だとしても刺身が古くてお腹を壊しちゃうとダメだし、その辺の線引きをきちんと考えておかないといけないんだよな、とかね。
    いつだったかペヤングの工場で虫かなにかが入ってたとかあったけど、まぁ正直虫は高熱殺菌されてるし今イマだと昆虫食って考え方もあるから、実質ありかもしれないけど、買う側としてはそういうところは気になっちゃったりするけどな。
    私としては、キャベツの隙間にイモムシがいても、まぁしょうがないかな程度の感覚なんだけど、その価値観は人次第だから、なにが正解かというのが分からなくて難しいなぁ、と考えているうちに1日が終わってしまいます。